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【#ブッ壊す】現実をブッ壊す関連の投稿をする方は是非使ってね?
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現実を破壊するような出来事は起こる。それくらい現実というのは脆いもの。そんな時でさえ、だったら話に花を咲かせることには何の意味もない。
必ずしも、人の手のみで壊れるとは限らない。時に、自然さえも現実を破壊することがある。つまり、この世界は常に、破壊の要因を潜在しているということでもあるわけだ。
破壊が起こる時にはいつも犠牲は付き物。科学が進化を遂げる度に、多くの人々がその犠牲になってきた。今自分たちが生きていられるのは、そうした無数の犠牲があったからに外ならない。
犠牲を払ってでも進化させてきた科学は、おそらく将来的には人類滅亡の切り札にさえ利用されるかもしれない。
この世界に存在する全ての人たちが法やルールを完璧に守るのならきっと戦争は起こらないかもしれない。でも、そんな理想論が通用しないのもまたこの世界が持つ性質でもある。
生きるということは、誰かを犠牲にしなければ成立しないということ。ただ一つ人によって異なるのは、誰かを犠牲にするだけの人生にするか、誰かを犠牲にはしても他の誰かのために尽くして生きる人生にするかということ。
誰かが裕福になれば、その何万倍もの人たちが富を失う。それが資本主義経済の根幹でもあるわけで、裕福になることを目指す人たちは、何万人の人たちの富を奪うことをビジネス的な観点で語る場合には見て見ぬふりをする。
現代において巨万の富を手にしたとして、本当に幸福を感じられるのかどうかは甚だ疑問でしかない。それでも金を増やすことしか考えられなくなったら、それは単にカネに支配された人生でしかない。
カネを手にするということは、その分だけ何かを浪費するということ。何を失っているかをよく考えないといけない。
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