【社内報】昭和ノスタルジー厳禁!
『社内報』の意義とは?
早速ですが、皆さんの会社に『社内報』というものはありますか?
大手企業になればなるほど、定期的に発行されているかとは思います。季刊(3ヶ月に一回)の冊子形式などはオーソドックスでしょう。
以前、冊子もの(しかも36ページ以上はあった)を毎月発行されていた関西のインフラ企業がありました(今はウェブに移行されたとか)。また、大阪を発祥とする世界的家電メーカーも紙媒体の社内報を廃止し、ウェブに移行したけれど、やっぱり紙に戻ったということがニュースになったくらいでした。
上記のような話を聞くに、『社内報』に対する、その企業ごとの“存在意義”を感じますね。
私も社内報制作業者時代、関西の名だたる企業様の担当をさせていただきました。ただし、一社として同じような社内報になることは“絶対に”(大切なことなので強調します)ありませんでした。
でも、実は…
ただし、こういうのはありました―「この会社の担当の人、ちゃんと考えているかな?」
どういうことかといえば、(紙の)『社内報』=「古いもの」という、ある種の刷り込みがあるようで、社内報に存在意義を見出していない、あるいは、その“力”を信じていないんですよね。もったいない……。ただ担当だからその仕事を仕事として回しているだけ、みたいな。
僕が制作会社から事業会社の広報に転身したのも、そこなんです。業者はあくまでも業者。その会社の社員に徹底させるという部分には限界があると感じたからです。
『社内報』=「古いもの」というご認識の企業(あるいはご担当者)様は、昔の社内報(私は「昭和の社内報」と言っていました)のイメージが強いのでしょう、こちらが企画を提案しても「こんなことする必要ありますか?」「ウチにはそぐわない」と一蹴でした……。
「昭和の社内報」とは?
「昭和」と聞くと、どのように感じますか? 「高度経済成長を支えてきたモーレツサラリーマン」とか「年功序列」、「だまって俺について来い」……まぁ、こんなイメージです。パワフルな時代だったと思います。考えてみると、パソコン、インターネット、スマホはおろか携帯電話すらない時代ですよ。
これは仮説ですが高度経済成長を支える上で、止むを得なかった企業の形だったのではないかと思います。また、「集団就職」「金の卵」という言葉もあったように、地方から出てきた若者たちをいかにして企業の戦力にしていくか、という部分もあり、ある意味で「和を以て貴しとなす」、「和」こそが企業だったはずです。だからこそ「社員旅行」などのレクリエーションも多く、ある意味で強制参加だったわけですし、その強制すら疑わなかったはずです。(「忘年会スルー」などありえない時代です)
で、そんな時代の社内報ですから、内容的にも「和を以て貴しとなす」、社員旅行のことが載っていたり、○○営業所の飲み会の様子なども載っていたわけです。
でも、どうですか? そんなまったりとした社内報、誰が読むんでしょうか?
つまり、内容が総花的で、情報を精査せず、会社の出来事を何でも載せてしまう媒体になってしまったのではないかと思います。
そういう社内報が増えてしまい、社内報はますます廃れていってしまう、あるいは「なんか会社が出している雑誌(新聞)めいたもの……まぁ、読めへんけどな」みたいな扱いになってしまっていったのではないかと思います。
私が社内報制作業者だったのは、今からかれこれ十五年ほど前です。さすがに「昭和の社内報」はそこまで多くは存在していませんでしたが、時折、生きた化石のようにいるんです。
問題は担当者の意識
「昭和の社内報」は見た目上は絶滅しているかのように思うのですが、なんせ担当者が昭和生まれ(最近は平成も増えてきましたが)ばかりですから、見た目は21世紀風でも、中身は昭和ということはザラにあります。
社内報担当は、企業の中の業務として、少し特殊な部類。クリエイティブな要素が強く、出版系の仕事を経験された方ならまだしも、そういう経験をされている人が少ないのも事実。今まで総務畑ばかりだった人がいきなり社内報をやれ! と言われても躊躇してしまうのは致し方がないことでしょう。
私がいる関西では特にその傾向が強いように感じます。そもそも出版系の仕事をしている人の割合が少ないですからね……。さらに社内報という、社内でしか出回らない特殊な出版物なので、他社比較がなかなかしづらい。
とはいえ、今回の結論!
「社内報制作において、昭和ノスタルジーは捨てましょう!」です。「昭和の社内報」ははっきり言って社員に読まれません。読まれない社内報作るって、虚しくないですか?
「読まれる社内報とは?」、「会社にとって重要な意義を持つ社内報とは?」について、次回はお伝えしたいと思います。