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◆実際に経験しないと変わらない「仕事に対する先入観」は、裏を返せば「経験して初めて気付かされること」が必ず存在することの現れでもある

 昔からずっと思っていた仕事に対する疑問。年末年始の郵便配達員、コンビニ・ドーナツチェーン・個人運営の弁当屋のアルバイト、工場のライン工、個人向け営業マン、法人向け営業マン、QRコードのペイメント事業の営業マン、パチンコ屋の店員・役職者、いろいろやってきたけれども、やったことがない仕事に対しては、その仕事を頑張る理由なんてまったく思い当たることがなく、想像もつかないことがほとんどだった気がする。

 行く先々で、それなりに仕事を覚え、立ち居振る舞いもできて、数年単位で働いているだけで、その職種の現場で経験することというのは、今思えば貴重な経験だったのかもしれない。

 特別な資格や実務経験がないと就くことができない職業というのは経験がないけれども、おそらく、そういう仕事は年収も報酬も平均年収よりは上回っているのかもしれないけれども、それはそれでそういう仕事にしかない苦悩というのも必ずあるはず。

 所謂「専門職」に属す仕事というのは、これを突き詰めていくことでその業界でのスペシャリストへと成長していくことができ、収入も上がっていくため「資格は取っておいて損はない」と信じて勉強し、資格を取得して就職活動に挑み、就職する人たちはこの30年で多かったに違いない。

 ところが、残念なことに、その資格の賞味期限があるかもしれない不安を人工知能が煽り始めてきたことで、報われない世代が増えつつある現実に直面することになった。資格を必要としない種類の仕事に転職することになり、一から仕事を覚える人たちも最近では珍しくない光景でもある。

 よく見てみると、近年ではドラッグストア、スーパー、コンビニ、飲食店なんかで、パートやアルバイトで働いている50代60代の男性や女性を見るのも珍しくはなくなってきているが、研修中の札を付けている人は特に、過去に経験のない、似たような仕事をしたことがないらしい不慣れな感じが見られる。接客という面では、ほとんどどんな仕事もお客さんを相手にする仕事だから、レジ打ち作業なんて誰にでもできると思われがちだけれども、逆にレジ打ちこそ経験値の度合いが一つ一つの動作から見て取れたりする。

 大義ってのは本当に罪深い。かっこいい言葉を並べて、これに心酔する者たちが、その先どうなるかも大して考えることもせず突っ走っていく。その結果、大変な事態が起きて初めて目を覚ます。

 どうして闇バイトなんかに応募しようと思うのかね。それはおそらく、その結果どうなるかくらいは想像しているはずで、その上で応募していると考えるほうが筋が通る。ではなぜ?お金が欲しいから、なのか?

 結局捕まるのは末端の人間たちで、トカゲのしっぽ切りを繰り返して成功を積み重ねていくだけの詐欺グループは、本体を破壊しない限り終わりはない。それも1つとは限らない。地面にアリの巣がいくつあるのかがわからないように、そういう詐欺グループも実態は不明だったりする。

 でも、そんな闇の世界のことなど、本来は知るべきではないし、メディアで専門家に語らせることもしてはならないことで、どうも社会というのは知りたがる一方で、そうした情報による影響が悪いほうに働いてしまう懸念をしない風潮がある。

 自分にとって悪影響であると思う情報は知らないほうがいい。これは、情報だけではなく、関わる人間もそう。関わるべきではないと思うならそのように振る舞う必要がある。

 でも、日本人って断れないでしょ。どんな時でも建て前ばっかり意識して、嫌な時でも自分の神経を擦り減らしてしまい、家に帰ってからぐったりする。 

アニメ アカギのセリフ

 人から嫌われないように、当たり障りなく接することこそが常識。そんなふうに教わった覚えはないはずなのに、ある年齢を迎えると周りの空気ばかり気にしてしまうようになる。実際これは社会に出てからの心理ではなく、小学校時代から無自覚にもそんなふうに刷り込まれていること。先生の「みんな仲良くしましょう」。これに生徒たちは「はーい!」と返事をする。

 現実的な話をすれば「誰とでも仲良くすること」それ自体が逆に嫌われる要素にもなり得ることなど誰からも教わることがない。気が付くとそういう人間は「八方美人」と呼ばれたり「あざといやつ」と揶揄されたり「好い人ぶってる」とか「ゴマ擦り」などとも言われていたりする。

