いくぞ新作⁈ (23)
アナログ作家の創作・読書ノート おおくぼ系
連載小説 はるかなるミンダナオ・ダバオの風 第23回
〈いままでのあらすじ〉
中城紫織(なかじょう・しおり)は、中城設計工房を主催している。ある日、中年の制服警官が訪ねてきた。〈ダバオに行った長男タツヤが過激派に拉致された〉とのこと。フィリピン・ダバオ支店長の天羽隆一(あまばね・りゅういち)はシオリからの電話にでた。拉致について総領事へ問い合わせると、拉致は聞いてないという。天羽はアンガスとジープを走らせ、アポ山裏の小屋にたどり着くが、タツヤは非番でいなかった。ダバオの市長選も現グスマンと前ドウタテイの戦いで、ねじれていた。
帰り道、天羽はダバオをふりかえる。ここで、日本人の村長さんともいうべき総領事安東博史と出会い意気投合した。天羽は安東を衆議院議員上國料の政策秘書として紹介した。二人は共通項があり、天羽が、〈ダバオの日本国〉というノンフィクションで新人賞をとっていたこと。安東も外交経験を書き綴った〈雪解けのプラハ〉という小説を上梓していた。ダバオの市長選はドウタテイの返り咲きとなった。天羽は施策が転換され、再び犯罪者や麻薬密売人の粛清がおこなわれると危惧する。タツヤが、天羽を訪ねてきて拳銃を買いたいという。天羽は、まずは銃の取り扱いを学べと、アンガスに訓練を託す。安東も国会議員事務所で半生を振り返る。シオリは警察庁から、またもや〈息子が、窃盗事件を起こしたので賠償してくれ〉というメールを受け取り、デタラメな時代へなったと嘆く。アンガスはタツヤに射撃訓練を行う。天羽は、ドウタテイ新市長を訪問してパトカーの寄付が欲しいと請われ、安東やシオリに相談をする。シオリは、それは、国の安東秘書の仕事だという。天羽は、ダバオに国際大学を創設する計画の手助けもせねばならなかった。タツヤは銃扱いの訓練を続け、一方、安東は、よくぞ小説〈雪解けのプラハ〉を書いたと感慨深かった。シオリは、サツマ環境センターの事業参入でノリノリであったが、天羽は事業の資金繰りに窮していた。こういう状況に、突然アメリカで同時多発テロが起こり、ミンダナオのアル・カイダもイアスラム過激派の仲間だという。天羽は、事業の縮小をきめ、アンガスがその旨をタツヤに告げると、彼は、〈自由ダバオの風〉を立ち上げるという。アンガスは相談に乗り、タツヤの援助を約した。安東は、パトカーの寄贈について交渉を重ねていた。
シオリは目論み通りに、環境センターのコンペを勝ち取った。ダバオは、渡航困難区域となり、天羽は交流を模索していた。そんな中、タツヤとラルクが、タスクフォースに連行される。アンガスが、二人を救出せんと留置場へ急行し、無事に救出する。シオリにはタツヤの抑留ことを知らせなかった。
シオリは、市電軌道の緑化事業に動き出し、江夏(安東)は、〈はるかなるミンダナオ〉を出版する。天心館館長一行がダバをを訪問し、その答礼会が催される。江夏の小説〈はるかなるミンダナオ〉が発行される。サツマとの交流も再開され、アジア文化まつりへの参加が計画される。
長い夏がやっとおわり、行楽・イベントのシーズンを前にすると、シオリは急に忙しくなりだした。メインは、アジア文化まつりへの、ミスダバオはじめ参加者一行の受け入れ体制や日程の調整である。サツマにはサツマーダバオ協議会専任の事務員がいないので、有志ボランテイアで行わざるを得ないが、実質の責任はシオリ一人にかかってくる。
さらに、市電の軌道敷緑化について、試行に基づくプレゼンテーションを行っていかなければならない。加えて自宅兼貸借マンションの設計図を完成させ、積算や建築委託の準備もせねばならない。ミスダバオ関連の必要経費についてはどうするのかを天羽に問い合わせたところ、一応立て替えておいてくれとのことだった。またも、あったとき払いの催促なしになるのではと、今までの立て替え分が大分溜まっていると、やや厳しく問い詰めたところミスダバオ一行と一緒にサツマへ帰ってくるつもりだから、詳細はその時話そうということになった。
