noteへ帰ってきた
巡り巡って、2年ぶりにnoteへ帰ってきた。
9年間続けてきたInstagram、最近はなんだかな、と思うところがたくさんあり、惰性で続ける事は時間の無駄だと思ったので、鍵をかけ更新する事を辞めた。
アプリを開くといろんな人の情報がいやおうなしに飛び込んできて時間を取られる、見なければいいのだろうが、見せるためによくつくられたアプリだ、Instagramは。中毒性を感じてしまう。広告もこれでもかというほど多い。
スマホを持つ前、わたしは何をして過ごしていたのだろうかと考える時がある。
今ではスマホなしでは電車やバスに乗るのでさえ困難だと感じるし、ましてや買い物ですらスマホが無ければできない。スマホは生活必需品となってしまった。
自分の生活を快適にするため、スマホとは上手に付き合っていきたい。たとえば調べものに使う、ラジオや音楽を聴く、連絡を取るなど。
大半の人々はスマホに使われている。スマホの奴隷と化している気がするのは気のせいだろうか。奴隷として生きていこうと決めたのだろうか。それすら考えてはいないと思うが。
InstagramやTwitterを開くとあっという間に時間が経っている。恐ろしい。わたしちに与えられた時間は有限だ。
その時間、本が何ページ読めるだろうか、目の前の人と何回笑い合えるだろうか。切り絵が完成できるだろうか。
なによりも大事な事は、
画面の向こうよりも、目の前のことだ。
これからはInstagramに限らず、SNSに向けていた時間を自分の学びたい事に使おうと思う。
わたしはもっとヨーガの事を学びたいし、それに付随する事も学んで知り得たい。なぜなら、自分の人生をより良くするためであるし、ヨーガ講師としてそれらを周りの人たちに伝えていがなければいけないからだ。
noteは、日記のようなものとして毎日、できればだが毎日更新していきたい。食べたもの、その日あったこと、感じたこと。あとから読み返しやすいようにマガジンは月別で作ります。
こうして文字にすることで、自分の気持ちが整理できている。
やっぱりnoteが好きだと再確認した。