 そんな回りくどいことなんかしないで、嫌われても構わない、そういうマインドを育てたほうがよっぽど社会に出てからラクに生きられるのに、と私自身もそう思う。ところが、誰かとつるんで群れていないと落ち着かない、馴れ合いの関係でもいい、そんなふうにして自分の居場所を保とうとする人たちも少なからず存在する。

 一番良くないのは、人から嫌われることは「悪いこと」だったり「見下されて当然」だったりという先入観を植え付けられていることだろう。これに関して言えば、社会に出てからというもの、行く先々でそういう考え方の人たちが必ずいる。人から嫌われることなんてあって当然のことで、全人類の何パーセントの人に嫌われているかを考えれば、ほとんど問題ではないだろうに。

 スケート選手の羽生結弦選手だってメジャーリーガーの大谷選手だってイチローだって、あんなに努力してる人たちでさえ一部の人間たちからは嫌われている。でも、それは彼らにとって問題ではないからこそ頑張れたんだろうと思う。SNSでの誹謗中傷で命を絶つなんて絶対に間違ってる。

 不運な世代ではあるよね、今を生きている全ての世代は。ある時から消費税制が施行され、派遣法が制定され、阪神淡路大震災、ライブドアショック、リーマンショック、東日本大震災、ビットコイン事件、新型コロナウィルス、そして、ロシアのウクライナ侵攻。最近騒がれたハワイでの山火事も米国株を大幅に下げることになり、日本株も影響を受けている。

 日本株に関しては、実態の伴わない異常な株価にまで上がっているけれども、要因は物価の高騰ではあるものの、良い意味の物価上昇ではなく、悪い意味での物価高騰なのでね、今後、日本株は大きな反動によって急落するタイミングが必ずやってくる。どんなに株価が上がっても、現状は完全なマネーゲームで、よだれを垂らしながら空売り勢が待機している。

 円安株高はいつまでもは続かない。次に何かが起こるまでに日本株を上げておこう、そういう思惑さえ窺える。日本株に関してだけ言えばこれは一時的なバブル。いずれ、どこまで下がるのか不安に苛まれるような下げ方を見せる気がする。言ってしまえばその時が狙い目ではある。日経平均12,000円辺りまではどーんと下げて、1万円を割り込むか否かのところで平行移動する動きをするようになるんだろうな、と。日本株から外資が撤退する時には大体そんな感じだ。

 ニュースで報じられるのは、日経平均株価水準が〇〇年ぶりの価格まで落ち込んでいる、というような文言。そう思っていていいくらいに、現状の株価は実態の伴わない異常値であることを理解しておくことが大事なんだろう。世界情勢がこれほど乱れているのに上がり続けた日経平均株価。5万円を超えるなんていうアホみたいな予測を語るアナリストもいるようだけれども、そりゃーそうでも言って個人投資家を巻き込まないと利益が出ないもんな、証券マンは。

 自社の株価を倍、三倍にするとか、どこからそんな考え方が出るのかわからないけれども、業績が黒字っていう程度じゃそうはならないでしょ。もっと投資家が食いつくような材料を放つくらいないと。世界初とか、自社独自の〇〇技術とかね。そういう意味では、楽天シンフォニーはとても興味深い。あらゆる問題が山積みの楽天ではあるけれども、社債を三年以内に返し切ったとしたら面白い展開が待っている。

 楽天シンフォニーが世界へ進出することになれば、国内三大キャリアはひっくり返るだろうね。プラチナバンドがどうのこうのとかいう問題も問題ではなくなるだろうし、楽天経済圏は全世界にまで広がることになる。そうそううまくはいかないとは思われがちだけれども、今の今まで楽天がなんとか耐えているところを見ると、だんだん後押しする存在も増えて来るんじゃないのかね。外資系ファンドを見方に付けて大逆転をする、そういう未来もなくはない。それくらい、楽天シンフォニーは破壊力がある。

 Softbankもauもdocomoも黙って見過ごしはしないだろうけれども、車に続き、携帯業界も大変動を迎えることになるかもしれないね。楽天にとってPayPayは邪魔だろうね。どうやって世界進出するのか、見物。

