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相模原障害者施設殺傷事件
植松という男は、賞賛を欲しがっていた。
⇩
「世の中で何をすれば賞賛を得るだろう。
そうだ。
かつて自分が懸命に世話をしようとした連中。
あれは、幾ら世話をしても感謝をしない。それどころか反抗的な態度すらするやつがいる。
あいつらの面倒を見たって税金をかけたって無駄なんだ。
むしろ1人でも多くあの世に送った方がみんなから感謝される。政府だって無論の事、あいつらも感謝するんじゃないか」
と、考えいたかどうか正確には分からない。
しかし、彼が医者から下された判断は自己愛性パーソナリティだ。
⇩Wikipediaのコピペで申し訳ないが。
自己愛性パーソナリティ
そのまんまという気が……。
彼は施設での待遇が悪かった。
だからと言って、まるでゲームを遂行するような大量殺人をする介護者はめったにいないだろう。大概は退職して次の職業に就く努力をする。ひょっとして刺青を理由にしてクビにしようとしたやまゆり園への腹いせもあったかもしれない。
麻薬の力もその行動を成功させるという自信の気つけ薬になっただろう。
警察も措置入院をさせた病院も中途半端なまま、彼を手放した。何も変わってはいない男。親さえも彼から逃げ出した。
ターゲットにされた人々は逃げる事もできない。植松は大量に殺人をおかすことをいわばゲームをクリアするように高揚しながらやったのだろうが、
それが例え架空のゲームだろうが全く褒められたようなものじゃない!
自分勝手な殺戮者。
それだけだ。
決して褒め称えてはならない。
彼が嬉しさのあまり大笑いするだけだ。
そして私は2016年7月26日以来…悪夢に沈められた。
⇩Twitterに載せた文。
要らない人間は死んだ方が良い。
そんなムードは世の中にもっと蔓延しているように思う。
ある時はこどもおやじ。
ある時は精神病者。
ある時は、
これから人を殺すかもしれない人間……。
そのカテゴリーに、もしかして自分が勝手に入れられるかもしれない。
そんな気持ちを漠然と抱えている者もいる。
逆の人間もまたいるだろう。
あの事件の直後、日本人全てにカウンセリングをして欲しかった。
もしかして植松が現れる前から、そういう世界なのかもしれない。
人の気持ち等本当は理解できない。
自分の気持ちしか。
追記
また、あの理不尽な殺戮が起こった日がくる。
やまゆり園の被害者の方々、どうかやすらかに。
今年は大きな事件が二つ起きた。
両方とも赦されるものでは無い。
以前は死刑等、国の殺人だと思っていた。
しかし、ここまで酷い事をした人間は極刑か一生刑務所に入っていて欲しいと望む。
但し、冤罪の恐れがある場合は何度も再審判をして欲しい。
最近京都アニメーションの方々が亡くなった。ファンや世界中の人々が「惜しい人材の命が失われた」と、しきりに言う。
私も同じ意見だ。アニメの仕事は世界に誇れる。
だがだからといって、やまゆり園の被害者の命を軽んずるつもりは無い。
他の人々も、心ある人はそうだろうと、信じたい。