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時代を象徴する言葉探しの旅

 戦国時代、織田信長勢による本願寺焼き打ちの際に、僧侶がこの言葉を唱え焼死したとされている。

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 劫火に覆われながらも、心の内に生じる雑念を祓うことで、炎の熱ささえも涼しく感じられるようになることを意味する。

 目の前に起きている到底信じがたいほどの現実に対して、どんなふうに心の内で捉えるかによって、一般的には誰もが絶望するしかないと思い込んでしまうような悲惨な境遇でも、冷静さや、今自分がどうしたいのかといった自我を保ち、適切な判断を下せるようになる。

 もはや手の打ちようがないほどに詰んでいる・・・、何をどうしたらいいのかわからなくて、心底不安に苛まれてしまうことは、生きていれば誰にでも一度はあることかもしれない。

 でも、そういう時でさえも、自分を保ち、真っ先に選択すべき行動を取ることができれば、人様の助けに、お役に立てることもあるかもしれない。

 それが、焼き打ちに遭った僧侶の最後の心の拠り所になったということには感嘆する。自分だったらどうだろうか。慌てふためいてただ泣き崩れるに違いない。

 小心者こそ、その臆病な性格から、絶体絶命の危機に立たされた時には助かろうとするし、思いの外冷静に適切な行動を選択することができる。反対に、傲慢で過信している者ほど簡単に命を落としてしまいがち。川でおぼれている人を発見して「自分は泳げるし助けることができる」と確信して川に飛び込むも、溺れかけて暴れている人を制御できず体力を奪われ、助けようとした人が溺れてしまうことがある。

 ライフセーバーのスキルの一つとしてよく聞くのは、まず溺れそうになって暴れている人を大人しくするために思いっきり殴って気絶をさせてから助けるということ。

 中国のとある湖で不意に足を取られて落ちてしまった金槌で80代の女性は、自分が泳げないことをよく自覚していたため、仰向けになって静かに浮かび、助けが来るまで待っていたという話があった。昨年の秋ごろのニュースだったと思う。

 不安や恐怖に限らず怒りや悲しみなどといった心の中の雑念は、本人の意思とは無関係に暴走することがあり、自分を見失った人はどんな行動をするかわからなくなる。

 瞬間湯沸かし器と揶揄されるほど沸点が低くちょっとしたことでキレる人は、冷静さを保つ心の在り方を知れば気付くこともあるかもしれない。そういう観点で言うと、強ちお坊さんの説教が無意味とは思えない。

 宗教信者にならなくても、世の中に存在するあらゆる思想という思想は、「こういう考え方もあるのだ」という気付きを得るために知っておくに超したことはないとボクは思うんだよね。

 現代人は何かというと二元論で極端な考え方に偏りがち。対立、論争、そういうものが好きなわけではないのかもしれないけれども、そういう時こそ両者の主張がどういう考え方から発せられているものなのかを知ることからはじめればいい。そうすることで、落としどころや妥協点を模索する目的で言葉を交わせるようになる。

  炎上ユーチューバーは、おそらく、ボーボーに燃えてもこれを結果的に優位に事を運ぶことができることに気付いているのかもしれない。年明け早々にはじめしゃちょーが炎上しているらしいけれども、登録者数が900万人以上いても国内3位に下がってしまったことで、炎上は想定外としながらもおおよそ近い結果に至ったのではなかろうかと思う。

 闇鍋に入れるべきではないものは入れないようにしよう(笑)

 何年、何十年経っても、現在まで受け継がれている素晴らしい言葉は、受け継がれる理由がちゃんとあるから残り続けているんだよね。言葉の力は素晴らしい。人を傷つけることもできるのが言葉の威力でもあるとは思うけれども、せっかくなら自他ともに役に立つ言葉を知り、活用していきたいものだね。

 次回以降も、良い言葉が見付かったらシェアするよ(・∀・)あは♬そして、焼き芋が食べ、、、隊っ!(・∀・)

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