夏がく〜れば思い出す〜2
セミのお話です。
ある日もいつものようにセミをたくさんカゴに詰めて家に帰ってきた。捕まえたセミたちを空に放っていると、もう力尽きそうな一匹のセミが何度投げても地面に落ちてきた。
あぁ、この子はもう飛べないんだな。そう思ったわたしは家の塀にそのセミをとまらせ(今考えるとどう考えても木に止めてあげたかった)満足げにセミに「バイバーイ」と告げ家の中へ入ろうとした。
クシャッ
秋に落ち葉を踏んで遊ぶ、あの音。この時期に落ち葉なんてあるんだなあ〜と思い落ち葉があるはずの自分の足元を見ると潰れたセミがいた。
心臓が速く動いて汗が出た。塀を見るとセミはいなかった。これはさっきわたしが塀に止まらせたあのセミなのだ、と思った。
家に急いで入り、泣きそうになりながらでも他人事のように父に「死んだセミとか潰れたセミってどうなるの〜?ずっとそこにいるの〜?」と焦りを隠しながら聞いた。父は、雨で流れたり猫が食べたりするんじゃない?と教えてくれた。
天気予報はどうだろう、一番近いうちで雨が降るのはいつだろう。野良猫はうちの近くにたくさんいる、来てくれないかな。とにかくあのセミが自分の生活圏内から消えることを願っていた。もちろん、自分よりあんなに小さい命を自らの手で奪ってしまった罪悪感を強く感じながら。
わたしが幼稚園に通っていた頃、よく遊んでいた友達の弟がカタツムリを壁から剥がし地面に落とした。クシャッと音を立ててカタツムリの殻は割れた。
カタツムリって落とすとしんじゃうのか、わたしはそのことを初めて知ったと同時に、まだ小さい何もわからない友達の弟に嫌悪感を抱いた。なんてひどいことをするんだと、ひどく嫌な気持ちになり距離をおいた。
あのとき、自分より小さい子がしたあの行為にあんな気持ちを抱いたのに、同じ事をしてしまった。さっきまで生きていた命を自分の大きくて重たい足がいとも簡単に壊してしまったのだ。この出来事は幼かった自分を少し変えた。そのとき初めてわたしは「自己嫌悪」という感情を知ったのだと思う。
この出来事があるからわたしはセミに特別な思いを抱いている。夏になると、うるさいと思いつつも元気よく鳴いてくれて嬉しく思い、このことを思い出してはあの時はごめんなさいと毎年心から思っている。セミはわたしにとって他の虫とは違うのだ。
蚊が自分の血を吸っていたら容赦無く叩くし、バイト先のコバエにはアルコールを吹きかけているくせに、セミだけ特別なのか!そう思われるだろう、ほんとにそうだよなあ、そうなんだよなあ、、、
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