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一生懸命を辞めた日

僕の人生において意識していたりいなかったしていたのが「一生懸命」というワード、このワードは僕にとって実はマイナスでしかないということを最近学んだ。何故かと言えば僕の趣味であり得意分野である音楽活動においてバンドに行っても長続きしない事が多かった、自分が改善案や自己改善をしたとしてもバンドがいい方向に向いたかといえば何も変わらず独りよがりや独り相撲状態。挙句の果て意見の食い違いが起こり辞める結果となる事ばかり。

長年「ナンデ?ドーシテ?」と疑問に持つことはあったが深く追求することもなくただ運が悪かったで終わらせてきたがようやく原因がわかった。


それは自分が一生懸命過ぎるのが最大の理由だった

確かに一生懸命という言葉は物事に対して真面目に真摯に取り組むという美徳の言葉であるが一種の呪いにもなる。それは全力全開でアクセルを踏み続け止まることを許さない許されない状態を自分に課している、これはすべてが壊れるまで頑張らなければ自分じゃないと言っているようなもの。

だから一生懸命を辞める約束をした。

自分の生きづらさの原因を切り捨てる選択ができたと自分を認め誉めることができたし前向きになれたと実感できた。

物事に対して肩の力を抜いて柔軟に進めて時間がかかってもとりあえず終わらせるを第一に考え進める方が気合いを入れ過ぎて物事を終わらせられず自滅するより何倍もマシだという結論に至った、しかしここで重要なのは投げっぱなしジャーマンスープレックス(※やり放し)にせず振り返って間違いや抜けている所を見つける工程を忘れないだけ。

適当って大事

高田純次さんのテキトー語録って一見ふざけているように聞こえるけれど心理だと思う。何故かといえば真面目に発言した所で世の中が変わるわけでもないしポジティブに且つコミカルな適当言葉は前向きになれるし笑いがある方がいい方向に進んでいく。
話しが逸れたが完璧を目指す為に一生懸命という言葉で自分を縛るのではなく適当に気楽にやろうという縛りがない方が絶対に成功するという答えに辿り着いた。


結論

一生懸命にやらないからといっていい加減にするのではなく出来ることを終わりまで気楽にやる。完璧なんて求めないしする気もない。音楽に限らず仕事も自分の叶えたい事も力を抜いて自然体でいこうと決意した


終わり

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