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よーし、みんなで一狩りするぞぉ~!

 猫島、一度は行ってみたいにゃむね(笑)動画では観たことあるけれども。今はもうほとんどの猫が去勢されてて、耳に切り込みが入っているらしいけれども、それでも猫は猫だ。猫島、猫好きには堪らない楽園にゃむね?

 全然話変わるけど、皆さんは、「泣きながらご飯を食べたこと」はあるだろうか。疲れて、家に帰りついて、ご飯を食べ始めたら、スッと全身の力が抜けて、頬を涙が伝う。

 不思議と、人は独りでご飯を食べていても、何かを考えてしまうことがある。悔しいと思ったこと、悲しいと思ったこと、苦しいと思ったことなんかをね?

 生きていると、自分という人間が如何に無力であるかを痛感させられることがある。でも、どんな時でも腹は空く。食事をする時に立つ音以外、何も聞こえない中、ただご飯を食べる。ご飯を食べているのに、頭の中は無力感が支配していて、悔しくて、涙が止まらなくなって、食事どころではないくらいに泣きじゃくる。

 ボクは1度だけそういうことがあった。それもたまたまクリスマスの日。クリスマスなんて自分とは全く関係ないと思っていたけれども、現実の厳しさと、記憶の中に媚びり付いた初恋の人との別れが、心を圧迫し、人生で初めて「寂しい」という感情を抱いた。その時、目の前にはクリスマスのホールケーキが一つ。

 食事を摂る気にはなれなくて、ただ目の前のケーキにスプーンをブッ指して口に運ぶ。もぐもぐしているうちに、勝手に涙が溢れてきた。寒いってだけでイヤなのに、なんやかんやと脳裏を巡ることから思考が離れなくて、止まることのない涙を、ひたすらティッシュで拭き続けた。

 その時、初めて自分が如何に弱い人間かを思い知った。今は、三十路を迎えた頃に飼い始めた猫が、毎日当たり前のようにそばにいるけれども、どれほど助けられているかわからない。ただそこにいるだけなのに、頼ってくれたり、寒い日には足に乗っかってきてくれたりして、体温を感じられることで心が和む。

 元々群れることが苦手だから、今は独りでも何とも思わない。慣れてしまったんだと思うけど、若い時とは求めるものが変化したんだろうなと、そんな気がしている。30歳になるまでに、自分の弱さや無力さを知ることができたのは大きな収穫だったと思う。

 弱さを自覚していれば、道を踏み外すことはない。弱さを自覚していれば、強くなろうと思える。強いフリなんかする必要はない。いざって時にスッと目の前で困っている人を助けてあげられる、それぐらいの強さを持てるようでありたい。

 こないだ、交差点で信号待ちしている盲目のおばあちゃんが少し困っているようだったから、「一緒に渡りますね」と声をかけて右肩に手を置いて、一緒に横断歩道を渡った。すると、目が見えないおばあちゃんが、笑顔で「ありがとね~」と言ってくれた。

 たったそれくらいのこと、誰にでもできることかもしれない。言ってしまえば完全な他人だけれども、目の前の状況に対して適切な行動を起こすことができるのは、ボク自身が求めていること。これを能力と言えるかどうかはわからないけれども、そういうちょっとした瞬間に人様のお役に立てるのは、自分にとっての喜びでもあるのだと今は思っている。

 困っている人が目の前にいるのに、それを無視することがボクにはできない。でも、これをお人好しと言えばそうかもしれないけれども、手助けするにもちゃんと判断はする。自分にできないことは断るけれども、できることなら手伝う。

 世の中にはさ、ヘルプマークを付けている人に対して、偏見の目でしか見られない人もいるけれども、その存在に対してどうこう言ったって仕方がない。その時々で、自分にできることを、ただやってあげればいいって思う。バスや電車でも、席を譲る人と頑として譲らない人がいる。自分がどちら側の人間で在りたいかを考えられる人は、すぐに前者の立場の行動を選択することができるよね。

 いいんだよ、「良いカッコしぃー」とか言われても。言いたいヤツには言わせておけって思ってればいいんだから。そうやって言っておきながら、いざ目の前にそういうことが起きたら、席を譲ってる人だっているだろうからね(笑)それが人間のわからないところ。見たまんま、聞いたまんまじゃ人がどんな人間であるかはわからない。

 どんなふうに生きたいか、どんな人間で在りたいか、そういうことを真に考え掘り下げるために、自分と向き合うという意味で「文章を書く」ということがボクにはとても大事。自分と向き合う時間が圧倒的に増えた分、過去欲していたことを切り離すことができたように思う。

 出会いは時の運。自らガツガツ求めるものではないかなっていう考え方が元々ボクにはあるみたいだから、人間関係は成り行きに任せて、その時々で判断すればいいって思う。好かれたいとかコレっぽっちも思わないから、基本的に不愛想なヤツだと思われてそうだけど、それがちょうどいい。

 あと、何を始めるでも、自分に向いてるか向いてないかとかいう適正を始める前に思い込みで判断せず、とりあえずやってみるってことで、面白い体験を一つでも多くすることね。失敗は、なんでもやっておいたほうがいい的な。そして、人の失敗は責めない。次にどうするかのほうが大事だからね。

 やっぱり野球かテニス、本気でやっておくんだったなぁ。遊び程度にしかやってなかったから。もっとこの左を活かしておけばよかった。中途半端ってのは後味悪いな。

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