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「グリーンブック」を観て。

原題:Green Book
邦題:グリーン・ブック

監督:ピーター・ファレリー(2018)

あらすじ: 1962年、クラブで用心棒として働くトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は、クラブが改装のため閉鎖になり、南部でコンサートツアーを計画する黒人ジャズピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)に運転手として雇われる。

感想:アイデンティティの確立。

ドクはトニーと出会うまでは自分が何者か見つけられなかった。その感情を彼はピアノにぶつけていたのだろう。だから怒りや悲しみが感じられる旋律。そして何よりも切ない作り笑顔。ピアノが無かったら、ドクは壊れていたのだろうなあ。

トニーのおかげで、自分にしか自分のピアノは弾けないと見つけ出し、そんな自分を認めてくれたトニーの「友人」の1人とわかり、初めて自分は1人の人間と思い込めたんじゃないかな。だから「黒人だから」「雇い主だから」なんてのは関係なく、「トニーの友人だから」という新たな感情で最後のあの行動なのだろう。その思いに至り、行動するまでには相当な勇気があったろう。

そしてトニーは自分を改めて見つめ直して、ドクにとってかけがえのない1人と新たに確立された。

自分は何者なのか?ワタシ自身に問いかけても何もわからない。ワタシにしかできない、創れない、なんてものは持っていない。

ワタシは何者なのか?それを見つけるのにはまだまだ時間がかかりそうだし、もし見つけたとしてもそれを飲み込むのに相当な勇気がいる。

自分は果たして、愛される存在になれるのか、誰かのかけがえのない存在になれるのか。きっとずっと模索し続けるんだろなあ。

そもそも自分は何者なのかと考える前に、生きてるだけで必死なのだから。生まれたてみたいなもん。でも、考えるきっかけにはなった。ふわふわと地上に足がついてない感覚を思い出し、またちゃんと地に足つけて歩こうと思えた。


この話は1人の男が自分のアイデンティティを見つけ出すという話だなあと感じた。だからなのか号泣した。差別の話だったらわからないから泣くに泣けないだろうから。

もちろん差別をテーマに入れてるのもわかる。けど、それがメインではないのでは?だからスパイク・リーが噛み付くのはなんか違うんじゃないかなあと(「ブラック・クランズマン」ももちろん良作!)。

世界は思った以上に複雑。もっとシンプルに生きたいね。



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