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「プロミシング・ヤング・ウーマン」を観て。


原題:Promising Young Woman
邦題:プロミシング・ヤング・ウーマン

監督:エメラルド・フェネル(2021)

あらすじ: ごく平凡な生活を送っているかに見える女性キャシー(キャリー・マリガン)。実はとてつもなく切れ者でクレバーな彼女には、周囲の知らないもうひとつの顔があり、夜ごと外出する謎めいた行動の裏には、ある目的があった。(引用)

感想:

性被害にあったとき、声を上げるって相当勇気ないと言えないってこと、みんな知らないのかな。異性はともかく、同性ですら理解されない世界って、残酷。

声を上げた瞬間に、性被害にあった女(男)というレッテルを貼られるわけなのに、加害者の未来のために、なんて馬鹿げたことを言う。被害者の未来なんて考えてないよね。しかも、声を上げたら広まり、大袈裟とか嘘つきとかどんどんマイナスなレッテルが増えていく。

これは、映画の中の話ではなく、現実世界そのもの。そして、日本だって該当してる。

ワタシも過去にセクハラを理由に退職したことがある。次の新しい人たちのために、自分が辞めた後、今回のこと全職員に話してくださいと伝えた。結局、その後の会社とは一切関わりがないからわからないけど、一定の人はきっとワタシに様々なレッテルを貼り付けてるんだろなあと思う。それか、そんなこと関心もなく流れていったか。声をあげるって、大変なんだけどなあ。

私事でした。

画面がカラフルで、音楽もテンポよく、復讐ものに見えないという不思議な感覚。でも、確かにキャシーの復讐の炎は燃え上がっている。

キャシーの服装が、年齢の割に幼いものが多かったのを見ると、彼女は事件当時から時間が止まったままなのだと思った。それがわかったとき、とても切なく感じた。過去に囚われて続けているんだなと。

だからこそ、ライアンと距離が縮まっているとき、キャシーの時間が進み始めたんだと思い、かわいらしい笑顔を見て嬉しくなった。(しかし現実は残酷で、ライアンも事件に関わっていた)

家族でも自身のことでもない、親友のための復讐。それほどの深い関係だったのだと思うと、もはやキャシーはニーナと同一体。最後のネックレスもその意味なのかな。キャシーにニーナが乗り移ってるかのようで、この世のものとは思えなく見えてくる。恐ろしい。

過去に、復讐に、ニーナに囚われて、自我を失ったキャシー。悲しい。

もちろん、ニーナのことを忘れろとか、そういうわけではない。けど、キャシーはキャシーの人生があるのだから、前に進んで欲しかった。

キャリー・マリガンの迫力ある演技、凄まじかったな…。

画面も音楽もポップ。だからこそキャシーの復讐の炎が際立ってくる。凄まじい演出力。

キャシーが天使としてかぶるシーンがあくつかあるのには驚いた。

世界での性被害に関しての悲しい扱われ方と、過去に囚われ続けている悲しい主人公と。

スカッとするかもしれないけど、同時にワタシは悲しさも感じてしまった。


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