第十一章(上)
降りつづけている雨の音より会議場の外で待たされた少なくない記者たちの互いの囁き声は時折どこかからビールを通り抜けた風のように内部の気圧に影響する。
「声を低くして!」記者たちの中の誰かが一声でびっくりして、皆が黙るようになる。
とうとう雨水が硝子を当てる音もよくビールに響き渡るほどに静まり返るようになった。
雨脚はまだ激しくなっている。それも来てくるとともに空の彼方で瞬いて閃いた雷光の影も硝子に映ったりして点滅していて、続いてきた雷鳴に混じったクラクションの音と雨に濡れたタイヤがアスファルトを軋む音が少しずつ大きくなるようになっている。
銀色のタクシーがホテルの真っ向こうに止まった。
「おい!おい!黒い車いっぱい駐車していて、今日は何かあったの、もう何年ぶりの風景だなあ」タクシーの運転手が駐車場の光景にびっくりした。
「え?何年ぶりって、どういう意味なの、」
「えっと、そのことはなかなか複雑だね、私には説明できないから、お前らような若者がインターネットに詳しいだろう、ちょっと調べれば分かるさあ、さあさあ、降りよう。そういえば今日の雨も何年ぶりだなあ、いくら渋滞してもほどがあるな、さあ、速く降りよう」
二人の男の人が会計してからドアボーイの届けた傘をさした。
「怪しいなあ。よく来ていたらこのような光景が普通だろう。前は見たことがないけど、四つ星のホテルである以上、もっと人気があるべきだろう。たとえば、今のようだ。」
「何台もの高級な黒いセダンが2列並ぶとかの景色だからこそ、らしくやっているんじゃないのって意味だろう」
「さすが我が友、文成羽(ウェンツェンユ)だ。よくわかってくれている」男の人が言いながら、文成羽の肩を叩いたりした。
「おいおい、けっこう管理者の風だね。それも鐘明景に習ってもらった経験ではないだろう。いっそう日本へ留学することをやめておこう。どうせ文系分野のことにつきたくないし、どうせ卒業したら普通に社会人になるし、直にここで鐘さんと一緒にやればきっと人生大成功者になるだろう。瑜覃文(ユチンウェン)、」
「調子に乗るな!文成羽!殺すぞ!」瑜覃文が苦笑を出す。
「けっこう偉そうに見えるね。もう胡豪威の風っぽいってふるまい、偉い、偉い、さすがクラスの人気者だけあって何事にも筋が通じたら、何のことにの取り扱いにもはやく慣れるようになるだろう、」
「まあ、こちらこそだ。こっちの立場よりずいぶんましじゃないの」
「お前個人的な選びだから、ざまみろ!」
「はい、はい、はい」
笑って止まらない瑜覃文を置いて、文成羽は先にロビーに入った。
「もういい、もういい、参った、参った。」
すごい剣幕で縋ってきた瑜覃文を見ると詫ごとを言った。
「いや、いや、そういうつもりじゃなくて、こっちに入ったから。今度は前回の係に見られたらまずい。ロビーで嘔吐していた周英超のような人と見られたら大変だ。ほんとうに控え目ないやつだなあ。きつい、きつい。」
「って、それだけ?あいつは初めてではなかったし、そういえば鐘明景と知り合えたのはお前のおかげだろう。仲介としての瑜覃文さんよ!だろう、」
「それって、とりあえずそのことにからかわないで、意外だった、意外だったよ」
話題は何度か変わっている。二人が話している間に穎毅然ともう一人の係と一緒にそちらに寄ってくる。
「あの、李さん、周さんのことはこのままでいいですか」
「井上先生がかんえすぎるのではないでしょうか。彼はたぶんただ嬉しくて、すわってはいられないにすぎないです。」
「そうですか」井上が言って、お茶を舐める。
「喧嘩のことは無事でおわった、ほんとうによかったです。」李尋玲が溜息をついた。
「あっ、喧嘩のことですか、そうですか。」井上が微笑みを浮かべる。
カフェのブースは広いとも言えないが、食事の事前は係がいらないという要求なので、ただ長いソファーに座っている二人は国籍の違いだけではなく、年の差が加える重苦しい空気に包まれている。
「井上先生!」
「李さん、」
二人が同時に声を出して、見合って驚いた。
「あ、井上先生、お先に、どうぞ、」
「いいえ、こちらは、」
「やはり、井上先生のほうが先にはなしましょう、こっちは大したことではいですから」
「じゃ、あの、よろしければ、瑜覃文と文成羽との二人のことを簡単にいってもらってもいいですか。」
「えっと、文成羽なら、けっこう言葉をひかえていますし、成績も良いし、もうN1に合格しています。これ以上は、あの、井上先生、」
「はい、」
「日本でもいるでしょう。そんな性格って私には苦手ですし、彼についてのこと今でもあまりですね、」
「わかります、李さんのいうことぜんぜんわかります。じゃ、瑜覃文なら、」
「二人は友人らしいです。同じ寮ですし。まあ、彼は外向的な人ですから、けっこう面白そうな人です。そう、そう、うちのクラス、いいえ、いまうちの学校の非常勤先生と一番仲がよい人はその二人だとおもいます。」
