定年後の“未来”は?
氷河期世代……もうアラフィフ
90年代後半、「就職氷河期」と言われていました。いまでこそ、「人手不足」などと言われますが、当時は採用すらなかったんです。(そのシワ寄せで四十代の社員が少ないという歪な年齢構造になっている企業もあるとかないとか)
そんな氷河世代ですが、「アラフィフ」になりつつあります。私は2浪したので既に五十歳になっています。
政府は(今更)氷河期世代救済政策などをしていますが、既に四十代後半から五十代に突入している人たちはそろそろ「定年」という言葉すらちらついています。(そもそも「政府が救済する」という考えがあまり好きじゃない)
中には、新卒時代、給与は安いけど仕事があるだけ……ということで今の仕事をしている人もいるでしょうし、正社員ではなくもっと不安定な地位でしかやってこれなかった人もいるでしょう。
そういう人が多い中、定年後の生活……といっても、年金もほぼもらえないでしょうし、貯蓄と言っても大半の人は定年後、遊んで暮らせるほど莫大な“財産”があるわけでもないかと思います。
でも、時間は差し迫ってきます。日一日、定年までのタイムリミットがやってきます。
「定年」――どこか悲壮感あるけれど
「定年」と聞くと、どこか悲壮感があります。もう会社から必要とされなくなってしまう……猛烈サラリーマンであったならそういう感傷もあるでしょう。「会社のために!」と働いてきた昭和のサラリーマンも燃え尽き症候群になってしまった、なんて話も珍しくありません。
ただ、人生100年時代と言われる中、定年(大体65歳)とは言え、“その先の人生”を生きていくためにもお金を稼がねばならないでしょう
各言う私も今年五十を迎え、定年という言葉が徐々にちらついてきています。あと十五年と考えるか、もう十五年しかと考えるかは人によりけりです。
定年後も雇用継続……と言っても、給与は減るでしょう。給料が減ることを批判するわけではありません。これは当たり前です。
定年後の人生を生きていくためには「貯蓄」をしていくことも大切でしょう。しかし、果たしてそこまで貯蓄ができるかどうかも不明。「投資」という手もありますが、これも元手がいります。
さて、どうしたらいいのか……ということを、今後いろいろ考えていきたいと思います。