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~肉体との契約~

 ただ生きているだけで、多くの人が自分の前を行き交う。 大型ショッピングモールのフードコートから窓の外を眺めていた時に、ふとそんなことを思った。

 ゴールデンウイークシーズン真っ只中、この連休を楽しむために外出しているであろう人たちが乗る車が、広大な敷地と立体駐車場にびっしりと止まっていて、空きスペースを探すために何台もの車がゆっくりと走っていた。 誰とつるむでもなく、ただひたすら自分の時間を過ごしている。 30代半ば、そうして過ごす時間が今や当たり前になっているせいか、連休中にごった返すショッピングモールにいると、まるで別次元のように映る。

 一般的にはそんなふうにして誰かと時を過ごすことを欲し、それを良しとして楽しんでいるのかもしれない。 人で賑わう場所には人が集まるということに特に不思議な感覚は抱かないものの、予定を入れてまでそうした場所に行きたいとは思わない、自分はそういう性格なのだろうと思うことにしている。 人混みが嫌で関東での生活を抜け出してきたのだから、敢えてそういう場所に行くこともない。

 普段見聞きするニュースでは、年間で一体何人の人が命を落とし、何人の人が刑務所へ行き、何人の人が裁判を争っているのかを曖昧にさせるほど、様々なことが日々起きているのだということを伝えてくれる。 良いニュースよりも悪いニュースのほうが圧倒的に多いのが今の社会であることを物語っているようでもある。 世の中に対して不満を抱いている人は、自分が思っているよりもはるかに多いのかもしれない。

 ニュースだけではない。 インターネット上のアプリケーションでは、実生活ではなかなかお目にかかれないような、一見「変わった風景」を映像としてアップする個人が非常に増えたようで、昨今ではジャンル別の「まとめ動画」を配信しているアカウントも多数存在する。 それを観たがっている人がよほど多いのだということも動画再生回数が如実に示している。 ネコや犬などの動物の可愛い仕草を映していたり、人が喧嘩をしている様子を映していたりと、ありとあらゆる光景がネット上に次々とアップロードされている。

 中には、これまで幾度となく、相撲の八百長やTV番組のやらせなどが問題になってきてはいるものの、事、ネット動画においては、それがまかり通っているようにも見える。 時には炎上騒動になることもあるようだが、配信者からしたら無数の批判を浴びることにはなるものの、炎上それ自体が利益を生む材料にさえなっているようで、これに振り回されやすい人たちは自分の時間を湯水の如く炎上参加に費やしていることだろうと思う。

 また、炎上以外で言えば、YouTube動画でよく見られる「喧嘩凸待ち」だ。 電話もしくはモニター越しで、配信者が視聴者と喧嘩をする様子を映像化したもの。 その動画では小学生から一般の大人までもが釣られて配信者と喧嘩をしているのである。 その内容は実にお粗末で、観ている人にとっては何らためにならない、ただの罵詈雑言のぶつけ合い。 その他、架空請求業者にわざと電話をかけて論破しようとする人たちも次から次と湧いてきて、そのことが「日本という国は詐欺大国である」ということを説明している。

 とあるYouTuberの動画では、配信者の父親がゲーム機を破壊するという光景が映し出されている。 やらせか否かなどどうでもいいかのように、実際にそのゲーム機は大きなハンマーで破壊されて配信者が発狂するという図。 どうしてそのような動画がアップされたのかを考えれば、数年前に海外で同じようなことが起きており、それがメディアに取り上げられて世界的に注目を集める結果となっているからであり、それをただ模倣したに過ぎない。 にもかかわらず、再生回数はジャンジャン増え、配信者は家族全員でほくそ笑んでいるのである。 それを示すように、配信者は父親が昔好きだった大型バイクをプレゼントするという、何と親孝行な息子さんなんだろうか。

 つまりこういうことだ。 今の世の中は、茶番が茶番を生み、その当事者が荒稼ぎをするという構図が出来上がりつつあるということだ。 日本の国会がその代表だと言っても過言ではない。 くだらない討論をして国民のために仕事をした気になっている彼らが、どうして将来を考えられるというのだろうか。 しかしながら、彼らを当選させたのも国民であり、請求されるままに黙って税金を払うのも国民であるわけだ。 野党に関してはもはや何も言う気にならない。 国会議員としての職務を放棄したに等しい。

