シキ外れ
第九章
「伊江圭って日本人っぽい名前だし、日本国籍だし、日本人らしい日本人だろう。前の事、もう一度言おう。父さんが占いということを信じていた。こっちの名前もそのことに深く関係している。苗字は『伊』で、『江』は生まれた時に占いに五行に水性も土性も欠けているそうだから、水性の不足に引き当てるために江をくれた。圭は父がくれた字だ。その字の意味は祭りなどの場合で道具として使われたものだ。父は幼い頃から古代の歴史に興味があったので、考古学者になるために頑張っていたけど、いろいろなことがあって諦めてしまった。夢が砕けてしまったけど、やる気がまだ消えていなかった。すると、その夢をこっちに押し付けた。また、『圭』は二つの土からなるから、圭をつけてくれた」
「結構面白そうですね。まさかお名前にはこんなに深い意味が含まれています。ぜんぜん思わなかったんです」
李鳴が咳をして、そして筆を窓台に置いて、こわばった手の痛みを取らんがために歯を食いしばって、腕を何度も振るとすぐに筆を摘み上げて再びよい身構えができた。
しばらく会話が再開された。
「名前のことはここまで、さっきの続きを、そういえば、どこまで話したっけ」
「'最後の日’なんでしたっけ」皺を寄せた李鳴がノートのページを速く捲って、談話の内容を確かめた。
「お、最後の日にはあまり目に立たない店で信川さんと酒を飲んだ。信川さんは酔っ払って、私は一応酒を控えておいたけど、せいぜい揺れずに歩けるぐらいだった。例のことは先日のように、遅くなると信川さんが幸子を早めに帰した。毎日、信川さんが酔っぱらうと昔のことを語ってきた。奥さんが早く世を去った。信川さんには、妻と縁を結んだ日から、再婚しない覚悟を決めている。これからはずっと一人で歩いていくということだ。奥さんのことが終わったばかりに、また娘さんのことに入った。幸子は私より三才若い。一人娘だから、ずっと可愛がってあげている。甘やか過ぎたせいか、幸子は捩じれた根性が付いた。そのため、別れた彼氏もう何人もいた。誰とも価値観の相違があって、ばかなことで喧嘩したあげく、別れたことになってしまった。友達に娘のことを聞かれるたびに、大丈夫、手を出したくない、幸子ならきっと夢の王子様に会えるとか言い切っていたが、結局、一番覚束ないのはかえって父さんのほうだとかの言葉を言い切って、黙り込むようになっただけだ。今日も多分それぐらいだろうって思ったから、そろそろしまおうって、平日のように外に行って、電話ボックスで幸子に電話をかけておいたりして、タクシーを払って信川さんをお宅まで送ればいいけど、あいにくあの日の空模様はちょっと崩れそうだった。月の光さえほぼ見えなくて、風も強くて、ずいぶん寒い夜だった。さて、電話をしたのに、タクシーが一乗もなかなか見なかった。仕方ない。また幸子に電話をかけた。信川さんを支えて、お宅まで送らせてって言ったが、最初は断られて、自ら迎えてくれると主張したけど、かろうじて説得した。あの一ヶ月では毎日も信川さんと会っていたけど、直接とお宅まで伺うことがあまりなかったことだ。道のシルベに頼って、お宅に行くぐらいのことは問題なさそうだ。その店からお宅まであまり遠くないことだから。こうして、頭痛を堪えて泥酔した信川さんを支えて帰りの道についた。結局予感にあたってしまった。交差点を回ると大雨が急に降り出した。滝みたいな雨だった。それでやむを得ずに信川さんを間近の居酒屋に連れた。しばらく待っていたけど、雨が少しも弱くなるように見えないし、工夫して店主に電話の利用許可をもらって、なんとか幸子を心配させないように、ちゃんと説明して、納得してもらった。こっちのことは一応片付けたばかりだけど信川さんが騒ぎ出しちゃった。
『座れ、一杯付き合ってくれ』ってそばに呼び寄せされてしまった。席につくと『ちょっと、大事なことを話したい、よく聞け』って言ってから、急に笑いだした」