シオリは、デスクの引きだしからメモノートを取り出した。今まで天羽に用立てた金額を見積もってみると、五百万円近くになっている。初期投資が必要なことはわかっているのだが、この金額を寄付した覚えはない。立て替え金なのだ、返ってくるあてがないとなると、こちらが困る。当座貸し越しの設定額内だからなんとかなっているのだが、いくらかは埋め戻さないといけない。
懸案事項が頭の中をめぐり出すと頭の芯がボーツとして、図面を引く仕事は手がつかなくなった。考えがまとまらなくなり、思考が焦点をむすばずさ迷っている。天井を見上げて、しばし見つめた。このモヤモヤ感をどうするか。
突然、タバコを吸いたい……脳がささやいた……ここ何年か忘れていた。
デスクの引き出しを開けて奥をあせくってみた。あった、シケモクだ。何年か前に買ったピースの紺色の箱が出てきた。上ふたを開けてみると、まだ、すえたタバコの匂いは残っていた。灰皿、マッチはと、机の先からトレーにしていたガラス製灰皿を手前に持ってきて、再度引き出しをまさぐった。銀灰色に静まっていたジッポーが出てきた。これは、かって、ボクのアクセサリーだった。ライターがスターだったころの想いが戻ってくる。
カチッとふたを持ち上げて、発火ノブをこすってみる。火花が飛んだが、火はつかなかった。油切れだ、フフ……と笑みが漏れてきた。中年熟女のボクみたいだ。
オイル缶はどこだったけと、後ろの棚をまさぐった。確かこのあたりにあったはずだ。あった。棚の後ろで埃をかぶっていた。ジッポーの後ろ部分を抜き、フェルトの部分にオイルを浸み込ませていく。セットし直して、バシャと着火ノブをこすってみる。ボッと音とともにゆらめく炎があがった。ともにオイル特有のなつかしい香りにつつまれる。まだまだいける、揺らぐ炎をジッとみつめて、おもむろにピースをくわえて火をつけた。
大きく一服吸い込むと、急いでガラスドアに向かい、玄関から外に出た。事務所内にタバコの匂いが浸み込むのは、ご法度である。
事務所はメイン通りからひとブロック引っ込んでいるが、外は車の喧騒で満ちている。歩道のイチョウの陰に寄りながら、煙をゆるやかに吐き出す。紫煙がイチョウの葉を縫いながら穏やかに浮き上がってゆくのを見上げていると、脳内のこわばりも溶けてゆく、不思議なものだ。二服、三服吸うとトリップ感がみちてきて首や肩の力も抜けて、身体が幽玄に浮かび、至福のひとときに満たされる。
イチョウの葉はまだ青いが、すぐに色づくだろう。秋がしんみりと近づいてくる気配があるのだが、このもの想う気持ちは、四季のある日本だからだろうと考える。ダバオでは春と夏のくりかえしで暮らすことになる。と、秋、冬のしんみりした季節はなく、もの想う感情も育たないのだ。頭のモヤモヤが晴れてきたので、回れ右して事務所に戻り、デスクにすわった。
ジッポーを引き出しに入れようと思って、ふいに、バシャバシャァ、とノブをこすって火を点けた。オレンジ色の火がゆらぐ、このマッチ箱大のライターのデザインは、大きなハートの半分が刻まれている。もう半分は別のジッポーに刻まれており、二つ合わせるとハートがつながるのだ。カシャ、ジッポーを閉じた。ペアになったライターのもうひとつを誰が持っていたのか、過去の切ない想い出であったものが、もうセピア色にかすんで見える。あれ以来、これはという、いいオトコに出会っていない。ただ、男どもと組んで楽しい仕事はしているなとは思える。
一息入れたら活力が戻ってきた。市の観光課へアジア文化まつりの打ち合わせの電話をかけた。来週になると天羽さんが先行して帰鹿する、準備しておかねば……。
天羽は、早朝の便でダバオ空港をたち、三時間半かけて香港空港に着き、トランジットとして一時間半を空港内で待機したのち、三時間半かけてサツマ空港へと降り立った。
午後六時を過ぎていたので、そのまま県都にある自宅へ直行し、荷物を置くと、ラフな格好のまま、中央病院へタクシーを走らせた。事前予約で、今晩を病院で過ごしたのち明朝から、一日かけて精密検査を受けることになっていた。
