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【リライト版】組織が腐敗していく仕組み

 皆さん、ごきげんいかがですか?日々の勤労、誠にお疲れ様です。にゃむnote開始から10日目の2018年5月12日に投稿したnote「組織が腐敗していく仕組み」が、投稿以来「428日」経った今でもなおダントツのページビューを誇っております。また、本日7月14日までの1か月間で「418pv」を記録しております。

 現在私のnoteアカウントのフォロワー数は400名様で、ここ最近ではちょこちょこ増減しております。おそらく、このタイトルに関してはフォロワー様以外にもアクセスを頂いていることだろうと思います。フォロワー数の6倍以上のページビューですからね。発信したボク自身も、なぜこのタイトルだけ伸び続けているのかよく分かっておりません(笑)2番目のnoteのページビューは「764pv」のまま止まっております。我ながら不思議な現象だなーと思いつつ眺めています。

 今回は、その【リライト版】ということで、もう一度このタイトルで文章作成をしてみようと思います。ページビューは後付けのものなので、それを目的に書くのではなく、再度、馴れ合いと不正について考えを巡らせ、そこからどんな物事にリンクさせて文章を書いていくかを書きながら楽しもうと思います。

【1】どこからが馴れ合いで、どこからが不正なの?

 ボクは文章を書く時に、単語の意味を調べる癖があります。わかっているつもりでも、いざ単語の意味を正しく説明しようと思うと曖昧な時ってありませんか?書く時だけではなく、話す時も誤った認識で遣ってしまうことがあると、一般常識レベルのものであれば恥ずかしい思いをしますね。赤っ恥ってやつです。それでも遣い慣れていない単語は遣わないと覚えないと思いますから、率先して遣っていきます。語彙力大事。

 皆さん、「能ある鷹は爪隠す「頭の良いバカ」の意味の違いっておわかりですか?世の中にはですね、自分のことを「能ある鷹」だと思って爪を隠しているつもりの「頭の良いバカ」が存在します。では、両方とも言葉の意味を調べてみましょう!※「頭の良いバカ」については私が勝手に定義しました。

【能ある鷹は爪隠す】
実力のある者ほど、それを表面に現さないということのたとえ。

【頭の良いバカ】
自身に備わっている能力・資格・知識・技術を正しく行使すべき時に、その責務を放棄して面倒事から逃げる人のこと、または他者に面倒事を押し付ける人のこと。

 全く意味は違いますね。ですが、これを混同している人、結構見ます。本当は頭が良くてやろうと思えばできる人なのに、どこかこう、熱意に欠けていて、やる気が感じられなくて、大変な時ほど逃げ腰だったり、面倒事を押し付けてきたりする、こういう人をボク個人的には「頭の良いバカ」と定義しています。結局アレですね、「どんなに有能な人間でもやる気のない人間=会社のお荷物」と評価されるということです。

 職場の人たちのうち、能ある鷹か、それとも頭の良いバカか、見極める機会というのは常に存在します。なぜなら、「世の中にはグレーで白黒ハッキリと割り切れないことが多いから」です。このことから、「馴れ合いはグレー」「不正はブラック」だと定義づけることができるんですね。えー、つまりですね、こうも捉えることができるわけです。「なんでもかんでも白黒付ければいいってもんでもない」と。

 政界医療司法、そして企業(または職場)。特に「医療の現場」「裁判」では、白黒付けられないことが非常に多い【狂気の世界】ではないかとボクは思います。医者の診断を信じて手術を受けて死亡してしまった医療過誤の被害に遭った患者さん、無実の罪で無期懲役や死刑などの実刑判決を受けてしまい冤罪の被害に遭った人。現代社会においても、こうしたあり得ない惨事が起きていますね。

 最近で言うと「強制不妊」に関する事例が記憶に新しいかと思います。かつて、遺伝性疾患遺伝性ではない精神疾患知的障害のある人への強制不妊を国が認めていたらしいのですが、つい最近、裁判にて国の敗訴が確定し、国に対し強制不妊の被害に遭った方々への賠償金の支払い命令が義務付けられたようです。テレビ番組やCM、報道やネットユーザーの動画配信など、未だに「倫理」を問わなければならないことがあるのはこれまでの歴史に明確な誤りがあったからだと、社会全体が認めているからでしょう。

 ただ、裁判というのは、白黒ハッキリとしなければならない世界でありながら、訴訟を起こした人も、訴えられた被告も、そして彼らの親族も、両者とそれぞれの親族が必ず傷付くんですよね。被害にあった側の人たちが世間から心無いバッシングを浴びせられることもありますね。そして、互いに傷付くのを避けるべく、「和解」という選択肢も設けられていますね。

