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~承認欲求を満たしてきた資格たち~
ジブリのピアノメドレーをYouTubeで聞きながらこのテーマについて文章作成をするっていうのが、こんなにも抵抗があるものとは・・・(笑) いや、でも、やっぱりジブリは良いよねっ!! ボクは昔から好きだ。 何気ない風景の中にちゃんと作者の思いが込められてて、伝えたいことが何なのかをどの作品も考えさせてくれる。 何度観てもいいものは何度でも観たいね♬(・∀・)かんたーっ!!www
さて、本題に入るよ♪ 今回は、「社会的基準とされているもの」についてフォーカスしたいと思う。 ボクがまず連想したのは【資格】なんだ。 個人的にはTOEIC公開テストのスコアと、あとは自動車免許くらいしか取ったことがない。 本当に興味が湧かなかった、こればかりはね。 なんでそこまで抵抗があったかというとね、「資格を持つ者だからこその苦労」がおよそ想定できたからなんだ。 それに、苦労で済めばいいけど、最悪の場合、その資格を持っていたからこそ大けがをしたり、命を落としたり、重労働を強いられたりするものだってことを知ってしまったもんだから、どんな資格も取る気にはなれなかった。 そもそも勉強が嫌いだし。
そりゃーね、中には、資格の勉強をしたからこそ知り得た有益な知識もあるのかもしれない。 その点で言うと、ボクは知らないことがたくさんある。 だけど、本心でやりたいと思うことが資格の中に見当たらないようだと、仮に何かの資格を取るために勉強しても全く身が入らないのがわかってるから、それだったらやらないという選択をしたんだよね。 個人としてボクは資格取得を放棄したんだ。 それも堂々と。
わかるよ、世の中のあらゆる仕組みや仕事が、資格を持ってる人物によって構築され、支えられ、改善されてきていることは。 でも、そういうことでは生きがいを感じられない。 できる人にお任せする。 今でこそハッキリ言えるのは、今後、国家資格かそうでないかに限らず、あらゆる資格が「人工知能の発達」によって無効化されていく時代が来るってこと。 人工知能搭載のコンピューターが資格の能力を上回る時代、人工知能が人間の能力を上回る時代が来るのに、どうして今から資格の勉強をしなければならない?? それはあまりに不合理だと思うんだよね。 今も頑張っている人たちには申し訳ないけど、これはあくまでもボク個人的な見解だ。
現実的に、偏差値の高い大学を卒業したからといって、いくつも資格を取得したからといって、その経験や知識を活かせている人間が今どれだけいるというのだろうか。 彼らは確実に幸せに暮らせているのだろうか。 無論、それだけ過去に勉強をした人たちならば、自身の経験も知識も行かせる頭を持っているのかもしれない。 しかしどうだろう。 世の中を見渡せば、高学歴でもない、特に資格も持たない人間が次々に成功を収めているじゃないか。 その現実をどう説明するのだろうか。
勉強をしてこなかったが故に後悔した人間はこれまで数多く存在しただろう。 だけど、現代社会はそうじゃない。 気付いた者が真っ先に動き出して成功する。 ボクにとって「資格を取っておけば就職には困らない」なんていう幻想は通用しなかったのさ。 それに、今は生活さえできれば何の問題もない。 抱えているものと言えば1匹のネコくらいだ。
結婚し、子供を持つ人たちは、きっとこれからも大変な思いをするに違いない。 情けない話かもしれないが、ハッキリ言ってボクにはそんな自信はないと断言する。 経済的な問題だけではなく、やりたいことが明確になっているからこそ、求めないようになっただけのことだ。 独身者は自由なんだ。 社会貢献度から言えば、家庭を持っている人たちよりもかなり低いかもしれない。 だけど、それは責められる理由にはなりはしない。 人生は己の選択次第。 少なくともこの日本ではそれが許されている。
子育てにおいて懸念されるのは、今の世の中には悪影響のあるものが溢れ返っているし、それを防ぎきることは困難と言える。 ニュースを見ていると、親が背負いきれる責任の許容を遥かに超える事件も起きている。 我が子がそうならないとは言いきれない社会だってことを思うと、安易に子供が欲しいなんて言えない。 もし、自分にとって愛せる人ができたなら、ボクはその人だけを大事に生きていきたい。 無論、価値観が合致すればの話だが。 身勝手極まりない言い分なのも自覚はしているものの、今はそう言いたくなる社会だし、ボクみたいな考え方をしている独身者は現に増えている。 珍しいことではない。 そんなふうに考えている自分をボクは肯定する。
ただね、ボクがもし子を授かったら、間違いなくかわいいだろうなという確信もある。 しかしそれは、すでにボクが選択しなかった道。 世間体を気にする人の考え方が理解できない。 世間が基準? 社会が基準? そんな生き方を望まなければならない理由はないだろうに、なぜそれに従う必要があるのだろうか。 むしろ、これまでの社会的常識は今後通用しない部分も増えてくるだろうから、一片ぶち壊してしまってもいいくらいだ。 その一つが義務教育だ。 なにやら小3から英語っぽい授業を教育課程に組み込むとかいう話があるみたいだけど、国語もまともに教えきれない教育体制でそんな形ばかりの英語を教えようなんて無茶がある。 どっちつかずの中途半端な学生が出来上がるに決まってる。