「あの、話の腰を折りまして、すみません。少し時間をくれませんか。インクが切れてしまった。電気なら、つけてもいいですか」
「いいよ。」
電気をつけてから、ぱっとテーブルのところに戻って、椅子にぺたりと座った李鳴が万年筆をテーブルにぐいと押して、すっとカバンの取っ手を握って、懐に引きつけて、中のインク瓶を取り出すとてきぱきとインクを入れる。
「はい、準備万端です。って、信川さんがなんと言いましたか」車椅子のそばに戻ってきた李鳴が恭しく頭を下げる。
「建築現場の事件に招かれてきた世論に圧制するには必要な努力を払ったろう。まして建築の事故なんて、そのようなことは一層だった。建築からの利益を分割してでもも、世論の風をなんとかして、変えなくてはいけない」
「え、それは信川さんがそれだけ言ったの」李鳴が俯いて、車椅子にゆるりと近寄った。
「半分だった。一番重要な話は取り立て屋が来たということだ。借金証文、また株式譲渡の書類を信川さんに突きつけたっていうことだ」
「あの、お言葉はちょっと飛びすぎますが、ちょっと、」
「まあ、焦るな、ここだけ、聞けばよい!」
「彼らが宋明義の代わりに借金を取り立ててきた」
「その借金は実は何年ぐらい前から少しずつ、無条件でもらっていて、最後まで合わせて、多分1500万円の額となった。あの時意地を通して、宋さんに借金証文の契約を無理やり承諾させた。それ以来宋さんがまた少しずつ900万円ぐらいの金を信川さんに貸してきた。ある日に、宋さんと一緒に海辺に来て、どうしても金を返済したいのなら、サインをしようって誘われて、そして変な契約をした。って、信川さんがそうに伝えられた。全ての債務を返済すると、宋明義に30%の優先株を送ることになっているって書かれた契約書だった。それはどう見えても、比べにならない闇金だった」
「信川さんがそんなものにサインしましたか。信じがたいです。その時には本当にそこまでにうらぶれたの、」
「たとえ身は落としても、それはどうだろう。だって、宋明義が伊江信川の前で、全ての借金証文を焼いてみせたよ。その後の話なんだけど、もちろん、それはコピーされたものなんだよ。さあ、李さんはどう思うの」
「え、そうすると、もしかして詐欺するつもりですか。いや、違います。たとえ焼いたのはコピーされたものですが、わざと焼いてみせることは、いや、やはり詐欺ですか。いや、そうすれば、いろいろなリスクが高すぎるでしょうか。そんなバカな数であれば、本当に復讐されることに心配していなかったの、宋さんが。そういっても、動機がどうにも読めませんぞ」
憂色を帯びた李鳴が筆を一時止めて、キャップで紙を敲いて、ふと目を窓外の景色に振り向けた。
「それも問題点だった。もう一つおかしいのは借金取りを持っていた契約書の持ち主が宋明義の従弟呂昊学(リョコウガク)という人だ。もっともおかしいのは信川さんが弟さんに借金についてのことを何度も探りを入れたけど、弟さんが借金のことを少しも知っていなかったらしい。血族相続人の順番という関係から見ても大混乱していた。契約書が弟さんの手にも届かないまま、直に宋明義の従弟の手元に届いた。宋明義の息子とした弟さんさえ知らなかったことはなんでただ親戚とした呂昊学が知っているの。って、背中、ちょっとしこった。ベッドに支えてくれないの」
「あ、すみません、つい」書き記すのに夢中になった李鳴が慌てて筆とノートを置いてから車椅子を取り扱い始める。
「これでよろしいでしょうか」李鳴は聞きながら、背中にもう一つの枕を挟み込んだ。
「いいんだ」伊江圭が軽く頭を下した。
「一応確認させていただきたいことがあります。よろしいですか、」
「構わん、」
「お弟さんの父親は宋明義、そして、宋巧巧のも、」
「まさしく。銀行を出た瞬間に感じられたよ、」
「何を、」
「さあ、当ててみよう、」
伊江圭が笑いながら、李鳴を見つめる。
「あの、その契約書は法律上認めらていますか」
