愛の建前と愛の本音。それは本当に愛なのか?
私は愛を語れるほど、立派な人ではありませんが、
でも「人を愛するとは、その人の幸せを願えることです」
って台詞は誰もが聞いたことありますよね。
「その人の幸せを願えるか」って言うのは、
「その人が毎日ハッピーでありますように!」
という意味での「願い」のニュアンスだけではなく、
「(その人の幸せの中に私がたとえいなくても)
その人が幸せだったらそれで良いと思える心」
って意味を含んでいる言葉だったりします。
昔YouTubeのコメント欄を開けていた初期の頃に、
「私は彼を愛しているからこそ、彼に愛されたいんです!」
ってコメントを頂いた事があったんだけど、
それはここで言う「相手を本当に愛しているのか」
という話で言うのなら矛盾のある言葉になってしまう感覚です。
「そこに無条件の感覚が出てくるか」
「見返りを求めていないか」
が大事ってことです。
「愛を差し出したんだから、愛を私にも返してほしい!」
ってのは相手を本当に愛していたら思わないって事ですね。
(この辺りのお話はインスタのハイライト「恋愛的な」でも
詳しく似たような話を長くしているので、
もし興味がある方は是非遊びに来て下さい!
インスタ@50bansenjiで検索!)
で、なんでまた唐突に愛の話をし始めたのかと言うと、
「どんな相手だったら自分は愛をちゃんと持てているのか」
をふと考えてしまったからです。
「みんなに愛を持っていて当たり前!」
という建前のお話ではなく、
「私って本当に大事な人に愛を持てているのだろうか?」
とNespressoをいつも通り飲みながら考えていたんです。
でも色んな判断基準が人それぞれあると思うけど、
私はなんだろう?と思って改めて考えてみました。
あえて1個に絞るのなら、
自分が美味しいものを食べている時に、
ふと、「あの人にもこれ食べさせてあげたいな!」
と自然と食べてる時に思い出す人には確実に愛があるなと思いましたw
この話のポイントは、
「一緒にこれ食べに行きたい!!」
みたいなwith自分の話ではなく、
「この美味しいものを(自分が奢るから)、
誰かその人にとって大事な人と食べてほしいな」
って感覚が自然と出てくるかが大事です。
食事の話に関連して少し話がずれますが、、!
この話たまに友達とするんですが、
異性であっても同性であっても
好きな人でも友達でも
どういうパターンの人間関係でも良いんですが、
「この美味しいご飯」を食べるために誰でも良いから
一緒に食べてくれる人を探す、という話の場合は
あくまでもご飯がメインにあって、
その人である必要がないって感覚なので、
「行きずりの相手」パターンって呼んでいて、
その逆で、何を食べても
この人との時間だったら楽しいし、美味しい!
(つまり「その人だから意味があるし、
その人じゃなきゃ意味がない」ってパターン)は
「本命」って呼んでます。
私は戸籍上も実際も女で(脳みそは割と男性脳です)
恋愛対象となるのも男性なんですが、
私は女の子の友達であっても
「本命」と「行きずりの相手」は
明確に区別している感覚があって、
「本命」=親友クラス(その人であることに価値がある)
「行きずりの相手」=身の回りの新情報を循環させてシェアし合う人
という感覚です。
「行きずりの相手に愛があるか?」
と聞かれたら、ゲホゲホ咳こんでしまいそうです。
私も有益な新情報をお届けするので、
あなたも面白い情報をシェアして下さいね!
(もちろん情報は等価交換ですよ)
というスタンスです。
これはしっかりとウィンウィンで、
おまけに美味しいものまで食べられているので
何も問題はないんです。
でもそれは「この人」であることに意味があるかと
言われたら正直代わりが利いてしまう感覚は否めないです。
(2番手も3番手も控えている感覚です。)
つまり最初の話に戻りますが、
「この人に愛があるか?」
と聞かれて素直に答えるなら、
人として好きだけど、「愛」は別にないな
ってなりますね。
じゃあ本命はどうかというと、、
時間を使ってくれてありがとう!
少しでもその人が喜ぶことをしようじゃないか!
高級なレストランに行っても嬉しいけど、
ぶっちゃけマクドナルドでも楽しいぜ!
喋っても喋らなくても、
場を共有できてるだけで最高の時間だぜ!
って人ですよね。
つまり、冷静に考えても考えなくても
「本命」には愛しかないなと思います。
その人の喜びに自分がなれるかを考えたくなる人。
で、色んな話をしていますが、
どんな相手であっても、
自分が大事だと思う人に
同じように「本命」だと
自分も思ってもらえていたら
嬉しくて飛び跳ねちゃうもんですね。
じゃあどうしたら本命に私なれるの?!!?!?!?!?!
って聞かれたら簡単です。
スーパーイージーでシンプルです。
もう一言で結論です。
(もったいぶるなよ)
「その人にとって魅力的で、
その人にとってスーパー居心地の良い人でいること」
方法は、それ以外マジでないです。
当たり前のことを今日も堂々と
長々と恥ずかしげもなく話してしまって、
厚顔無恥で赤面しておりますので、
今日はこの辺りで終わりにしたいと思います。
愛を込めて、50番煎じ
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