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アナログ作家の創作・読書ノート

「今週もまたまたエッセイでいきまーす!」   おおくぼ系

                                                                (イラスト・小斉平 猛)


        つくりごとに生きる

 小説とは真っ赤なウソである。フィクション(つくりごと)と呼ばれる創作の世界であり、自身が創り出した空想世界へいかに読者を誘い込んでいくかがカギとなる。それが〈推し〉を誘発することにつながり、作家としての力、いわゆる書けている(読まれている)との評価を得ることになる。結果として作品の価値を広め、作者へも将来への扉を開かせることとなる。

 うそつきはナントカの始まりといわれたが、大人になって見渡すと、果たして真実というものがあるのか? 事実とは、真実とは何か? と、考えても正解は得られずに常にさ迷っているのだ。日々の生活では事件の犯人のごとく過失やあやまちを犯し、単純な例としては、道路の制限速度をオーバーするなど、忘却し隠ぺいせざるを得ないことも多すぎるからだ。
 正しいと思ったことを強く主張すると、空気を読めずにギクシャクすることもある。見方を変えると、世間にはいろんな考えがあり、多くの正しさがあることに気づかされる。一方、集団や社会においては、厳然とした力学や利害関係によるルールが最優先されていき、個人の正義は追いやられることも多い。義務教育では、清く明るくたくましくなどと生きるための理想を教えられるが、現実とのギャップに挟まれると、わけがわからなくなるのが実情である。とかくこの世は・・・となると漱石先生のごとく、歌が生まれ小説が書かれるのであろうが、小説も一つのボヤキである。

 ボヤキをあれやこれやと書き表わすことで、心身から不都合なものを切り捨て距離を取ってみなおすことで、さっぱりと清涼感を得ることを目指すのだが、単純に割り切れれば、それにこしたことはない。新たに生み出した作品(子供?)が、逆に禍や炎上となってかえってくることもある。
 小説として文字を使って心象を切り離したはずのものが、そうはならずに、脱稿の解放感で天に昇るも、読み返しているうちにアラが目立ち、奥底に残っていたわだかまりが突然に吹き上げてきて、こんなものしか書けないのかと、苦労が徒労に終わったりする。こんなはずではと悩んでしまうことが多いのだが、もともと情念というものや、色、形、匂、さらに時間の経過といった現実の状況を、小学校以来、文字という抽象記号を使って写し取ろうという試みを学んできたのだが、意外と簡単なようで文章からなりたつ小説の構造からして困難を伴う作業である。

 心裡留保という言葉があり、表わされた言葉と内面の意思は相違していることもある。
 また、どんなに意をつくして言葉で説明をしても、言い尽くせないオリのようなものが心にのこり、書きつづればつづるほどオリがたまり、書き疲れによりむなしく感じる場合もある。文字に置き換える困難のうえに小説は成り立っているのだが、小説だけでなく、頭脳(考え)によって形成されたものは、おのずからの理論としての限界を内包しているのだ。

 小説とは、ひとつには、「大説」という君子が国家や政治にかかる基本を書いたものに対する概念であり、ひるがえっては、世間話や物語など想像力で生みだされた散文であるとされている。NOTEにおけるショート小説などは、厳密にいうと散文詩に近いものであると思えるが、広い意味では小説なのであろう。
 純文学というジャンルがいわれ、昔から純文学と大衆小説についての議論が活発になされてきたが、純文学も時代の変遷とともに全盛期を過ぎ、中間小説といわれるものが出現してきた経緯もある。時は移り行くのである。ただ、『源氏物語』や『南総里見八犬伝』、『坊ちゃん』、『蜘蛛の糸』を愛でるごとく、その時代の物語を最愛のものとすることは自由である。
 私には小説という概念でひとくくりにすれば、純文学も大衆小説もどうでもいいことに思え、おおくぼ系個人としては、自身の作品は小説ではあるが文学でないとの思いがある、加えて小説家は書き続ける存在でしかなく、編まれたものに対する批評は読者や評論者がなすものだと考えている。

 尾崎秀樹氏は、『吉川英治 人と文学』のなかで、歴史的に世話物、お家騒動、戦記物などを口談する大衆文芸があり、明治末期になり、「講談倶楽部」という雑誌が「書き講談」でいこうとなったのが、大衆文学のさきがけだとしており、中里介山という都新聞のスタッフが、「大菩薩峠」を新聞に連載をはじめたのだ、などと記述している。これらを踏まえると、活字文化、いわゆる小説の発展は、新聞や雑誌という紙文化の発展と共にあったと思えるのである。
 また、『野生時代』の編集長を勤め、島田雅彦、よしもとばなな、小川洋子、角田光代など各氏のデビューに立ち会った根本昌夫氏の著書、『実践・小説教室』においては、
「エンターテイメント作家よりも純文学作家の方が才能豊かで、高度なものを書いているというふうに思うかもしれません。しかし実際は、その逆なのではないかとも思っています。本当に面白い物語を作るには、才能としかいいようのないものが必要かなという気がするのです」
「エンターテイメント小説を書くには、『物語を作る』という天賦の才能が必要です。生徒たちの作品を見ていて思うのは、エンターテイメント小説を書くと、純文学以上に書き手の教養や感性、考え方が作品に出るのです」 と述べている。

 なお、尾崎秀樹氏は、『大衆文学論』をあらわし、ゾルゲ事件の研究などをおこなった。後年、体調をこわし生活保護を受けながらも執筆をつづけた作家であるという、作家にはそれぞれの生き様(スタイル)があるようだ。


  (次週は、短編をいきたーい、と思います。ヨロピク!)

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