~美徳と聞いて何を思う?~
皆さん、にゃむですよ?(・∀・)あはっ♬ 久々の文章投稿です。 緊張しますね、ひっひっひ(笑) テンションがおかしいことは自覚しています(笑) それはさておき、今回は、おそらく皆さんの普段の生活とは遠くかけ離れているであろう、あまり目にすることはない単語【美徳】をご用意致しました。 英語では【virtue】(読:ヴァーチュー)、意味は『美しい徳。道に適った徳または行為の意。』 今回のnoteヘッダーデザインは、夜空に瞬く無数の星たちと、大地に咲く情熱の花「ハイビスカス」を描いてみました。 では、早速書いていくことにします。 目ん玉かっぽじってよぉーく読んでくださいね!(笑)←目ん玉かっぽじったら読めないなんていうツッコミは想定の範囲内ですよ?(笑)
昔、小学校2年生の春頃のこと。 学校の花壇に植わっていたとある花(ピンクの細い花びらが付いていたが、当時名前を知らなかった花)が咲いていて、ふとしゃがみこんで「わぁ~キレイ♬」と言った瞬間、音楽の先生だった「しのぶ先生」が駆け寄ってきて、ボクのことを抱きしめてこう言ったのである。
この言葉が誰の言葉なのか、ご存知の方も多いだろう。 もちろん、当時7歳だったボクはそんなことを考えることもなく、ただ、先生に抱きしめられるなんて思ってもみなかったため少々戸惑ったものだ。 この言葉が誰の言葉なのかを知ったのは、おそらく高校生になってからではなかっただろうか。 そう、日本で有名な詩人である「相田みつを氏」の言葉である。 彼の作品は、普通に生活していてもあちこちで見聞きするようになるほどで、今も多くの人たちに愛されている。
小さい頃は無邪気だったのもあるかもしれない。 歳を重ね、大人になって社会に出ると、人はいくらか汚れていく。 その汚れは、一概に汚れたままということではなく、汚れてしまった後に気付かされる美もあるのだと学んだように思う。 個人的に、美徳そのものの意味とは少し違って、生きていく中で美徳の存在に気付いていくこと、これこそが美徳の本当の意味ではないだろうかと考えたのである。 あの時、しのぶ先生がボクに言ってくれたこの言葉は、その情景と共に、今も鮮明に記憶に残っている。
世の中には、美しい景色、美しい思想、美しい芸術、美しい振る舞い、美しい言葉、などといった多くの美が存在している。 現存するあらゆる美を知らないということ、そして、美を目の前にして美しいと思えない心であることは、人間として非常にもったいないことだと思えてならない。 シンガーソングライターや俳優や演出家などでマルチに活躍されている美輪明宏氏は、美意識についてこんなふうに言っている。 3つ紹介する。
ここで一つの解が得られる。 美徳という言葉の意味が美しい徳であり、美しい思想や行為であるということの大前提には、必ず【美意識】があるということ。 普段の生活すべての前提に美意識を持って過ごせば、人は美しく生きていける。 「美は女性だけの観念である」と思っているなら、それは激しい思い込みに過ぎない。 プライベートだけではない。 学校や仕事、スポーツや趣味においても、美意識があるかないかでは「過程」も「結果」も全く違うものになるのではないかとボクは思っている。 さらには、目標達成に向けてする「努力」さえも、美意識によってもっとも効率の良い「努力の最適化」を実現できるのではないかと言える。
何年か前に、堀江貴文氏が発した言葉で世間から批判を浴びていたことがある。 「寿司職人になるのに修業なんていらない。」と。 下積み時代なんてなくてもおいしい寿司の握り方さえ覚えてしまえば誰だって寿司職人になれるし、お客様を喜ばせてあげることだってできる。 ツールの使い方と商品の完成形を再現できさえすればいいわけで、皿洗いや掃除などをいくらやったところで寿司職人になれるわけではないということをストレートに発言したのである。
この話題を目にしてボクが思ったのは、国が認めている「国家資格」も当てはまるということ。 いくつもの資格を持っていても、それを活かす機会に恵まれなかったり、本当は活かせる環境にいながらも実践ではそれほど効果を発揮できなかったり、はたまた、その資格を持っているが故に過酷な労働を強いられたりと、全国的に資格ブームが到来した時には多くの人たちが資格取得にガッついたものだが、これが招いた労働災害事例が全くないとは言いきれないのが実情ではないだろうか。 無論、資格を最大限に自身の幸福にリンクさせることができている人はいいかもしれないが、果たしてそういう人がどれだけいるのだろうか。
身近なところで言えば、自動車を始めとした乗り物関連の資格免許は、今現状でさえも適正な基準であるとは思えない。 運転の危険性を顧みない「ながら運転」による事故は一向になくならないし、悪意ある危険運転をする輩もいる。 自動車を運転する資格のある者として認められたのは、学科と技能の成績が良かったからというだけであって、本人の人間性には目を向けていない。 人様の命を殺めてしまう可能性が常にあることを運転者は忘れてはならないのに、美意識が欠如している人間が車を運転すれば、どんな事態に陥っても不思議ではないのである。
