【#制約】現実を受け入れられなくなった人間の居場所は存在しないのだろうか・・・
兵庫県稲美市で起きた放火事件。2児を狙った放火により尊い命が奪われた事件。子供たちの叔父にあたる犯人の犯行動機は、「兄弟の両親から生活を制約されたと思い込み、その両親が最も大事にしているものを奪ってやろうと思った」と。
戦後から現在に至るまで、およそ75年あまりで大きく変化した「家庭」や「家族」に対する認識は、もはや昭和の頃のそれには戻ることは不可能なところまで来てしまったように思う。
世の中には、夫婦間だけでなく、親子の間でも、「愛することができなくなった」ことに苦悩している人々が一定数存在している。非常に悲しい現実。
昭和の頃はというと、冠婚葬祭ではどの家庭でも多くの親族が参列するイベントだったイメージがあるけれども、今となっては感染対策の影響もあってか、コンパクトかつ低価格な式に留まっている。
景気低迷の影響は否めない。とは言え、ここ数年では、全国で報じられるあらゆる事件が深刻化してきたように見受けられる。
団塊世代、団塊ジュニア世代が体験してきたような幸せの理想像みたいなものは、現代においてはまさに夢のまた夢。求めるだけ不幸になるような気がしてならない。
そもそも、幸福に対する認識に過去と現在では大きくズレが生じている。そのことには多くの人たちが肌で感じていることだろう。しかし、過去に経験した幸福を再度体験することも、それをさらに超えるような幸福を体験することもないまま10年20年と過ぎていくと、不安に駆られるのは「それでもかつての幸福を求める人たち」ではなかろうか。
決して、幸せになろうとすること、幸せになりたいと思うことが間違っているということではない。でも、本来、幸せとは長期間持続するものではなく、極めて短い時間、数十年単位で言えば一瞬のもの。
一瞬の幸福を求める生き方というのは、後々後悔を生むことのほうが多いのではないだろうか。
人はどこまで行っても100%満たされることはない。むしろ、上がりきった生活水準が半減、もしくは5分の1などに落ち込んでしまった時には、想像を絶する苦痛を伴うことになる。
これまで当たり前だったことがそうではなくなることに、誰もが不安を感じている。そして、元の状態には戻ることがないのだと自覚した時、おそらく多くの人たちが絶望するに違いない。
長い年月をかけて手に入れてきたものを手放し、ある時から最低限の生活を強いられることになる、そんな生活を一体誰が望むというのか。
ところが、人は時にそういう局面に立たされることがある。かつての幸福な生活を失ったことへ絶望する。中には、人生やり直しとキッパリ割り切って前向きに生きる人もいるかもしれないが、景気低迷が続けば続くほどそうもいかなくなっていく人たちも増えていく。
どうしてそんなことになるのだろうか・・・?
再三例えとして語ることの一つに「資格」がある。この資格を取っておけば食いっ逸れることはない、そうと確信して資格を取得して役所や職安などの公的組織で働き始めた人たちは少なくないだろう。
人口減少しているのだから、公職員もいずれ大幅にカットされることになるというのは10年以上前から言われ続けていること。税金支出を抑えるためには、公職員、特に地方公務員を削減することが一番早い。
狭き門で有名な弁護士や検察官などといった国家公務員も、いよいよ厳しい時代に突入しつつある。餅は餅屋と言われるように、何年も何年も専門職で働き続けてきた人たちが、ある時からその道を絶たれてしまったら、それこそ想像を絶する苦痛を伴うことになるだろう。
今までの努力は何だったのか、と。
そうなる未来が近付いてきていることを感じながら、一つの道を選択して生きるということは、かなりリスクが高い。ほとんどギャンブルに近い。
ボクなんかは、誰が何と言っていようと、何冊かの成功本を読もうと、どれも信じ切ることができなかった人間だ。成功者が語る話とは、成功したプロセスを切々と語るものの、その時々で重なった偶然や奇跡などについてはさほど触れることがない。
生まれた時代が良かったり、流行りやブームに恵まれたり、行った先での人脈に恵まれたり、成功者は自分ひとりの力で成功したのではなく、実に多くのことに恵まれて成功したと言える。
ボクは実の父親から「お前たち(の世代)はハズレだったな」と言われたことがある。それは事実だろうとボク自身も思ったけれども、親世代の時代背景とはまるで違うわけで、その上で何回も同じ武勇伝を聞かされることにはある時から心底うんざりしたのを覚えている。
要約すると、「オレは恵まれていて、お前たちは恵まれていない、残念だったな!」と言われているような気さえした。そんな父が言い聞かせてきたことをすべて否定する気はないけれども、普通にやっていればなんとなくでも生きていられた時代ではないことを知っていながら、ヒントになるような話は一切しなかったんだよね。
