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ストレス・モンスター
アナログ作家の創作・読書ノート おおくぼ系
エッセイいきまーす!
ゴルフが好きな人は、月一とか、週一とかで、次にグリーンに出ることを心待ちにする。とくに、初心者が100ストロークを切るころになると、加熱して面白さも頂点に達する。だが、ゴルフは楽しいといっても、これが仕事となるとどうなのか。
好きなことであっても、それでもって生計を立てるとなると、様相がかわってくる。プロといわれる稼ぐ世界は、これはこれで大変なことだ。ことに、この世界で名乗りを上げた者たちは、腕に覚えのあるものばかりだからだ。
換言すれば、この事象は日常と非日常の関係かとも考える。日々同じような生活をくり返していれば、楽しくて良い日ばかりではなく、退屈の日々が続きマンネリ化してしまう。ここで、心機一転、非日常からの新たな世界へ転身して、日々の生活からのリセットが始まるのだろう。
これには、いろんなケースがあり、思い切ってやりがいのある仕事への転職や自分探しの外国旅行と言った大掛かりなことや、ちょっと一休みといった小旅行、また、趣味の世界への没頭など、目的や方法はいろいろとあろう。
ただ、ふたたび日常へと帰還すればいいのだが、新たな世界の方へ完全転生するとなると、いかに糧を得るかが根本的課題としてついてまわる。富裕者でないかぎり、このことがまたもや多大なストレスを生むこととなる。よしんば莫大な収入を稼げたとしても、そのための人間関係の機微や自由の時間の消滅など、新たなストレスを抱えることにもなる。
すなわち、生きている限り反作用として、多かれ少なかれストレスがついてまわるものだと思う。生きているわれわれは、常にこのストレスに向き合わねばならない。
どう転んでも発生する人生のストレスと、どう付き合い解消するかであるが、一般的にいわれる社会的な遊び、〈飲み、打ち、買う〉というものが、処方箋にもなっていると思う。
で、先ずは酒であるが、ほろ酔い気分も、飲むうちにしだいに尊大になり、当初は酒を飲んでいたものが、最後には酒が人を飲んでしまう。酒乱へと発展し、トラブルことがよくあるのである。人がモンスターに変身してしまう。
酒乱には何度か遭遇したことがある。どのケースも当人は、シラフの時は優しく温厚で、こんないい人がいるかという人柄をもつ男性である。ところが一度飲みだすと止まらずに飲むにつれて目がすわってきて、人が変わり出す。向かい合って顔を突き合わせて飲んでいたが、突然にガボーンと頭突きをくらったのである。
うわッ、一瞬何が起こったかはわからなかったが、当人は、そのまま崩れ落ちていった。帰りを駅まで送っていったが、無事家までたどり着いたか心配だった。
もう一人は、飲むほどに顔が青くなり、私と飲めてうれしいと、しきりに握手をもとめてきたが、そのうちにバーンと平手で頬を張られた。こちらの男もそのあとは、意識不明で爆睡してしまった。
逆に陽気になるものもいる。さしつさされつで、その男は飲むほどにニコニコしていたが、何を思ったか、急にこちらの顔を両手でもち、顔を近づけてもろにキスをしてきた。オエッ~!てなもんで、これもあっけにとられた。単なる愛嬌だったのか、愛情表現だったのかと、その後けっこう尾を引いた。
害のないモンスターなら可愛いのだが、実害を与えるンスター話に事欠かない。
アイドルタレントであるN氏の若い女性アナウンサーに対しての乱行事件が、話題となっているが、これこそが、ストレス・モンスターのなせる典型ではないかと想像している。
トップタレントとして芸能界で活躍をするには、デビューするまで、また売れっ子の地位を築くまで、さらにトップの位置を継続するための苦労は、常人では考えられない努力と苦労があろうし、トップといわれる座についたはいいが、以降もトップでいられる保証はない、地位を守ることに計り知れない気を使い、自分で自分を忙しくし個人の自由な時間は皆目無くなる。こうなると自己消滅でもある。
プレッシャーが増大し蓄積されると、うっぷん晴らしのモンスターへと成長する。これを押しとどめる方法をみいだせればいいが、ついつい酒などをきっかけに、モンスターを開放してしまうのだ。圧縮されたペットボトルが破裂するように。いずれにせよ余裕がなくなり耐性の限度が破られる現象だ。
また、極度の疲労を回復するには、たっぷりの睡眠が必要なのだが、それがかなわないとなると、つい、手っ取りばやく、強烈な解放感をあじわえる薬物の世界にトリップすることになるのではないか。
N氏の事件については、ここで置いておき、読書の話に変えるのだが、ヤクをかきあらわした小説がある。
『裂』という花村萬月の手による作品であるが、シャブという反社的なテーマを扱っている。こういう内容で自由に描けることは小説家の特権であろう。
この作品は、はじめにきわどい描写でさそいこむのだが、クスリを題材に扱いながらも、本質的には小説家と編集者がおりなす文学論でもある。
ただ、クスリで別世界にはいり込み覚醒すると、われわれの知性(?)は、こんがらかってくるようで、その内容が面白い。
さらに花村は〈意識して虚構を描く者は………否応なしに世界の主体にならざるを得ず、ある種の徹底した律を必要とする〉、〈虚構においては、誤った記述は不可能だというパラドックスが成り立ってしまうんだ〉と書きしるす。
なかなか哲学的であるが、小説は虚構の世界であって、自由に描けるのであるが、その虚構の世界においても一定の秩序が当然に存在する、との意かと理解した。
花村氏は、『ゲルマニウムの夜』で芥川賞を受賞しているし、面白そうな『たった独りのための小説教室』なる指南書も出している。
話はさらに飛んで、先週、知人から『黒パン俘虜記』なる本が面白いと紹介された。
作者は胡桃沢耕史である。氏は『飛んでる警視』というミステリー小説で人気になった作家だったが、『黒パン……』において、直木賞を受賞しており、改めて認識しなおした次第である。
『翔んでる警視』は、破天荒な〈警視庁捜査一課・警視 岩崎白昼夢(いわさき・さだむ)〉が主人公であり、彼は、東大出の秀才で、国家公務員上級職の試験を三番で受かった。チョーがつくエリートであり難事件をいともなく解決していく。痛快コメデイーをともなったサスペンスである。このころから、警察官僚が主人公という小説が台頭しだしたように思う。
この系統で、田中芳樹氏による薬師寺涼子という、女性の警察官僚、女王様と呼ばれる美人警視が活躍し出す、〈薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ〉がある。こういった流れが人気を博し、大沢在昌、今野敏など警察官僚小説というものが、壮大な山脈をなしてきたものと考える。
余談ながら、胡桃沢耕史は、檀一雄の小説『夕日と拳銃』のモデルとなった、破天荒な野生児〈伊達順之助〉の実名小説『闘神 伊達順之助伝』をものしている。
田中芳樹は、SFロマンから中国歴史小説まで幅広く活躍しており、25周年記念オリジナル文庫『書物の森でつまづいて……』のなかで、年間に500冊の本を読むという本好きであるとし、さらに〈文明とは都市のことである〉と、言い切っている。
話が、やや、こんがらかってきたが、戻すと、自身のストレス・モンスターとギリギリの攻防を経験するほどでなければ、一流人とはよばれないのか(笑)という思いが生じている。
換言すれば、一流とは、ストレス・モンスターと人に呼ばれるほど、人気や責任を背負い、苦難に遭遇するステータスにほかならないのかと(笑)。
*適時掲載します。ヨロピク!