雪笑い②
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「さむっ」
電車内のぬくぬくとした暖気に身を任せていた僕は、その寒さに思わず声を漏らした。
閑散としたホームに吹く木枯しは、いっそう冷たく感じる。
「久しぶりね、雪なんか」
遅れて降りてきた遥泉は、肩をすくめて寒そうに、でもなんだか楽しそうにそう言った。
「この電車なはずなんだけどな…」
僕は周りを見渡す。そこに、秋恵さんの姿はない。
「秋恵さんなら、少し遅れるって」
「え、そうなの?」
「昨日、連絡きてた。私がいたら言いたいことも言えないだろうから、先に報告済ましときなさいって」
「…秋恵さんらしいね。じゃあ、先に行こうか」
ホームを出て、真っ白に装飾された床を音を立てて歩き始める。
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「一緒にこなくても、一人で行ったのに」
冷たい風が吹くたび凍える彼女に、僕は言った。
「だめよ。こんな大事な報告、私も行かないなんて失礼じゃない」
「確かにそうだけど…」
「それに初雪も見れたし、こんなに楽しい一日ないわ」
遥泉は嬉しそうに笑った。彼女は僕のどんな話も、穏やかに、そして楽しそうに聞いてくれる。
「でも、ほんとによく積もるのね」
周りを見渡して、彼女は言った。後ろを振り返ると、白い足跡が4つ、駅まで続いている。
「ここは標高が高いから、雪は降りやすいし気温も低いから溶けにくいんだろうね」
「そうなんだ。この場所は雪恵さんが?」
「いや、僕と秋恵さんで選んだ。やっぱり雪がないと、雪恵も寂しいだろうって」
「…愛されていたんだね、雪恵さん」
遥泉は白い息を吐いてそう言った。その表情は、どこか寂しそうだった。
「ねえ」
「ん?」
「雪恵さんのこと、もっと教えてよ」
遥泉が唐突にそう言うので、思わず聞き返してしまう。
「雪恵のこと?」
「うん。5年も付き合ってたんだから、あるでしょ?」
確かにあった。むしろありすぎて、あまり思い出せないぐらいだ。
「そうだね、じゃあ…」
僕は道の脇に詰もった雪をかき集め、大小の雪玉を作って、のせた。
「あら、かわいい雪だるま」遥泉が言う。
「彼女はさ、雪だるまをとっても大事にする人だったんだ」
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付き合って最初の冬、数年ぶりに積もった雪に大はしゃぎした僕らは、すかさず公園に向かった。雪合戦をするためだ。
「与えられた環境を、最大限に楽しむことができないなんて、人生もったいないでしょ?」
当時、23歳だった僕らは、公園にいた小学生たち10人を誘って雪合戦をした。
彼女は、周りの目を一切気にしない。楽しいと思った方向に自然と身体が動いてしまう、そんな女性。
「あー!!!!たのしかった!!さむ!!」
「僕、あったかいもの買ってくるから」
「この子達のも、お願いしていい?」
「分かってる」
でも、他人への配慮も忘れない。
彼女がいるだけで、雪も溶けてしまうようなあったかい気持ちになれる。
でも、僕が帰ってくると、その雰囲気はまったく逆のものに変わっていた。
1人の女の子が泣いていて、彼女は明らかに怒った表情を見せている。
「どうした?」
「…この子が作った雪だるま、壊されてたの。しかも誰かが故意的にやってる」
誰がやったか、だいたいの見当はついていた。雪合戦に入れてもらえなかった別の小学生だ。
「許せない」
そう言って、彼女は素手のまま雪をかき集めた。
「ちょっとまって、雪恵ちゃんなにするの?」
「雪だるま作り直すの」
彼女は振り向きもせずに、ただ雪玉を大きくしていく。
「雪だるまには、そのひとの大事な思い出がいっぱい詰まっているの。それを潰すなんて許さない」
あぁ、そうか。
この人は本当に心が温かい人なんだ。
誰かの不幸を、本気で悲しんでくれる人なんだ。
その時、そう思った。
気づけば、僕は大量の雪をかき集めていた。僕だけじゃない。それは、他の小学生もだ。
それから2時間。
僕らは自分たちよりも背の高い雪だるまを作った。
「ごめんね、もうあの雪だるまはないけど、これで我慢してね」
雪恵は、女の子を抱きしめて言った。女の子は、何度もありがとうと言っていた。
最後はみんなで、写真を撮って僕らは帰った。
あの日、僕は彼女のことをまたひとつ好きになった。
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「すごい!おっきい!」
写真を見て、遥泉が言った。
「通りすがる人みんな、これを見てびっくりしてた」
「なんか、想像できるね」
遥泉が、微笑む。
「雪恵さん、あなたは本当にまっすぐな人だったんですね」
雪恵の前で手を合わせながら、遥泉は言った。
その隣に僕もしゃがむ。手を合わせて、目を瞑る。
「この人と結婚することにしました。遥泉さんは、冬が去った後の虚しさや寂しさを埋めてくれる、春のような人です」
「雪恵さん、はじめまして。今井遥泉と申します。私があなたを越えることなんてきっとできないけれど、あなたがくれた思い出もすべて受け入れて、この人と生きていきたいと思いました。どうか、よろしくお願いします」
僕は思わず遥泉の右手を、左のポケットに入れた。
「いちゃいちゃしないでくれる?」
どこかから、雪恵の声が聞こえた気がした。
「ねぇ、聞いてる??」
視線を向けたそこに、秋恵さんが立っていた。
「あんた、いい度胸してるね。姉ちゃんの前で手繋いじゃうなんて」
「あ、いや…」
「うそうそ。姉ちゃんも喜んでるよ。だって今日、いっぱい雪降ってるもん」
僕らは3人で、いや4人で、笑いあった。
雪恵の頭には、雪は積もっていない。
今年もまた、季節が巡る。