 とあるジャーナリストが、報道番組にて渦中の人物である元TOKIOメンバーの山口氏に対しこんなことを言っていた。 「3秒考えればわかることをやってしまったのだから…(省略)」と。 違う、そうではない。 考えるまでもないことを彼はやってしまったのだ。 お酒の問題に限らず、元々素行が良くない面もあったことから、結果だけ見れば、他者の支えあってこれまでやってこれたことに対し、協力者全員の顔に泥を塗ることになった、という出来事に過ぎない。 ところがだ、これまでの功績を鑑み、元所属事務所のジャニーズ社長は、彼の今後に対し責任をもって向き合っていくという主旨のコメントを発表した。 たった一度の事件を起こしてしまったことで生活の全てを失うことになるのはやりすぎだ、という世論の声もあり、特に福島県民の声は効力として絶大であったように思う。 そう、酒に魂を売った人間も見捨てられることがないのだから恵まれている。 

 過去、元極楽とんぼの山本氏が起こした事件後、彼は約10年、芸能界から追放されたものの、再度復帰を果たすことになったわけだが、それでも10年の縛りというのは何の基準にもならない。 結果復帰できるのであれば、世論の熱が冷めるのを待てば復帰できるのだということを示したようなものだ。 人生を棒に振るようなマネをしても再度表舞台に立てるということが、果たして社会に対するけじめと言えるのかどうかはボクにはわからない。 山口氏は書類送検後に起訴猶予処分となったわけだが、これが一般人ならそうはいかない。 保釈金として相応の金が動いたことは言うまでもない。 それに、被害者の立場にある女子高生の家族には噂では2000万ほどの金が渡ったと言われているが、これがどういうことを意味しているかを考えたい。

 日本が詐欺大国であるという話に関連するが、世間で起きている社会問題の一つとして、女子高生による集団組織的な「痴漢詐欺」が横行しているという事実がある。 無論、痴漢詐欺の被害者は男性であり、もし認めてしまうようなことがあれば当然慰謝料を支払うことになるわけだが、その金額はサラリーマンにとってはかなり厳しいものであり、前科が付けばそれまで働いていた会社には居られなくなるばかりか、最悪の場合、家庭持ちなら離婚などの家庭崩壊につながりかねない。 そんなおかしな話があるか!と言いたいところだが、現実に起きていることだ。

 もはや、善悪の分別ができる人間であっても、何かに「魂を売った人間」は、たとえやろうとしていることが悪でも理性というブレーキが機能しなくなる、それも人間なのだと言わざるを得ない。 時間さえ立てばまた社会復帰できる、お金さえ払えば刑務所に行かずに済む、そこに付け込んで、例え捕まったとしてもその場が何とかなればいい、楽しければいい、そういうわけのわからない愚考が愚行に繫がり、簡単に魂を売る人間が確実に増えている。 この状況を治安の悪化と表現して間違いないのかどうかはハッキリとは言えないが、確実に言えることは「法の見直しが急務である」ということ。

 成人の年齢を18歳から16歳に引き下げるということもその一つと言えるかもしれないが、そういう意味の法改正じゃ意味がない。 無論、罪を犯した者は判決通りの裁きを受け、罪を償って社会復帰するというのが今の法律だが、そもそもそれが甘い。 社会復帰以降も前科のある者には、健全な市民が負っている一般的な義務以外に、特別な社会的義務を課すべきなのである。 それを怠れば罰金を課すなどの重しを与え続けなければならない。 所謂、臥薪嘗胆である。 毎日寝る時には薪を枕に敷き、苦い胆を舐め、痛みと苦味を感じながら生きていくことで、自分が犯した罪の重さを忘れまいとする、そういう意味の義務だ。 これ以上犯罪者を増やしたくなければそれくらいはやっても世論は文句は言わないし、健全性は高まると思う。 健全性を高めるための法改正に必要な案を、世論から集めたらどうだろうか。 中には極端な内容の声も挙がってくるかもしれないが、総合して適正さを保つ内容については活かす必要があるのではないだろうか。

