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貧困問題と「社会的包摂」を学ぶ
4月から経済学部に編入学するにあたり、シラバスなどを読み遭遇した言葉「社会政策」
経済政策ではなく社会政策?わかるようなわからないようなこの言葉を深めるべく、いろんな本を物色し、この本を読むことに。
「底上げ」の「底」より底の世界
これまで、FPの業務をする中で、お金を貯めることができない人やお金の知識に乏しい人などの「底上げ」を重要視してきました。
そういった人たちは、教えてあげることでグングン力を付けてくれます。
でも、底上げという言葉は間違えていたかもしれません。
「底」とはどこでしょう?
世の中には、家のない人だっています。
家のない人はどうでもいいのか?
お金の知識とかそういう問題以前に、住むところもなく、日々の食事も摂れないような人たちもいるわけです。
そういう人たちの暮らしや命はどうなってもいいのか?無視していいのかと問われれば、そうは思いません。
かけがえのない命には変わりないと思います。
でも、現状、社会はそんな人たちを満足に救うことができておらず、どんどん排除されているというのです。
すべての人が暮らしていける社会を作れるか
自分が食べていける金額、暮らしていける金額を稼ぐことができない人たちを放置していると、次々と別な問題が発生します。
そして、何よりみんな生きているのです。
やはり社会として対策が必要だと納得しました。
私は今まで、こうした現実を「自分には関係ない」と思っていたんだろうか。
純粋に気付かなかったのだろうか。
読み終えて考え込んでしまいました。
とても難しいことかもしれませんが、社会的排除を無視せず、社会的包摂を諦めてはいけないと思いました。
しかし、経済学部に入る直前の勉強と思って読んだ本が人権の本のようで驚きました。