花の都大東京

日帰りで上野公園での日向ぼっこを楽しむくらいには東京は嫌いじゃない。

社会人になり、仙台市に移り住むまでの22年間、私は岩手県で暮らしていた。生まれは岩手県南の奥州市。ここは政界のドン・小沢一郎、音楽界の大瀧詠一、そして今や世界を舞台に活躍する大谷翔平の故郷でもある。特に何かに秀でた街ではないけれど、私にとっては心から愛する地元だ。

それに気づいたのは、つい先日職場での何気ない会話からだった。「なぜご両親は奥州市に住んでいるの?」と問われ、ふと我が家の成り立ちを振り返る機会を得た。父は千葉県野田市、母は岩手県一関市出身で、どちらも奥州市に実家があるわけではない。ではなぜこの地に住むことになったのだろう? 思えば私が生まれる前、両親は東京都大田区や埼玉県三郷市で暮らしていたらしい。出産を機に母が里帰りし、落ち着いたらまた都会へ戻る選択肢もあったはずだ。それがなぜ奥州に根を張ることになったのか、深い理由を尋ねたことはない。

地元への愛着はこの街での暮らしから培われたものだ。だが、もし私が三郷や大田区で育っていたらどうなっていただろう? その問いは、過去と未来を同時に想像させる。

岩手に住んでいたおかげで、母方の祖父母とは頻繁に会えた。父方の祖父母とは、盆や正月に顔を合わせる程度だったが、これが首都圏で育っていたなら逆転していただろう。また、母方の従兄弟たちとは年齢も近く、東北に住んでいたおかげで親しい関係を築けた。一方、父方の従兄弟とは10歳以上も離れており、年に一度顔を合わせる程度だったため、疎遠にならざるを得なかった。もし環境が逆だったら、彼らとの距離感も違ったのかもしれない。

岩手の内陸部に住んでいた私は、山に囲まれて育った。仙台に住む今、東側に山がない景色にはどこか落ち着かない。休日は山の近い太白区へ足を伸ばし、自然に触れることで心の安寧を得ている。首都圏で育っていたら、山は遠い存在になり、代わりに海を愛していたのだろうか。

人混みが苦手な性分は、多分どこで育っていても変わらなかったと思う。首都圏の都会生活が性に合わず、疲弊していたかもしれないし、逆に都会のリズムに適応していた可能性もある。だが、受験戦争や競争社会の波に揉まれていたら、のんびりとした自分の性格がどう変わっていたのかは想像もつかない。

そう考えると、岩手で育ったこと、そして地元に戻りたいと思えるほど愛着を持てたことは、私の人生にとって幸運なことだった。もちろん、都会の刺激的な環境も魅力的だし、仙台という中間的な街で暮らす今はその両方を少しずつ味わえる立ち位置にいる。それでも、私の心はいつだってあの四方を山に囲まれた地元に向いているのだ。

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@50ppi|ミニマリスト
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