大体、あのゆとり教育から教育環境がメチャクチャになってはいないかね? そして、今年度の大卒就職率はなんと98%(笑) 誰でもオッケーどんどんおいで♬みたいな、入り口の広ぉーい採用手段を企業が断行したのは、とにかく入社させてから教育して育てようというもの。 むしろ落ちた人2%ってのが凄いってレベル。 もはや学歴は微塵にも効果がないことを示している。 これからの日本に不安を感じてしまうよね、こんな事態。 でも、それくらい人口減少は甚大な影響をもたらしているんだろうなとも思う。
自分の選択が、例え結果的に間違っていようとも、決めた時点で「これでいいんだ!」って思えないでどうするんだよ。 それでいて「みんなが」とかまた言うのか? みんなとかどうでもいいんだよ。 自分がどうしたいかが一番大事なんだよ。 周りに合わせてないとそんなに不安かね。 即断即決できる人間は、昔よりもだいぶ減ったよね。 今は保身の気持ちばかり考えて白黒付けることを嫌う人間が増えた。 目の前のことがグレーなら、白黒付けてみるといい。 そうすりゃ、そっから一定以上の変化が期待できる。 でもそれは、誰かがやってくれるのを待っていたっていつまでも変わらない。 自分が動いてみたら、案外うまくいくこともある。 ビビってんじゃねーよ。 若い世代に示しの付かない先輩方がまあ多いことで、ボクはビックリだ。 日本の政治、大丈夫?(・∀・)あはっ♬
ボクは楽しみにしているんだけどなー、会社組織内の「パラダイムシフト」を(笑) 電通がやってるあんなレベルじゃダメだ。 もっと根深いところからイッペン引っこ抜いて、苗から植え直すくらいしないとな。 まさに断行だ。 無駄か無駄ではないかで仕分けすれば一発だ。 無駄な取り組み、無駄な会議、無駄な規則、結果が伴わないそういう全てのものを排除して、一から考え直すんだ。 業務効率をアップさせることに特化すれば、何が要らないことかが見えてくるはずだ。 今までやってきたことだから何だ? そんなことは関係ない。
資格がどれほどの意味を持つのかが見えてこないのは、実際にこの目で見てないからだと思うが、もはやそれによって埋められてきた承認欲求は、AIの進化によって切り捨てなければならなくなる。 やりたいことを思いっきりやったほうが、満たされるに違いない。 そっちの方向性で動いてみたらきっと楽しいだろうに、たとえ仕事でも。 後に続く世代に希望や期待を持たせてやれないのなら、そんな仕事はしないほうがいい。 現実ばかり見せてやる気を削ぐようなやり方は、組織全体のモチベーションを下げるだけだ。 上の人間が何でも決めて動くから、従業員はいやいややるようになるんだと思うけどな、ボクは。 とりあえず、会社で愚痴り合うのを辞めろ。 言ってないとやってられない? それで作業精度が落ちたんじゃ言い訳すらできないじゃないか。
ただ、国家や社会が認めるための基準に付き従うということよりも、AIが進化した社会では、なお一層、「人間にしかできないこと」がどれほど重宝するのかを見据えていくことが大事なのではないかと。 一説には、人工知能が生活全般に根付くと、人間は考えなくなるのではないかということが危惧されているものの、それは一概にそう言えるものではなく、やはり考えるということを重視している人たちは、いくら人工知能が発達しても考えることを辞めないのではないかと思う。 そしてボクもそのうちの一人であり続けたいと思うわけだ。
資格取得という肩書が必要なら勉強しなければならないかもしれないが、それが無くとも別に生き方を見つけることは可能であり、その中で必要な知識は自分で学べばいいし、別にAIの力を借りつつ活かしていくということが当たり前になったとしてもいい気はする。 何がいけないかというのは、過剰に頼りすぎないことであって、AIが全くの害であるということではない。 資格を取得することで大変な思いをするくらいなら、ボクは別の道を選択するというのが個人的な考え方。 そもそも国家資格を受けるに至らない頭脳なので、むしろAIの進化を待ちたい。
血の滲む思いで国家資格を取るために勉強されている方、または現在その資格を活かして働いておられる方、大勢いらっしゃるかと思いますが、決して「人」を責めているのではなく、社会の変化における資格の持つ本質的な意義を個人的な観点から語ったというものですので、誤解されませんようにお願い致します。 今回のnoteには、批判を招くような内容も含んではおりますが、もし何かご意見などございましたら、noteコメント欄もしくはTwitterのDMまでご連絡ください(・∀・)
にゃむでした!!(・∀・)あはっ♬
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