天羽は、アイコの社員扱いであるので、会社の社会保険が使えるのである。
朝早くから血液採取にはじまり、MRAによる血管造影撮影、胃の透視、心電図など、ドックなみの検診が半日かけて行われた。そして午後四時過ぎに担当医師から結果の説明があった。検診衣をはおった天羽は、医師の前に腰かけてかしこまった。
「脳血管については左頸部に、動脈硬化による石灰化がみつかり狭窄となっています。手術は考えておりませんので、血液をサラサラにする服薬で対処しましょう。また、胃に軽度のガンが見つかりました。これが、進むと面倒ですので、手術による除去か、抗ガン剤によることになりますかね。さらに肝硬変の兆候もあるようです。アルコールの摂取が多いようですね。禁酒とはいかないでしょうが、休刊日を設けるなどひかえた方がいいでしょうね。いずれももう少し経過を見てみましょう。定期的に検診を受けてください」
どこか悪いとは思っていたが、あっさり言われると、さすがに気落ちした。やはり、きたか、健康を無視して突走った結果だから致し方なく、いまさら後悔もわかず、ああそうかとの感慨しかわかなかった。かすかに人生の後始末に係る時期に来たのかなとの思いが強くなった。生き方が変わる?
ありがとうございましたと、医師に頭を下げると、ロッカールームへ引き下がった。
夕方は、シオリさんと居酒屋での会食を予定している。
カンパーイ! 天羽は、シオリの事務所近くの居酒屋で、彼女のダバオ訪問以来、半年ぶりに再開した。
「ほんと、シオリさんには、今回もお世話になりますね」
「ボクも人のよさにわれながらあきれてるよ。こちらも大忙しなんだ」
「経費のことだけど、毎回、渡航費用、宿泊費に歓迎会費用などをどう工面するか、頭が痛い。胃も痛くて今日は中央病院で精密検診を受けてきた」
で、どうだったと聞かれるかと思ったが、そうではなかった。シオリは、
「すべてのことに経費がかかるから、ボランティアだけではやっていけないよ。宿泊先や歓迎会場はおさえたけど、支払いは大丈夫なの」と、核心にふれる。
天羽は、半分残っていた生ジョッキを、一気に飲み干した。
「歓迎会は、サツマの参加者に会費を払ってもらうので、なんとかやってけるだろうが、宿泊費や移動のマイクロバス代、土産代、その他の経費がけっこうかかる。年会費を当てても不足するだろう。後は、個別の企業へ何とかお願いせねばならない」
天羽は、焼き鳥の串をつまみながら、焼酎の水割りに変えた。酒は節制せねば、体に悪いと思うが、飲みだすと止まらなかった。
「ふーん、うまくいくといいけどね。話は変わるけど、私への未払い金もけっこうたまってるのよ。五百万円近く」
「……そうだね、今夜は酔わないうちにそのことを話すつもりだった……」
シオリは、焼酎をソーダで割って、レモンを多めにたらしてカクテルにしていたが、一瞬、おやっと思った。いつもの天羽とトーンが異なる。
「おふくろが亡くなって三年忌も過ぎた。オレは、ダバオで生涯をすごすつもりだからサツマへの縁がなくなった。実家を処分しようと考えている……それで、今までのつけを払うつもりだ」
実家は、七十坪あり坪単価は六十万ほどだから、四千万ほどになるだろう、何処か知りあいの不動産屋を紹介してほしい、そこからシオリさんの返済にあてると、述べた。
一気に核心をしゃべるとコップの水割りを流し込んだ。
「……正義を掲げ、理想を追う奴は、金もうけはできない、やっと分かってきた。ある面非情じゃないと金儲けはできないし、金は貯められない……」
シオリは、かえす言葉がなかった。父から引き継いだ資産があり、その上にさらに財を成そうとしていて、それなりの苦労もあるのだが、天羽に比べると恵まれていた。
「正義をかかげるというのは、自身が社会的下層で不満の坩堝(るつぼ)にいるから……かも……いや、齢のせいか体の底からやってやるか、というエネルギーが湧いてこなくなったんだよ。気持ちはあるのだが、体がついてこない。精神的にも弱くなったと思ってる」
