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50代私が育った昭和の背景 <昭和 平成 令和の家族の変化>

「こがーな わしでも 家族を持てたけーな―」


訳すと 「こんな 自分でも 家族が持てた」となります。

今も忘れられない父の口癖の様な呟きです。

キッチンで母と料理をする私を眺めながら。お墓参りの車中で。テレビを見る子供の私と妹を少し離れたダイニングチェアに座って眺めながら。

こうした日常の風景に父は嬉しそうな顔をして呟いていました。

父が亡くなって7年がたちます。


父は昭和19年生まれ。田舎の貧乏な家庭に育ち4人兄弟の三男で、父を含め長男以外の兄妹は皆 中学校を卒業後、集団就職をしています。

<集団就職とは>
集団で同一地域の会社・工場などに就職すること。特に高度成長期に,地方の中学・高校を卒業した者が,集団で都会の会社などに就職したことをいう。

若い方には伝わりにくいと思いますが、松本清張の「砂の器」の舞台となった時代背景そのものといった中で父は育っています。

「砂の器」の、社会の偏見に翻弄される親子。父は同じ時代同じ地域で育っています。運命のかけ違いで父が小説の中の放浪する子供であった可能性もあるのだなと思いながら読んだ事を覚えています。

中学校卒業後、集団就職により上京。横浜の質店で住み込みで働き、休みの日は登山サークルで楽しんでいたそうです。

詳しくは聞いていませんが、当時の登山中の白黒写真があり、そこに写る父はまだ子供で17歳18歳くらいでした。

父が亡くなって、遺品の整理をする母がその写真を見ながら「お父さん苦労したんよお 子供の頃から知らん所で働いて、しんどかったと思うんよ」と泣いていました。

そんな父は、25歳で田舎に帰り、起業します。

そして、26歳でお見合いをし、母と結婚しています。

母を選んだ理由は書道が上手だった事。贈答用の商品に付ける熨斗紙を書くのに重宝すると思ったからだそうです。

私の実家は店舗兼住居で、1階がお店 2階が住居です。

市の中心地にあり田舎の都会に位置します。

今はシャッター街になっている田舎の商店街ですが、私が子供の頃はとても賑やかで活気が溢れ、周りは大人も子供も多く、いつもワチャワチャと騒がしい環境で私は育ちました。

実家の右隣りは美容院 左隣りは内科の病院 病院の隣は自転車屋さん その隣は靴屋さん 薬局 銀行 クリーニング屋さん スーパー とお店がずらっと横にも前にも並んでいます。

登校 下校とも 軒先で働く大人達に一軒一軒 挨拶をしながら歩かなくてはいけない環境です。(商店街を知らない若い方たちには想像がむずかしいかな?)

いつも両親を含め近所の働く大人達が沢山います。下校して自宅にいる時も町の働く大人達の声が常に聞こえる環境です。

私が住む実家の店舗では従業員さんが一番多い時で20人くらいいたと思います。

そして、6店舗を展開して事業拡大をし、高度経済成長の波にうまく乗り、父は事業に成功しています。

事業内容のメインは着物 布団 美術品 ジュエリーといった高額商品の訪問販売です。 店舗販売よりも外販が売り上げのほとんどを占めていたようです。

今の様に、ネット販売はおろか ジャパネットの様なテレビ通販もない時代。 周りにお店がない農村部では訪問販売を喜んでもらえたそうです。

しかし、時代は変わり 訪問販売は喜んでもらえるどころか、「押し売り」と言われ、玄関には訪問販売お断りという家もあったりなどで事業は徐々に縮小し不動産業に移行していきました。

店舗奥の事務所には個人別の売上げグラフが貼ってあり、そこで毎日朝礼が行われます。

父が社員さんを怒鳴る声。社員さんの号令。その後にお店のシャッターを開ける音が聞こえます。

それを、私は朝ごはんを食べながら聞いています。

「怒鳴られてた社員さん、イヤな気持ちだろうなー」と思いながら、ランドセルを背負いお店を通って「おはようございます」と社員さん達それぞれに言いながら外に出ます。

外に出ると外掃除をしている社員さん達が「真美ちゃん おはよう」と笑顔で挨拶をしてくれます。

この挨拶をしてくれている社員さん達の中に、さっき父に怒鳴られた人がいるんだなーと思い、気まずさを感じながら家を後にしていました。

小学校高学年から中学校にかけての思春期は、この毎日の挨拶がすごくイヤで、ふてくされた顔で私は挨拶をしていました。大人になってから、不機嫌な態度をとっていた思春期の自分にずっと後悔しています。

この様に、大人達が一生懸命に働く姿を間近で見て育ちました。

大人達が商店街のお祭りの用意をしたり、休憩時間に事務所のテレビの前に総立ちで大相撲を見て、みんなで歓声をあげ手を叩いたり。そうした大人たちの楽しそうな顔もたくさん見ましたが、忘れられず心に重く残っているのは大人達の悲しみや苦しみの表情だったり、後ろ姿だったりします。

肌で感じるとはまさにこの事で、具体的に何があって…等は知らなくても、沢山の大人の無言の言葉を感じて私は育ったのです。

そして、時代は変わり私はバブル時代に青春を過ごし、全てを手に入れるのは当然くらいの価値観を持ち、その価値観通り家庭を築き、子育て終了後は夫を捨て彼氏と第2の人生をスタートしています。

27歳長女は、推し活に全てを費やし、忙しくも楽しそうではありますが、リアルなメンには全く興味がないようです。

23歳次女は、5年付き合った彼氏と最近別れました。お互いに好きだけど結婚への価値観が違うという理由で別れを決めたそうです。


家庭を持てた事を奇跡だと言わんばかりに喜んでいた父。

家庭を持つことは当然だと思っていた私。

結婚しない人生もあると思っている子供達。

「時代の変化とともに家族の在り方も変わったなー」と、ジワる大人になった私です。


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