 簡単に魂を売る人間は、基本的に甘い考えをしている場合がほとんどのような気がする。 性、金、危険薬物、などという人間が刺激を求める際に欲するこの3種こそ、これに関する犯罪は厳罰化すべきであり、再犯の抑止力を持つ法が必要なのではないだろうか。 手癖足癖の悪い人間は、何度罰を受けてもやる。 一定期間静かにしていても、何かをきっかけに脳裏にチラつけばまたやる。 2度目、3度目と再犯回数が増える毎に、反省の色なしということは明らかなのだから、個別の厳罰化も同時に進めるべきであるとボクは考える。

 ボクは今回、「魂の行方」というタイトルと、「肉体との契約」というサブタイトルを掲げている。 人間はもともと「依存する生き物」であるということは言わずとも知れたことである。 だが人の思考は理性と欲求を天秤にかけていて、勝手に「大丈夫だろう」と自己暗示をかけてリスクを考えずに依存する選択をすることができる。 依存することによって何を失うかについては、その時点ではすでに忘れ去られている。 自分で言うのもなんだが、同じ人間で在りながら、人間とは本当に愚かな生き物であると言わざるを得ない。

 今まで当たり前のように満たされてきた欲が、ある日を境に満たすことができなくなった時、人間の理性は崩壊する。 例えばだ、極端な話、毎日当たり前のように満たしている「食事」「排泄」「睡眠」この3つの欲求のどれか一つでも絶たれたとしたならば、誰だって理性を失うに違いない。 それを考えれば、性も金も危険薬物も、依存した後に突然絶たれたら、気が狂う思いをすることは手に取るようにわかる。 考えるのにわずか3秒という時間すら要らない。 

 依存する事態に陥る時は、未体験であれば知らずに依存することだってあるのかもしれない。 しかし、それが元々依存するものであるということがわかっているのなら、絶対に手を出してはいけない。 その時点であれば理性はしっかり機能するはずだし、依存することによって起こり得るリスクも想定できるはずだ。 「知る」ということは、決して良いことばかりではないということを常に意識しなければならないし、リスクあるものについては興味を向けてはならないのだ。 リスクをリスクと気付けないのは誰のせいでもなく、自分の責任である。

 バックナンバーのnoteにて、「おいしそうな話ほど損をする」というフレーズを使っているが、まさにその通りなのである。 そして、人が何かに依存する時というのは、その入り口は広く構えられている。 危険薬物の売人であれば、最初だけ安く売りつけ、回数を重ねる度に値を釣り上げて破滅へと追い込んでいく。 それを欲する人間の持ち金を限界まで吸える限り吸い尽くして捨て去るのが危険薬物の売人のやり方だ。  

 多くの人たちが理想と現実のギャップを感じているであろう職場においても、もしかしたら同じようなことが起きているかもしれない。 入社時には聞かされていなかった業務を無理矢理任されたり、36協定を無視した残業を半ば強要されたり、未だにそんなことが社会ではあちこちで起きている。 そうした事実がありながらなかなか改善の方向に向かない。昔に比べればだいぶ良くなったほうだ、という声を聞くことがたまにあるが、そういう問題ではないのである。 現代社会においては、その酷かった時代を生きた人たちが管理職のポストにいる会社が多いかもしれないが、そのことが改善しにくい要因の一つと言える。 昔はこうだった、今まではこうだった、それに比べれば良くなったほうだ、と強引にも納得させようとする。 だから未だにパワハラやセクハラなどのハラスメント行為を平気でやってしまう人間が出てくるわけだ。 政治や教育や治安維持の分野で公的な職務を果たすべき人間たちのハラスメントが後を絶たず、益々茶番社会に拍車がかかっているように見える(笑) ちゃんとやれっ!!(怒)←これは一国民の声として記しておく。

 株やFX、副業やビットコインなどの情報商材関連のセミナーなんかも同じで、最初は無料。 会員登録をすることで料金が発生する。 商材屋の場合は金額がバカみたいに高いため、きっと騙された人たちは度肝を抜かれるに違いない。 幸せになりたいという人間の素直な感情を利用した悪質な商材屋や、巨額の料金を架空請求された人間の不安な気持ちを悪用したり、家族を心配する親心を利用したりする悪質極まりない詐欺が蔓延している。

