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幸せになるために生まれてきたんじゃない。
金曜日は月に一度のヨーガ教室の日だった。
教室を開催する事でわたしはその都度、学びを得る事ができる。
これが自分1人でのヨーガとなると、なかなか継続する事が難しい。
誰かの役に立てる
これは人を動かす原動力ではないだろうか。
ヨーガを行うことで、心身共に健やかな日々を送る事ができる人を、この地域に1人でも増やしたい。
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ヨーガが終わって家に帰ると、パートナーが晩ごはんの支度を済ませてくれていた。ありがとう。
ご近所の知人からいただきもののお惣菜なども、食卓を彩った。
都会に暮らしている時は、ご近所さんから手作りのお惣菜をいただくことなんて一度もなかった。田舎の温かさや心の豊かさをいつも知らされる。
話しは変わるけど、
「人は幸せになるために生まれてきた」という言葉を時々耳にしたり目にしたりする。
わたしは、この言葉にとても違和感を覚える。
なぜなら、幸せになるため、という事は、スタートがすでに「不幸」いうことだ。
輪廻転生があるならば、
不幸の状態で肉体から魂が離れた事になる。
肉体から魂が離れることは本来幸せなことなのだ。
この言葉のために、苦しむ人たちが山ほど存在する。
幸せにならなければいけない
幸せにならなければ
幸せにならなければ
幸せになるために生まれてきたんだ
わたしはどうして幸せになれないんだろう
と幸せを追いかけるようにできている呪いの言葉だ。
違う、
わたしたちは、生まれた時から幸せなのだ。
すでにわたしたちは、幸せだ。
だから、幸せになろうとして無理をしなくてもいい、
幸せを追い求めるような人生の旅に出なくてもいい、
幸せになるために自分の人生を他人に委ねたりしなくてもいい、
其処に幸せは、ない。
わたしたちは、そのままで幸せなんだ。
いま、ここに生きているだけで幸せなんだ。
ということに気づくと、
今に感謝できるようになり、苦しみから抜け出すことができる。
しあわせになる、という言葉は、
なかなか危険な言葉だと、わたしは思う。