それもそのはず、これから10年20年をどう生きていくかについては、もはや考える必要がないほどに年老いているから。高齢化社会の一番の問題はそこにある。60歳を超えた老人たちが若者のためにこの先の未来のことについて考えたり、動いたりといったことをするのではなく、今までにすがろうとしている。
おまけにちゃっかりと年金も受給しているわけだが、今の20代30代は年金なんか雀の涙ほど受給できればいいほうで、大方現行の年金制度は崩壊して別の制度として改訂されることが考えられる。
社会福祉にじゃぶじゃぶと税金を垂れ流した結果、若い世代に残す年金はございませーん、残念でしたぁーっていう未来。
この流れは誰も止められないだろうね。人口減少が国の意図したことであれば、食糧難に備えた「口減らし」とも考えられる。
外国人労働者を大量に流入させたことで日本人の年収が減っちゃいましたが、法人税減税の上に安く労働者を仕入れることのできた企業は内部留保を着々と積み上げていきつつ、従業員にはお安い給料を振り込んでいる。
おそらく管理職であろうじいさんばあさんの膨らんだお腹を見ていると、いい気分はしないよね?今このご時世でどうして肥満体形になれるのか、ボクには到底理解ができない。
そういう人たちのことだよ。ボーナスカットされて月給も下がっていくようなことになれば、嫌でも食費を削らないといけなくなるでしょ。おまけにさ、家や車のローンを組んでるんだったら、高かった生活水準が今度は生活を圧迫することになるよね。
給料がいいからって安心して肥満になるほど飲んで食ってしてるとさ、無意識のうちに感覚が麻痺するんだろうね。常に何かを口にしていないと落ち着かないとかいう人は病気の可能性もあるから、それは仕方ないよね、病気なんだから。
食に関しては最低限の質量が保たれていれば問題ないよね。二人前、三人前食えることは何の自慢にもなりはしないのに、どうして一人前で辞めないのさ。酒もそうでしょ?酔うまで飲むのが酒の正しい飲み方ではないでしょう。
酔えないからもっと飲む、ではなくて、酔えないから一定期間禁酒する、だよ。普通はね。
こんな話がある。お酒を飲んで肌が赤くならない人は肝臓の働きが弱っている。そういう人は、およそ72時間、断食して水だけ摂取して過ごすと、肝機能が回復して、それからお酒を飲むと肌が赤くなるっていう話。これは本当だった。
ボクも酒を飲んでも赤くならないと思っていたけれども、断食60時間してみたら、肝機能が戻った。すぐに手のひらが赤くなる。首元や胸あたりも赤くなる。こんなに変わるものかってくらいの効果。
毎日毎日酒樽をひっくり返すような飲み方は絶対にオススメしない。ワイン一本開けちゃったとかいう話を自慢げにする人たちは、自分の肝臓がフォアグラになってるかもしれない。
あとね、断食のいいところって、腎機能も回復するんだよね。これをデトックス効果と言っていいかはわからないけれども、体内の毒素を洗い流す意味としては間違ってないと思うんだよね。
72時間でなくても、習慣的に断食をする日を設けておくといいと思う。一日一食、晩御飯のみの日を設けるのも大切。毎日朝昼版三食しっかり食べましょうは科学的にウソってこと。人間の体って、空腹感を感じて過ごす時間が必要なんだよ。
空腹感、つまり、「満たされていない状態」を如何に堪能するかが大事ってこと。これは食事に関してだけではなく、普段の生活全般ね。
ビールが好きな人は、3日おきに飲むといい。毎日飲むより美味しさが何倍にも膨らむ。酒浸りな生活は絶対的に幸福度が下がる。
現実を上手に受け止めるのであれば、「あると思わないこと」と「満たされなくて当たり前」という状態に慣れることかな。求めるなら満たすためじゃなくて、満たされない状態に順応するために控えることを求めるほうがいい。
一度失った感覚は二度と元には戻らない。太った経験がある人は、一時期瘦せたとしても、生活態度を太っていた時と同じ状態に戻せば体形も簡単に元に戻る。痩せることを考えるよりも、太らない体質を作ることのほうがずっと大事。
言い方を悪くすると、貧乏暮らしを楽しめるようになれたら無敵ってこと。裕福であることが幸福である、みたいな論理は成立しないんだよ。裕福な生活をしている人たちは、その分だけ浪費も多い。裕福であるが故の不幸も必ずあるはず。
人間、どちらの人生を歩んだとしても、人であるが故の苦悩からは一生逃れることができない。だから、他者を見て羨む必要はない。見てくればかり気にして着飾っている人たちも多いけれども、それはそういう人たちの生き方ってだけのこと。
最低限の生活ができるのならそれ以上は何もいらない。欲を捨てたらいろんなことが自分とは無関係のことだったんだと気付かされる。ミニマリストとか自称するつもりはないけれども、価値観は間違いなくその方向に向かっていると感じる。何もいらない。
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