「認められているよ。だから、さっき言っただろう。建築現場の責任は会社に背負わせてもいいけど、しかし契約の借金と優先株の株の責任は逃れられない。ちなみに、宋明義の従弟ー呂昊学は伊江信川のライバルの一人だった。他には何か聞きたいことあるの」
「いちおう確認したいですが、呂昊学の持っていた証文がコピーされたものでしょうか」
「そうだよ。本物は金庫に眠っていたんだ」
「そうですか。その瀬戸際に矢を放った主はきっとその不安定な時期の加勢で信川さんを殺すつもりなんでしょう」
「いかにも、外にはもう理由いないはずだった。彼が現れた時機はどうしても偶然にすぎるんだ。まるで、」
「そのきっかけを待っていますって、それとも、まさか!!!!!」
「なんでそれらを早く言ってくれませんか、そうすれば、」
「もういい、これ以上知らないぞ。続けよう。莫大な借金の由来など語りおわると、黙ってしまった。私も同じだった。多分朝3時半ぐらい、店頭のベルが鳴った。外を見ると、まさか幸子が来てくれた。彼女は服がずぶ濡れだった。目が赤く腫れた。彼女を見て、何か何も言えないで、ぼんやりした。もともと罵られたつもりで、予想から外れた。幸子がただ傘を捨て、濁った声で『父さん』と叫んで縋り付いた。何分ぐらい経ったか、幸子が落ち着いた。その時信川さんが『今夜、うちに泊まろう。』って誘われて、二人の具合が心配していたし、雨もまだ激しいし、どうも拒みがたい場だから、このまま信川さんの誘いに乗って、支えあって車に入った。運転していた時、幸子が咳き上げていたから、少し聞いてみると『大丈夫です。ちょっと風邪なのかもしれません。』って答えただけだ。そう言われたので、黙るしかなかった。家の前に着いて車が止まったところ、信川さんが口を覆って、狂って家にすっ飛びに行った。玄関に入ったところへ、嘔吐の音がした。すると幸子の話しに従えて、一人で居間に行った。しばらく経って、幸子が信川さんを支えて、入ってきた。信川さんは喉が乾くて、辛いとか言って、幸子をお茶の用意に行かせた。幸子が居間を出たのを見て、それをきっかけにして、『お娘の顔色がちょっと優れなさそうだ』って言ってから、信川さんが血相を変えて、ぬっと立ち上がって走っていった。案の定、幸子が風邪を引いた。高熱だった。こうして、付き添いの役を買って、信川さんと交代で幸子に看取った。最後に目が覚めた時は何時かわからなかったけど、ずいぶん長く寝た気がした。幸子の部屋に入って、すでに床で寝入った信川さんを見た。二人を邪魔しないように、こっそりと幸子のそばにひざまずいた。ちょっと額に当ててみて、顔色からして熱が大分引いたって思った。額に被せたタオルを入れ換えるつもりなんだけど、タオルを被せようとしたところで、幸子が覚めた。まったく驚いちゃった。『お迷惑かけまして、ごめんなさい。』っ言ってくれて、一安心だった。正直、その時部屋の電気は消されていて、ちょっと暗かったから、幸子がいつ目が覚めたかぜんぜん知らない。このまま、繰り返しながらもがいて、ようやく朝が来てしまった。信川さんが起きてから、こっちのことで驚いてしまったみたいけど、礼をしてくれて、朝食を作りに行った」
「一応社長ではないでしょう。それはそれは…」李鳴がしきりに頷いた。
「まあ、人はそれぞれだから。朝ご飯を食べていた途中に、信川さんの弁護士がやってきた。え、当時もともと信川さんが幸子に契約の件を内緒しているけど、前夜家への弁護士の電話のためばれた。『そもそも向こうもコーピされたものですし。もし契約書の借金証文の現物が出せたら、勝てます。』って言ったけど、そうはいえ、」
「たとえ現物を持っていても、返済しなくてはいけません」
