幸せな時代
子供が産まれたとき、成長するにつれて怖いと思った事は外からの攻撃でした。そう、いじめられて学校に行けなくなるとか、そんな思いをせずに育ってほしい…そう強く思いました。
その理由は…自分自身がいじめの経験者だったから…(*´艸`)
中学時代、私はクラス全員から無視され上履きを隠されたり美術のスケッチブックを焼却炉に捨てられたり、授業中に後ろの席から消しゴムを投げてぶつけられたり…そんないじめを経験しました。
中学1年の時…仲良くなった数人のグループの中でひとりの子を気に入らないとみんなが言い出しました。「あいつ、ムカつくから明日から無視しようよ。」そんな風に言われたことが始まりでした。
当時の私は幼くて、理由もなく人を傷つけるような事はしたくない!そんな正義感から「なんで?私は別に無視する理由はないからしない。」と断りました。嫌な空気が流れて、翌日から私が無視されるようになりました。私が庇った子も無視するグループにいました。(ヽ´д`)ハァ-3
最初は自分のいたグループから…数人の男子に広がり、いつの間にかクラス全員が私を避けるようになりました。攻撃してきた子は一部ですが、あの孤独感はしんどかった…途中、こっそり手紙をくれた子もいます。自分は嫌ってないけど、いじめられるのが怖くて私に声をかけられない…ごめんね。という内容でした。
当時の私は、自分のしたことは間違っていなかった…ここで折れたら負けだ…そんな思いで歯を食いしばって登校していました。負けず嫌いだったんですね(*´艸`)
クラスでイベントのグループ分けする時間がいちばん辛かった…みんなが私と同じグループになるのを嫌がるので…余ったところに仕方なく入れてもらう形でした。私が庇った子Hとは同じ部活…同じ学年が3人しかいない合唱部…他のクラスのもう一人の子Sは私と仲良しだったので、Hは段々辛くて部活に来なくなりました。
クラスでの日々は辛かったけど、事情を知っている部活の先輩たちがいつも気にかけてくれたり…休み時間にはHがいつも教室の前に来てくれて、今、思うとたくさんの人に助けてもらって一人ではなかったなぁ…と思います。
部活では部長を任せてもらい、大好きな先輩たちを送る三年生を送る会では同学年のHとふたり、ステージで「想い出がいっぱい」を合唱部の演目として歌いました。2年生の時です。その時にはクラスが変わってイジメていた子たちとはクラスは分かれましたが、中学の間は友達付き合いに悩むことも多かったです。
そんな私にとって、一番楽しかったのは高校時代…中学での成績は入学時は良かったものの、色々な悩み事に負けて成績はゆる下がり…そんな中、自分で考えて出した進学先が商業高校でした。高校卒業時に就職したいと考えたからです。母も賛成してくれました。
高校へ行くときの不安は、中学と同じように失敗しないだろうか?という事でした。入学してすぐのクラス内の自己紹介の時、名前、出身中学、高校でいちばん頑張りたい事を言うように担任の先生に言われました。
私は中学の時の自分の体験を思い切って話しました。「中学の時、いじめにあいました。クラスが変わっても自分に自信が持てず友達との関係に悩むことも多かったので、高校ではたくさん友達を作りたいです。相手を思いやる気持ちを忘れずに高校3年間を過ごしたいです。」勇気を出して自分の恥ずかしい過去を話しました。
そこからの3年間は楽しい事しかないと言っても過言ではないくらい素晴らしい3年間でした。先生方も本当に親身になってくれる良い先生ばかり…
就職を見越して2年から3年への進級時にはクラス替えが無かったこともあり、クラス全員と仲良くなりました。遠足で几帳面にスケジュール管理したことがきっかけで3年の時にはクラスの投票でホームルーム長(学級委員)に選ばれ、いまだに私のニックネームはホームルーム長です(*´艸`)
3年間、クラスが一緒だったMとは親友となり今でもお互いのピンチには飛んでいきたい気持ちが続いています(*´艸`)
実際、私が離婚した時は結婚していたのに実家にすっ飛んできて一晩中語り明かしました(*´艸`)
2度目となる今の夫との結婚式にも喜んで友人たちは参加してくれました。
大人になった今、いじめの頃を思い返すと自分が未熟だったなと思います。正義感むき出しの私の返答は、きっと相手の子を傷つけたのだと思います。当時は自分が攻撃されてると感じましたが、先に攻撃してしまったのは私かもしれません。
でも、あの経験があったから、高校で一生の財産と思える素敵な時間を過ごせたし、高校時代の想い出があるので、高卒という学歴を恥じたこともないなぁと思います。
それでも長女が中学時代、嫌がらせの手紙を受け取ったり…高校時代に部活でトラブルに巻き込まれたときには胸が痛むし、相手の子を憎く思うし冷静でいるのが本当に辛かったです。
そんな中、過去の自分のできごとを長女に話したことがありました。「ママ、強いねぇ」そんな風に言っていた長女…強くなんかない…学校へ行く朝、足が前に出ない日が何度あったことか…でも、その後に幸せな高校時代を過ごせたことも必ず話します(*´艸`) そして、いじめの原因は自分にもあったと思っている事も…
長女は辛い時期、部活を1日も休まずに行きました。「負けたくない」そう言っていました。先生方にも相談しながら、時には学校まで車で送ったりしながら、長女は無事にその問題を乗り切り、先日、卒部しました。
我が家にはまだ、長女の下に3人の子供がいます。また、誰かがトラブルに巻き込まれることもあるかもしれません。子供たちが幼い頃、漠然とした不安を持っていたのが、実際に子供たちがそんなトラブルに合う年齢に育ってきて、楽しく笑顔で学校生活を送って欲しい…それだけが願いでもあります。
でも、辛い時があっても通り過ぎてみると私の様に思い出として振り返れたり、そこから何か得てくれたなら、辛さが限界になるのを見逃さず見守るしかないのかな?と思う気持ちもあります。
高校時代、父が倒れました。そこから亡くなるまで13年間、父は社会復帰はできないままでしたが、一番不安な時も支えてくれたのは友と担任の先生でした。父を支えている母を喜ばせたい一心で下がった成績を学年トップまで上げて、学校の推薦を得て銀行に就職しました。
子供たちに幸せな人生を…という思いはもちろんありますが、子供のうちに守ってやれるうちに失敗やくろう苦労をするのもアリだと考えるのは自分の体験からかもしれません。
父が倒れてなかったら、就職についても何となくその時の成績で行けるところに決めてしまったかもしれないって思うからです。私の楽しかった学生時代は今、母として子供たちと向き合う私の支えです(*´∀`*)
記事への共感…ありがとうございます(*´∀`*)ポッ お気持ちに心から感謝いたします♪