「香り」と「平安時代」と「記憶」
匂いというものは、日常に当たり前のようにある。それは香水やお香など人工的に作られるものもあれば、木の香りやパン屋さんの匂いなど外を歩いて入れば漂ってくる地域限定の香りなど、匂いというものはたくさんの匂いがある。その中でも私が好きな匂いは「お香」の香りで、お香の中でもたくさんの種類があるが中でも、日本製のお香が好きでパッケージがよく平安時代の人が描かれているものが多い。しかし、私は匂いを一時期嫌いになった時がある。それは、高校生の時私はほぼ底辺高校に行ってたのだが、そこでの生活をして行く上で人との交流は欠かせないが、女子たちがものすごい匂いをする安い香水のようなものをつけており、お弁当の時など匂いが凄くて美味しく感じられなかった時もあるぐらいだ。そんな中、自分の好きな匂いのお香をみつけ家に帰りお香を焚きながらコーヒーを飲むのが楽しみだった。
しかし、私が好きな匂いがするお香は、一箱1万円するようなもので毎回そのお香を使えるわけがなく、ヴィレッジヴァンガードに売っている安い外国製のお香を一人暮らしの狭い部屋で焚いているので、毎回むせながらもお香を焚いている。このエッセイを書いている今も、焚いている。そんな私が好きなお香の匂いのパッケージはさっきも言ったが平安時代のものが多い。
私はなぜ、平安時代の絵がパッケージになっているか気になり調べたことがあるが、『源氏物語』の文章に「香」との関わりが描かれており、それをイメージして作ったお香に平安時代の絵をパッケージにすることが多いらしい。
私はこのエッセイを書いている時に感じたのだが、匂いというものは記憶に残りものだと思う。最初に書いたように、パン屋さんや木の香りを思い出すとどこの道を歩いていたら匂いがしてきたとか、高校の時の嫌な匂いを思い出すと高校生活を思い出すなど、匂いだけで思い出が蘇ってくる。
皆さんは(見てるのはグループのひとかな?)匂いに気をつけながら散歩したことありますか?なかったら一度でいいので匂いに気をつけながら生活してみてください。懐かしい匂いが漂ってきて懐かしい思い出に浸れるかもしれません。
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