「ところで、タツヤはいつ帰ってくるの」シオリは、話題を変えた。
「タツヤや新田君は、彼らは若いエネルギーに満ちている。ここ三年をめどに、食品工場を立ち上げるつもりで一心不乱に頑張っている」
「そうなの、タツヤもダバオ人になってしまうのかしら……」
天羽は、ねぎまにかじりつき、水割りのおかわりをした。だいぶ酔った気がする。今までの疲れがかぶさってきたのか、体が揺れてまぶたが重たくなってきた。
「明日もあるから、これくらいにしましょうか」
いままで、天羽の酒に付き合って酔ってくるとグチャグチャとうるさいなとは思ったが、今晩は違っている。言葉が泣きに聞こえる。こんな弱気ははじめてだった。彼は、硬派ではあったが、案外情にもろい泣き上戸が本質だったのか……
早く帰って、旅の疲れを取った方がいいとレシートをとりあげて早々に切り上げた。
二人、路地を出て通りから流しのタクシーを拾い彼を乗せた。
シオリは、見送った後、近くの事務所まで足を延ばした。熱い紅茶を飲みたかった。
施錠を解除して事務所に入り警備ロックを外した。
電気をつけると小さなキッチンでお湯を沸かした。気候もひんやりしてきたせいか、今晩の天羽との懇親会は、静かに収束した気がする。彼は、飲むピッチが速すぎ、酔ってしどろもどろになることも多かったが、今夜みたいに意気消沈し、泣きが入っているのは今までなかった。酒が入ると、オトコどもの本性が良くわかる。
同窓生でも、シラフの時は仏様かという、温厚で面倒見のいい優しい奴が、酒乱で周りにからんだり大騒ぎをする。完全に酔って服を脱ぎ、真っ裸になって走り回るのもいた。彼は露出狂だと言われた。
酔った勢いでケンカをはじめるもの、結構、多いのだ。それだけオトコどもは日常にストレスを抱えるのかと言えば、そうかもしれないが。
ただ、オトコだけかと言えば、そうでもないかもしれない。
前の高校の同年同窓会での出来事があった。和室に長テーブルをすえて、和食の会席であったが、酔いがまわるとみな結構盛り上がり、シオリもいくぶん酔っていた。畳座席だったので、あちこちで意気のあったものが輪をかこみ弾んでいた。と、突然、シオリの前に女性の同級生が座り込み、中城シオリさん、お久しぶりです。と声をかけてきた。そして、お会いできてうれしいです。と、ハグをしてきた。さらに目をじっと見つめると、突然、首に抱きつくと、唇を求めてキスをしてきた。ビックリして、顔を離すと、ありがとう、大好き、うれしい、と言って去っていった。驚きの一瞬、あれは一体何だったのか。小柄な可愛い子だった。
ドキドキ感がもどってきて、酒の赤みがいっそう増したようだった。酒の乱れた宴にはいろんな衝撃があるもんだ。
そんなこんなが浮かんできて、ダージリンのふくよかな香りにさわやかに酔ってしまった。
ダバオ一行が、サツマへ着くとシオリは、一段といそがしくなった。
ミスダバオ・アラウナ嬢の西南日報への表敬訪問へも同行した。
その翌日には歓迎の紹介記事が掲載された。
ーーミスダバオのアラウナ嬢がサツマを訪問した。ダバオからの親善大使として東都とサツマを訪問し、青年代表として両国の相互理解を深めることとしている。サツマでの日程と費用は、事業を推進するサツマーダバオ交流会が負担し、三泊四日の滞在中に、〈おはら祭り〉への参加、サツマ市長表敬訪、メディア訪問ほかサツマ女性との懇談会などが予定されている。アラウナ嬢は、取材に対して「大学では政治学を専攻してます。日本に出稼ぎに来ているフィリピン女性がいますが、何かがおかしい気がします。人間としての尊厳をもって扱われるべきです。私も今回税関で嫌な思いをしました。もちろん私たちの国も努力しなければいけませんが」と、率直な意見を述べたーー
( つづく )
* 10月になりました。収束にむけて、いけいけドンドン!!
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