地域活動で感じたことをまとめていきます
初めまして、中川と申します。2016年の秋に独立してフリーランスのデザイナー(graphic,web)をしています。
ただ、ここでは仕事のことにはほぼ触れず、ライフワークの地域活動から得た気づきをまとめる予定です。※略歴はこの記事の最下部に記載します。
まず、地域活動ってなに?ってとこですが、ここでは生活圏で行われる公益活動と定義します。ちなみに私は、NPOの外部理事と「まるごと美術館(京都/西陣・上京区)」という有志の団体(組織されていないローカルコレクティブ)に所属しています。「まるごと美術館」ではキュレーション(展覧会の企画・運営、作家の招待、選定に関わり、ディレクターや他のキュレーターと話し合い、組織の方向性や展覧会の方向性も共同で決めています)を担当しています。
「まるごと美術館」は、目的を社会貢献だけではなく持続させるために儲けを考えるのでNPOでもなく、展示会を開催しますがアーティストでもなく、ミッションは地域の経済・文化・芸術の活性化にあるのでアートコレクティブとも違います。地域活動を通して自己実現と公益私益を叶えることから、地方自治とも趣旨が異なります。広義のまちづくり団体ではありますが、より細かく定義する場合は、現代アートならぬ現代まちづくりの文脈(町家活性化×アート、建築家の都市を使った都市彫刻のような活動)から生まれたここ30年以内の活動団体の総称としてローカルコレクティブを使うことにします。
初回は簡単な紹介で済ませようと考えておりますので、詳しい内容はおいおい記載します。
とりあえず、自分の仕事のほか、ライフワークとして地域活動をしています。
仕事とプライベートとライフワーク
マインドマップのようなものを作りました。
独立してフリーランスとなり地域活動を行っているのは、役に立つ仕事と意味のある活動を行いたいという思いからです。このマインドマップの左にあるのは社会の役に立つ仕事です。右は社会にとって意味のある活動です。この二つは役に立つし意味もあると思うのですが、わかりやすくするために分けています。またその間にはプライベートがあり、ここは役にたつとか意味があるとか考えずに好きなことです。もちろん仕事もライフワークも好きなのですが、なんの責任感もなくただ好きでやってるといえることをプライベートに分類しています。
今回の記事の最後に、なぜ意味のある活動をしたいと思ったかをお伝えしようと思います。
ライフワークは現在、残念ながら公益として達成度45%、私益としては3%もないかも、マイナスかもしれないです。ちなみに、これまで行政の補助金などを一切使っていません。自分たちでお金を集め、足りない分はちょっと出したりしています。そういう状況でなぜ行うかというところですが、私の場合は寂しさからです。
地域活動のきっかけは「寂しさ」
小さい頃、母親が着物を縫う仕事(裁縫)を家でしていましたが、バブルが弾けてから仕事がなくなったようで、着物の仕事をやめました。私は、裁縫をする母親の背中を見ながら漫画を読んだりしていたのですが、それがなくなり少しの寂しさを感じました。実際その頃はサッカーに明け暮れていたので、寂しさというのもあとあと考えたらなんか寂しかったな、という程度です。
その寂しさを知ったのは、独立して拠点を地元である京都に移してからです。大阪のような町並み、学生時代に遊んでいた寺町、御幸町にあふれる海外の人。時代は変わるけど、変わることを理解しているけれど、なんか寂しい。この感覚は母が裁縫をやめた時の感覚、理由はわかるけれど大事なものが無くなっていく感覚に似ており、いても立ってもおられず、守るとか継承するとかそんなの関係なく、なんかせねばという思いで地域活動を開始しました。
始めは、利用していたコワーキングスペースの人から勧められた「京都文化財マネージャー」へ。京都の町の建物(ハード)の変遷と現状を知ることができました。また「想いのしおり」という当時大学生だった女の子が作っていた伝統工芸の職人さんを取材するフリーペーパーの制作に参加し、産業・職人技術(ソフト)の衰退を知りました。
このような活動から地域の「らしさ」というものは、建物というハードと、地域を特徴付ける産業に従事する人の技術やシステム(ソフト)が大きく関係しているんじゃないか、と考えるようになり、これらこそが地域の「らしさ」であり、私が感じた寂しさの根っこにつながる問題だと結論づけました。
そして現在のライフワークの一番大きな比重を割いている「まるごと美術館」は、この「らしさ」の近くで、これからの「らしさ」を考えてカタチにしていけるローカルコレクティブの中もで希少な団体だと感じています。
地域活動、制作活動、そして、みなさまと地域を結ぶ費用にあてます。