普段の会話はどうか。 多くの人と話す機会がある人というのは、一体どんな会話をしているのだろうか。 ボク自身、それほど多くの人との関わりがあるわけではなく、リアルでは仕事関係のみ。 その他はネット。 職場では普段からよく顔を合わせる人としか話さないことがほとんど。 時にはそれさえも避けることがある。 大抵の人たちは、普段「美意識」なんか全く感じさせないような話しかしていないため、その相手をすること自体ボクにとっては何一つプラスにはならない。 特に、その場にいない人物の悪口や陰口といったことを聞かされるとなると、耳にフタをしたくなるくらい拒絶反応が出てしまう。
直接話していなくても、周囲で話している人たちの話の内容が耳に入ってきても、毎日毎日顔を合わせる職場の人たちとよくそんなに話すことがあるなと思う一方では、美意識の感じられない内容であることにも気付かされる。 この人たちは「時間に対する美意識」も持っていないのだろうなと。 見下しているのではない。 ただそう感じるだけである。 何も無理してその輪に交ざろうなどとする必要はないため、極力自分の時間を大切にするように努めている。 休憩時間に本を開いて読んでいれば、そうそう話しかけては来ない。
時間に対する美意識だけじゃなくて、【〇〇に対する美意識】みたいに、自身の普段の行動すべてに結び付けて考えるようにしたらいいと思うんだよね。 例えば、企画書一つ作るでも、プレゼンテーションするでも、改善案を考えるでも、なんでもいいんだよね。 【リーダーという立場に対する美意識】なんて面白そうだなーと思う。 プライベートなら、食事に対する美意識とか、睡眠に対する美意識とか、お風呂に対する美意識とか、そうやって考えると個人それぞれの価値観が一気に噴き出してくると思うんだよね(笑)
美徳って別の捉え方すると、自分にとっての美徳だったり、他者のための美徳だったり、その形はいろいろあるんじゃないかな。 「~でなければならない!」なんていう狭い考え方ではなくて、「これは〇〇したほうがいいかもしれない。」あるいは「これは○○したほうが美しい!」って思えることが美徳の真骨頂だと思う。 そうやって人生を歩んで行けたら幸せだろうし、きっといつか「自分だけの答え」なんてのも見付かるかもしれないよね? それに、最愛の人とそういう生き方ができれば、それはもう【最上級の幸福】に成り得る。
美意識を別の捉え方すると、「美意識による消去法」なんていう概念も生まれるね。 美輪明宏氏の言葉のように、「迷ったときは、美意識で決断すれば間違いない。」ってこと。 美意識で決断するということは、美意識に反する選択肢は片っ端から排除していけばいいということになる。 自分の周りに、物事を曖昧にしようとしたり、誤魔化そうとしたりする人間がいるならば、それに同調するのではなく、「全然美しくないっ!」とバッサリ斬って捨ててしまわなければならない。 美しくないことに加担すれば、自分が汚れていくと思えばいい。 万引き・痴漢・危険薬物・ひき逃げ・置き引きなどといった、健全な一般市民さえも巻き込んでしまいかねない犯罪も、当然自身を汚す。 人生を全うしたければ、美意識は絶対に必要だ。 こんなこと、学校の道徳の時間では教わらなかったよな?(笑)
今回は美徳について文章を書いたわけだけど、ボクにはいくつもの大事にしたい言葉がある。 そして当然、知らない言葉もある。 だからこそ、知ったその瞬間から胸に刻み、実生活に結び付けて、発信する際の材料にもするわけだ。 死ぬまで心に収め歩きたい言葉、そう思える言葉をこれから先もずっと集めて生きていく。 これがボクの【人生に対する美意識】だ。 美意識が無意識化した時、きっとそれは「美意思(びいし)」になるんだろうね。 無意識に美を考慮した意思。
あ、そうそう、今の時代、一般男性たちが女装を生業に活動している集団あるでしょ。 ああいうの見てどう思う? 気持ち悪いとか思う? 男は男として生きるべきであり、女は女として生きるべきであるだなんて、誰が決めた? 元々、男にも女にも男性脳と女性脳ってのは何割かの比率で誰にでも混在している思考らしい。 100%男性脳とか100%女性脳とかあり得ない。 むしろ、女装を生業に活動している一般男性たちは、その辺の男性や女性よりも遥かに「高い美意識」を持って今を生きてるんじゃないかね? おそらく彼らは彼らなりに成功を収める気がする。 Twitterで知っているのは「#クロスレイ」というユーザー。 なかなか破天荒な生き方をされているなぁと興味深く観察させていただいている。 彼の周りにいる仲間たちも化粧うまい。 ボクは個人的に彼らの存在を認めたいと思う。