「そう、あの時こそ、邪念を働いてしまった。食事の後に、信川さんに別れを告げて、すぐに家に戻った。宋名義の運転免許とお印届けを小型の箱に入れて、中庭の隅で深く埋めた。そして手紙を書いた。手紙の内容は借金証文の現物のありかを知っている。もしそれを知りたいのなら、上海の和平ホテルで会おう。時間をきっちりと見計らって、郵便局に送った。最後、僕は大変なことが出たことにかこつけて、仕事をやめて国へ帰った。そう、別れた時に信川さんが10万円も手渡してくれた。それを思い出すたびに本当に後ろめたくてたまらなかった。故郷に帰った時はもう深夜だった。家に帰って、翌朝妻を驚かすつもりなんだけど、ドアを開けてドアがかかっているのに気づいた。客間の電気をつけると壁に掛けてある黒白の写真を見た。宋巧巧の。いつ経ったの、もうわからなかった。もうなにも、」伊江圭がぐんぐんと目を揉んで、仰いで深呼吸をした。
「きっと辛かったでしょう。あの、もう一つちょっと確かめなおしたいですが、国に帰る前に家のことはもしかしてちっとも知っていないですか。もしかして家の手紙が届きませんでしたとか、」
首を傾げた李鳴がちらっと顔色を見てさっと目を逸らした。
「そんなもの遅すぎるんだ。急性白血病なんて、ただ5日で命を亡くしたそうだ。そういえば、あの時、もし李さんがいなければ、南谷も……」
白い壁を見つめていた伊江圭の話し声がだんだん小さくなって、とうとうエアコンの音に消えた。
「やるべきことをやったにすぎません。命の恩人の息子を見捨てることなんてありえないです。お宅に行く前に、南谷がお隣の人に配慮を受けてもらっているらしかったんです。彼らと違ったのはただ南谷を上海の病院に送っただけです。そういえば、昔、南谷は伊銘武(イミンウ)でしょう」気が散ったような伊江圭を覚ましたように李鳴の声が少しずつ大きくなった。
「昔じゃない。伊銘武でもいい、伊江南谷でもいい、どっちも私の息子だ。一人だから」
伊江圭も苦笑して、李鳴もついて苦笑する。
「えっと、というと南谷は名前の事ってもしかして伊江さんのことに関わっていますか」
「少々あるけど、‘伊江’の原因は私と同じようだけど、‘ナンヤ’だったら、え、確か私も、いや、ただ忘れたかも、多分そういうことなんだ」
「はい」
「ところで、屋台での出会いって、なかなか懐かしかったなあ。時々思うたびに、笑いがちになるなあ」
「え?そうか、なんと言って、なんだか病院にボッタクリされて、怒っていました。金もうほぼなくなったんですし、いらいらして、道までもあまり見ませんでした。ぶつかったらつい罵詈を漏らして、てっきり目の前の人に殴られると思いましたが、まさか本当に帰ってきました」
「おっ、よく覚えたね」
「もちろんです、え、なんですか。その頃大変なことが出てしまいました。えーと、あった。ダグラスのJA8048のDC861の飛行機が上海虹橋国際空港に不時着のニュースにずいぶん驚きました」
ノートの表紙にぴったり接着したほどの紙を少しずつ分けた李鳴がノートにぼんやりして書かれた文字を何度も呟いて、ようやく筋の良い言葉を紡ぎ上げた。
「そうか。よく知っているね」
「すみません。こっちのことを一応飛ばしていただけませんか」
「手紙が届いた1週間あとに、信川さんと手紙の時間どおりに上海ホテルの前で再会した。『久しぶりです。何が欲しがっているか知らないですけど、なんとかお条件を満たしますから、なにとぞお手柔らかに。』あの言葉、あの目つき、あの声、今でもはっきり覚えている。忘れるまいか。今思ったら、息子がそんな無茶苦茶な怪病に罹ったのも、きっと私のせいだったろう。『不明な原因で火がついて、宋明義の家が焼けてしまった。幸い、隣の人のおかげで、大火事に至らなかった』信川さんがそう言ったあとに、火事を逃れた薄いノートをくれた。ちょっと読んでみると、驚き入ったことを見つけた。『たとえ父親の資格を失ったとしても、伝えたいな。我が最愛の娘の宋巧巧、今生また出会えるかいなか知らぬか、どうか幸せに。』」
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