 確かに、嘆きたくなるほどメチャクチャな社会になったなと思ってしまうのも無理はないかもしれない。 だからこそだ、おもしろそう、たのしそう、得しそう、といったような話をされた時には「入口が広い」ということを意識しなければならない。 依存するまで引き込まれたら、人生は破滅に向かい始めることを覚悟すべきだろう。

 要するに、俗に言う「パリピ」である。 どんちゃん騒ぎをしている時は、アドレナリンが大量に分泌されて、現実とはかけ離れた空間にさぞ興奮するに違いない。 刺激に欠ける平凡な毎日では満足できないのはわかる。 ただ、あまりにも現実離れした空間に居座ることが当たり前になってしまうと、現実と非現実の間に乖離が生じてしまい、現実には居られなくなるなんてことも起こってしまうかもしれないとボクは思う。 人が一番嫌うのは、もしかしたら「居場所がないこと」かもしれない。 だから、その嫌いをなんとかするために「肉体との契約」をする場所を魂が求めてしまうのかもしれない。 魂が自分の居場所を探しに行く、そこで肉体が契約してしまうと、そこが自分の居場所と化す。

 こんな言い方をすると憤慨する方々もいるかもしれないが、冒頭で述べた大型ショッピングモールにも多くの契約者が存在することを、ボクはこの目で確認した。 休日、連休と言えばココ、といった具合だ。 もはや連れてこられた子供たちも慣れている様子。 そうして育てられた子供たちは、中学生、高校生と学年が上がっていっても、友だちを連れた彼らの居場所がショッピングモールになってしまうわけだ。 すごく便利で快適な空間なのかもしれないが、まんまとイオンの経営戦略に依存してしまっていると感じさせられる。 何でも揃っていれば行きたくなるのが人間なのかもしれないが、依存の意識はきっと彼らにはないだろうと見ていて思った。 感じが悪く映ってしまうかもしれないが、ああいう場所はボクにとってはほとんどが人間観察の場所であるという認識でしかない。 「どうしてこんなに多くの人が集まるのだろう」という素朴な疑問からだ。 冒頭では「不思議な感覚は抱かない」と書いたが、訂正する(笑)

 「恋愛に魂を売る人間」とはどういうことかというと、ここで表現されるのは「彼氏彼女を飾り程度にしか考えていない人間」のことである。 特に、恋愛に魂を売る女性が飾りとしている彼氏を「仮氏=仮の彼氏)」と称している点だ。 男をとっかえひっかえしたり、二股三股で男と付き合ったりして時を過ごす「狂った女性」のことを意味する。 あなたの周りにそういう人はいないだろうか。 ボク個人的には是非ともお近づきにはなりたくないタイプの人間だ。 語弊がないように付け足しておくが、恋愛に一生懸命であることは実に良いことであると思う。 ところが、理に反する恋愛の仕方に慣れてしまった男も女も、もうそれ以降純粋に人を好きになることはなくなると言って間違いはない。 人間の心はそこまで都合良くできてはいない。 バックナンバーでも書いた通り、「人を愛するということは人生で一番美しい感情」だ。 美を失った恋愛は、もはや恋愛ではない。 もしそういう人付き合いがしたいのなら、相手も同類の人間を選ぶべきであり、純粋な人を傷付けても構わないと思っているのであれば、恋愛をする資格はない。 どの道そういう人間は常に望む結果に至ることがないのだから好きにしてくれたらいいのだが、ボクに近寄って来ようものなら全力で拒絶させてもらいたい。

 皆さんは、何に魂を売っていますか?(・∀・) 自他共に、極力無理のない選択をしてくださいね。 あなたも「変わった風景を映した動画」に映り込みたくなければ、ですが。 魂を売った人間は必ずインターネット上に浮上する、というのがこれからの社会です。 世の中はすでに監視社会です。 それをわかっていて狂った愚考をすれば必ず愚行に走ることになります。 

 最後に、あなたの魂の行方は、その肉体が美しい何かと契約することを、心より願います。

 以上、にゃむでした(・∀・)あはっ♬

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