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ほんとは5人…

長女が1歳を過ぎたころ、二人目を授かりました。この事をこうして書き起こすのは初めてです。当時の私は初めての出産が難産で、産後に「もうお産はしなくていいよね?」と夫に言ったくらい…

初めての育児にもアタフタの日々で2人目なんて考える余裕もなくて…そんな時の予期せぬ妊娠でした。

お腹に宿ってくれた命…改めて考えると長女を一人っ子にするつもりはなかったし、出産予定日は翌年の1月…長女とはちょうど2歳差の弟か妹…

その子の存在で初めて「きょうだい」を意識するようになりました。当時お世話になっていた産婦人科は母子手帳も手配してくれました。最初の受診後、次の予約は8週目…その時には産婦人科で母子手帳を頂きました。長女の時と同じ流れです。

でも、その日の受診時に赤ちゃんの心音が確認できず、翌週にもう一度受診するように言われました。

翌週の受診時にも赤ちゃんは大きくなってなくて、心音も確認できなくて…医師から告げられたのは「稽留流産」という言葉でした。

当時の私は妊娠したら出産できるのが当たり前と思っていて…頭の中は真っ白…しばらく何が起こったのかわかりませんでした。きちんと泣けたかどうかも思い出せません。

一泊入院して手術を受ける事になりました。いよいよ明日が入院という日の夜、激しい痛みがあって夜中にトイレに行くと出血…今、思うと流産したのだと思います。

翌日、その事を受診時に伝えましたが、今後の事を考えて手術は受ける事に…長女を実家に預かってもらい手術を受けて翌日退院しました。

手に入ってしまった母子手帳が切なくて…でも、今も大切にとってあります。お空に返った赤ちゃんは、まだまだ母として未熟な私に二人目の出産は大変って思って一度、お空に返ってしまったのだと思いました。

それからはお空の子がまた、私たちの元にやってきてくれますように…と願い、良いお母さんになろうと必死でした。排卵日などの勉強もしてまた赤ちゃんを授かれるようにと…。

そして長男を授かりました。お空に返った子の出産予定日だった1月に長男を授かりました。お空の子が帰ってきてくれたのかはわかりません。でも、私は悲しみの中に留まらずに前に進めました。

子供たちにはもうひとりいた兄弟の話をしています。「本当は5人兄弟だったんだね」そんな風に話しています。


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