「学校の日本語学部なら三名の日本人非常勤なのでしょう。」
「はい、そうです。その方は熊本丈也(くまもとたけゆき)です、年をとったお爺さんさんですね。そういえば井上先生が熊本先生の代わりに日本語の作文という授業をくださるということですか。」
「たぶんそうだとおもいます。具体的なことは学校のほうがきまりますから、いまはね、」
「井上先生」
「はい」
「いいえ、なんでもないっ、お茶はどうですか、あっ、もうのみほしたか、」李尋玲が立ったが早いか、コン~コン~コン~という重い音がブースに響いた。
「どうぞ、」李尋玲がその音に応えた。
「この方は井上先生ではないでしょうか、はじめまして、瑜覃文(ユチェンウェン)ともうします。」
ドアを押すとブースのソファーの全体ができる。ブースの二人には急にやってきた瑜覃文がソファーに座っている井上の姿を見ると真面目に簡単な自己紹介をした。
「あっ、瑜さんですか。はじめまして、井上麻美(いのうえまみ)ともうします。貴校の新任非常勤です。」井上が茶杯を持ったまま一礼をした。
「あら、すみませんでした。」井上が言ってから、茶杯をテーブルに置いた。
李尋玲が井上のほうに一礼してから、瑜覃文を連れてブースの外に行った。
「って、文成羽は?どうして一人でやってきたの、」李尋玲が小声で質問をした。
「トイレに、ちょうど周英超と出会った。喧嘩の件が済んだそうだ、本当なの、」
「まあ、一応収まったみたいだけど、そう言ったら、あいつもしかしてタバコを吸っているの!」
「正解だよ、」
「ちょっと、一応控えてって言ったのに、なんで聞いてくれなかったよ、本当に、って、もしかして文成羽も!?」
「いや、いや、いや、そいつがタバコには興味を持っていないから、心配しないで、彼がちょっと話したがることがあるから、ちょっと時間かかるかもしれない。」
「じゃ、瑜覃文が吸っていたでしょう。」李尋玲が目を細めて何歩を引いた。
「って、なんで今度は私の番になるの、」
「ずいぶん匂いが染みているでしょう、自分で嗅いでみて、」
「まずい、本当だなあ。ちょっと染みていたみたいだ。まあ、でも私はタバコを吸っていないことを知っているわけではないでしょうか。」
「なんと言っても、趙思敏(ザォシミン)先輩はタバコの匂いに過敏しているでしょう。」
「揶揄わないよ、李様!」
李尋玲に言われて、瑜覃文の顔が赤くなってきた。
「いや、別に言わなかったのに、」
「はい、はい、こっちのせい、こっちのせいだよ、神経質が細いんだから、」
「って、いつ趙先輩に告白するつもりなの、」李尋玲が真面目な顔で聞く。
「また来たのか、参った、参った。ずっと片思いのままで、急に『趙先輩のことが好きだから、付き合ってください』ってセクハラと見られるじゃないんだろう。言ったら最後じゃん?」
「なんで片思いでって思い込んでいるの、」
「おい、おい、まさか私のことを趙思敏に漏らしたの、」
「いいえ、いいえ、そこまでするなんてことはありえないよ、瑜さんのことなら、まあ、」
李尋玲が言っているうちに瑜覃文との視線から逸した。
「正直言えば、やっぱり信用できないなあ、李尋玲の言うことに。半年前にはばれたって言われとも、私自身もその気持ちをちゃんと確かめていなかったし、っていうか趙思敏とは本当に友達それだけなの、」
「だって、友人だから。」
李尋玲は声が小さい。
「しょうがないなあ、とにかく内緒をしてくれて、頼むよ」
「おい、二人!なにをやっているの」
二人が交わしている密談を邪魔にやってきたのは手を高く振っている周英超だ。
「あの、私は一応ね、タバコの匂いってなんとかして、実は、まあ、」周英超を見ると李尋玲が慌てて言葉も言い終わらないままブースに逃げていく。
「なんで私を見るとすぐに行ってしまったの、おいおい、瑜覃文が李尋玲となに、」
「黙れ!」瑜覃文が大声を出して、周英超をじろじろ睨む。
「ほらほら、落ち付いて、落ち付いて、お二人とも。」後ろにやってきた文成羽が始まりそうな紛争をもみ消した。
「あの、二人はタバコの匂いを、あれ!?」
文成羽の服も周英超のも瑜覃文のと違って、薄い文旦の匂いが薫っている。
「あっ、気づいたの。さっきカウンターから借りたスプレーを使ってみて、なかなかいいと思う。」
「じゃお二人がお先に、私のことは待たずに、そうだ、あの、周ちゃん、」
「はい!」
「お言葉を控えてほしい、できるだけ、あの、なんと言うか」
「安心して、もう言っておいたから、よく分かってくれている。」無表情の文成羽が瑜覃文の右肩を軽く叩いて、周英超を連れて行った。
「じゃ、後でね、」
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