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【必読!】進撃の巨人 第62話 希望の扉/エレンのセリフにフォーカス

【1】エレン・イェーガーのセリフ

「オレはここに来て毎日思う。」

「なんでこんなことになったんだろうって・・・。」

「心も体も蝕(むしば)まれ、徹底的に自由を奪われ、自分自身も失う。」

「こんなことになるなんて知っていれば、誰も戦場なんか行かないから。」

「でも・・・みんな何かに背中を押されて地獄に足を突っ込むんだ。」

「大抵その何かは自分の意思じゃない。」

他人や環境に強制されて仕方なく、だ。」

「ただし、自分で自分の背中を押したヤツの見る地獄は別だ。」

その地獄の先にある何かを見ている。」

「それは希望かもしれないし、更なる地獄かもしれない。」

「それは、進み続けた者にしかわからない。」

 以上がエレンのセリフだ。Amazon Primeビデオで進撃の巨人をBGM代わりに再生しながら画像編集をしていたところ、このセリフに反応して今こうして文章を書いている。

 これは今を生きる全ての人に共通する「生きる上で何度も考える生きる理由について」の具体的かつ本質的な解答であるとボクは思った。

 人がこの世に生まれ、生きていく中で描く「夢」や「希望」、これを実現することのできるのはほんの一握りの人たち。

 高校や大学を卒業して働き始めた人たちは、毎日、生計を立てるためにどこかの会社や店に様々な雇用形態で属して働き、毎月決まった日に給料をもらう。

 しかし、自分の意思で選び働き始めた組織に対して、もしくは、そこで働く人に対して、不平不満や愚痴を漏らす人は少なくない。一度でも自分の感情が組織や人に対してネガティブな方向に向かってしまうと、その瞬間からそこは自分にとっての地獄へと化してしまう。

 でも、働き始める前には、自分がまさか地獄に足を踏み入れることになるとは想像していない。というのも、その当時はその先の未来に対して「夢」や「希望」、はたまた「理想」を描いているから、現実がどうであるかということを鮮明に想像することは不可能なのだ。

 きっと多くの人たちが理想と現実のギャップに苦しみつつも、「他人や環境に強制されて仕方なく」組織にしがみ付いていたり、納得のできないことにも耐えて働き続けていたりする。

 では、かつて自分の意思で選択したはずの環境を、一体誰が地獄へと変えてしまったのか。

 おそらくそれは、同じ環境にいる全ての人たちが支配と強制が当たり前な地獄の世界を変えるために犠牲を払うことを怖れて場に流されて生きることを選択したからではなかろうか。

 本当に自由を手に入れたければ、血を流す覚悟は必要ではないか。同じく、正義を振りかざすのであれば、想定し得る犠牲を払う覚悟は必要ではないか。

 守りたいばかりで、世界を変えるために捨てるべきものを捨てられない者に、正義を貫くことも自由を手に入れることもできるはずがない。どんな目に遭っても構わないという覚悟は、見方を変えれば単なる自己犠牲でしかなくなる。やるならうまくやらないことには、無駄に犠牲を払うことになる。

【2】意思と強制

 意思を行動に示すことのできる人は、人を頼る前に自分の頭で考えて行動する。こういう人は、例え強制されていることでも素直に従うことが正しいとは考えない。自分の判断で行動することを前提に生きることもできるだろう。

 反対に、自分の意思で行動できない人は、すぐに人を頼る。頼る前に自分で考えることもしないし、自分の意思よりも他人の言うことを頼りに行動する。そのことに疑問すら感じることがない。

 自分の意思で動いたり話したりすることができている人ってなかなかいないように思う。普段、話をしてみても、悟られまいとして自分のことは話さないくせに相手には根掘り葉掘り質問して掘り返そうとする。

 相手の言葉が本音であることなんか滅多にない。もちろんそれは自分と相手との関係性に因るんだけれども、ウソをベラベラとしゃべる人間の真意や意図は理解の範疇を超える。

 その割に、強制されると力には逆らうまいとお利口さんを演じて従い、陰で愚痴を垂れる。なんでなんだろうね?傷の舐め合いがしたいだけなのかね?申し訳ないけど、虫唾が走る。申し訳ないけど。

 そんなんで自由が手に入るのか?自分が納得できるような環境に誰かが変えてくれるとでも思っているのか?

 同じ境遇にいる人たちでも、人によって「見ているところ」「見据えているところ」がまるで違ったりする。その多くは、目先のアレコレに右往左往してジタバタと暴れてみたりピィーピィー喚いてみたりする。

 でも、先々、自分が目標とする環境を見据えている人は、とりあえず目先のことはどんなことでも耐え忍び、ごまかしながらもやり過ごそうとする。大した問題ではない、と。

 相手の「言い方」に腹を立てているうちは、心はまだまだ貧弱と思っておいていいと思う。これまでの人生で散々暴言を浴びせられたり、非難や批判されたりしたことのある人は、それを超えるものでないのなら平気で耐えることができる。

【3】自由を求めるなら外と内のどちらが正解?

 結論から言うと、自由を求めるのなら内側が先。この前あったファミマのお母さん食堂の件もそう。リベラルの人たちが性差別だと商品ブランド名にいちゃもんを付けた話。

 コミュニティーの在り方として、その外側で起こる出来事に対しては一切文句を付けないというのが鉄則ではないかね。反対に、コミュニティーの内側のことに関しては自由にすればいい。そのことに外側の人間たちから批判iされたり文句を言われたりしても、関与しなければいい。これも鉄則。

 雁首揃えて何を議論しているかと思えば、何のことはない。このコロナ禍に優先順位の低いことを問題にして騒いでいるに過ぎない。

 自己主張するのなら、論理的に説明し、どうして抗議しているのかを証明することができなければ誰も納得なんかしない。大体さ、ブランド名で女性が差別されているというのなら、エビデンスを持ってきなさいよって。

 必ずしもすべての女性がそう感じたとはならないでしょう。むしろ、何をそんなくだらんことで騒いでるんだ?って実際に批判されてたりする。

 あと、強制されていることに不満があるのなら、やってから言えって思う。やってからどこがどう納得できないのかを証明しなさい。

 やらずにブーブー文句言うのはガキと一緒じゃんね。やらない理由を聞かれて、まともっぽいことを言ったとしても、ただ面倒臭いだけじゃないの?って言われたらそれまででしょ。

 批判も文句もするのは自由だよ。でもさ、代替案を提示しないのなら、ただのワガママでしかないって思われても不思議はないよね。国会で文句垂れてる野党と一緒。鬼の首を取ったように偉そうに批判する割に、唸るほどの代替案を提示したことがこれまでにどれだけあったよ??ないでしょ。

 万が一政権交代するようなことがあれば、本当に日本という国家が危機に陥る。抗議活動なんかしたって変わらないでしょ。騒げば注目されて何とかしてもらえるっていう安直な考えでしかない。

 トランプ大統領は頑張ったと思うけど、去り際がみっともない。潔く去れって思ってる人も少なくないと思う。おかげで情勢が荒れに荒れて人が死ぬ事態にまで発展してる。バイデンさんも呆れて相手にする気もないほど。

 人の心は強制では集まらない。強制してことをうまく運ぼうと思うのなら、恐怖政治を敷け。中途半端に曖昧にやっておいて強制効果が得られると思うほうがおかしい。言ったことをやらない人間たちがいる現状に頭を抱えているのなら、恐怖政治を敷け。そうでないのなら、強制しなくてもやってもらえるように策を練れ。頭を使え。

 ボクは自分でそう思うのだが、どうだろう(・∀・)あは♬

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