 こんな感じで、自分の身を投じてきた環境で見てきたものは、その後の人生においても気にするようになる。だから、人間関係に惑わされるよりも、行った先で何を見て、どんな経験をするかを最重要視したほうがいいと私は思うんだ。

 誰だって過去一良い時期を経験しているだろう。その時のことを自慢げに語る人たちは非常に多いけれども、何の役にも立たない。今が過去50年でもっとも厳しい時代なんだから。いつまでも過去の栄光に浸っている人の話よりも、現状に対する危機感とか将来に向けてのビジョンを具体的に語る人の話を聞くほうがよっぽど良い。もう、時代は変わったんだ。

 なるべく、新しい経験ができる環境に身を投じたほうがいい。あくまでも個人的にそう思うだけだが、何より、そのほうが面白い。ただそれだけ。できることだけやっていても得るものは限られる。得意なことにのみ縋っていると、それによって得られてきた利益が得られなくなった時に困るのは自分だからね。残念ながら資格も諸刃の剣。これからの時代はなおさらね。資格は万能ではない。そこには必ずリスクもセットで潜在する。

 いつチャンスが転がってくるかもわからないからこそ、とりあえずやってみる精神が重要なんだろうね。どんな仕事も、やってみないとわからない。やらずに先入観で語るだけでは何の意味もないし、何の価値もない。

 なんでもやってみればいい。誰に言われるでもなく、気の向くままにいろんな経験をすればいい。幸い、日本にはいろんな仕事がある。一回の人生では経験し切れないほどのたくさんの仕事がね。残念ながら経験するには若さは貴重だし、年齢次第では経験できないことも出てくる。

 尻込みしたり先入観から選ばなかったりする仕事の中には自分では知り得なかった気付きや経験が無数に存在する。思えば、一度はイヤだと思っていた仕事を経験してきている。でもそれは、面白い経験として変換されている。

 世間の変化に順応している会社、昭和の古い旧態依然とした体制で世間に後れをとっている会社、規模は小さくとも堅実に売り上げを立てている会社、こんなにしんどい仕事をしてこの給料かと思うような会社、いろいろある。でも、給料云々抜きにして言えば、経験したことそのものにこそ価値がある。

 給料、待遇、福利厚生、そんなものを基準に仕事を選んでいるうちは、おそらく経験値はそんなに上がらないだろう。どこかで満足してしまい、それ以上を求めなくなる。それでいいという人もいるんだろうけれども、あまりオススメはできない。

 ゴミ回収や交通警備員なんかの仕事も、その仕事をしようと思った人たちの考え方は、それを経験しなければ理解できないものだろう。土木作業員もそう。暑かろうと寒かろうと外で足場を組んで建設作業をしている、その様子は、見ているだけで大変そうだけれども、大抵の仕事は、それが無かったら困るし、むしろ感謝するべきだと思う。

 底辺の仕事ランキングなんてよくもまぁ堂々と公表できたものだよね。きっと経験値の浅い人間がやったことだろう。誰かがやっている仕事が、知らないところで自分の生活の支えになっている。そのことを失念しているような人は、まず営業マンでもやってみたらいい。一日20km以上歩き回って数字を稼げるか試してみたらいい。世の中をナメ腐っていた自分を恥じることになる。

 営業マンは、街中を歩いている中で働いている人たちを多く目にする。人を視て学ぶならまずそれがいい。自分の仕事は随分としんどいと思っていたのが、目にする働く人たちのほうがしんどそうに見えることが多々ある。運送会社の人や工事現場の人なんか特にそう。郵便配達員なんかも、毎日同じルートをグルグル回りながら配達している。どう見ても楽しそうではない。その向こう側にある「その仕事を選んで働いている理由」は、自ら経験しないと知り得ないものだ。

 結構真面目に働いている人たちって多いんだなって思えるだけで自戒になる。そもそも日本人は海外の人たちに比べて真面目に働くと言われてきた。最近はどうかは怪しい部分もあるけれども、基本的にはみんな真面目に働いている。

 そんなさ、真面目に働いている従業員に不正を指示するような会社もあるわけだけど、いくら生活のためとはいえ、そんな会社で働いたらダメだ。絶対に頑張りが適正に報われることはない。そういう経験ももちろん無駄ではないんだろうけれども、働く会社は慎重に観察したほうがいいね。

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