 そもそもグレーな物事に対して「これは白だ!」「いや黒だ!」と議論することにはあまり意味がないように思いますが、いつどんな時も、本来在るべき姿はどういう姿か本質は何かベストな状態はどんな状態か、そして今現在、これらの観点から目の前の問題に向き合うことができているか直視する必要はあると思うんですよね。どこからが馴れ合いでどこからが不正なのかの線引きをするのは、その必要条件を満たしたあとだとボクは考えています。

【2】自分の都合の良いように物事を解釈する人間ほど本質を無視する

 残念なことに、物事の本質を無視しているにもかかわらず、自分の都合の良いように解釈した上で事を運ぼうとするのに長けているのは「頭の良いバカ」な人たちなんですよね。本質がどうかはわかっていてそれを曖昧にしつつ、相手を納得させるズル賢さを平気で行使するのも彼らです。ですから、彼らに対抗しようと思うのであれば、必然的に「本質」や「本来在るべき姿」を提示できるくらいの思考と言語力がどうしても必要になります。

 あ、それと「勇気」も必要かもしれませんね。これについて断言できないのは、ハッキリと何も気にせず本音を言える人には勇気が必要ではないからです。しかし、大抵の人は、勇気が足りないために言わずに大人しく従っているほうが自分の身は保たれると考えるため思考も言語力も放棄してしまうんです。これが慢性化すると、明らかにおかしいことに対して「おかしいと思わないのはおかしい」とも思わなくなってしまうようです。これは、とても重大な問題ではないかなとボクは思っているんですけれども、職場においてこういう人たちが多ければ多いほど、問題の処理に手間取ったり、的外れな議論から生じた対策に奔走したり、そうしている間にまた別の問題が山積みなったりして手に負えない状態にまで悪化してしまいます。

 本質を無視するということは、全てが本質からズレたものと判断されても不思議はありません。物事の本質は、全ての方法論の根源的なものを示します。そして、目的の根源でもあるとボクは思います。本質を踏まえ、目的に沿った方法を考える時、それは必ず「何のためか」を議論するべきで、そうでない以上はただ単に「やったという既成事実を取り繕うため」でしかないわけです。

 職場には、多くのルールや規則が存在しますし、問題が起きれば対策を打たなければ再発してしまうということで、あらゆる予防策が決定されます。しかし、必ずそのうちの一部には、あまり熟慮されたものだとは思えない非効率なルールただ縛り付けるためだけの規則対策になっていない対策過半数の従業員が賛同しているとは到底思えない活動などが存在します。時には、こうした本質から逸脱した職場のあれやこれやが、通常業務に支障を来していたり、従業員によって、または部署によって、守る守らないに差異が生じていたり熱量が均一ではなく乖離していることにボクは気付いてしまいます。

 一部の従業員から直接声を聞くこともあります。「あんなことやって何の意味があるかわからん」「忙しくてそれどころじゃない」「みんなどうでもいいと思ってるよ」など、ポジティブな捉え方をしていないのだということは聞いてわかることもありますが、聞かずとも見ていれば伝わって来るものです。ですから、そんなルールや規則、対策や取り組みや活動といったものは、廃止できるものはどんどん廃止すべきでしょうし、改定したり改変したりできるものについてはしっかり議論すべきだと思うんですよね。

 職場では、毎月多くの会議を開いているようですが、役職者を集めて一体どんな会議をしているんでしょうか。少なくとも、ボクには会議によってこれまでの在り方を見直しているようには感じられないんですよね。いつも変化を嫌っているように見えますし、現行のルールや規則を見直すことも、本質的に問題に対して策を議論することも、拒絶しているようにしか見えません。一体何のために会議を開いているのかわかりませんね?一度拝見してみたいものです。

 上司部下の関係に限らず、職場における人間関係が馴れ合いの関係になってしまうと、いくら会議を開いても、周りの目ばかり気にして、本来言うべきことも言えないまま会議は終了することになります。ちょっと言い方が荒くはなりますが、ボクにとって馴れ合いは「クソ」です(笑)近年では、正当な厳しさもハラスメントみたいに騒ぎ立てる輩が湧いているせいで、厳しいことも言えない弱腰な上司も結構増えたんじゃないでしょうか。それよりも部下と仲良くしているほうが言うことを聞いてくれる、そんなふうに勘違いしている人もそれだけ多いということだと思います。

 仲が良いのは結構なことですが、仕事上言うべきことを言わないのは、えー、やはりクソでしかありません。組織内にそういうクソみたいな人間関係を保とうと馴れ合いに必死になっている人たちが多ければ多いほど、組織は腐敗しやすいと言えますし、初版でも書いた通り、「組織は上から腐る」ということが現実として起こりやすくなってしまうわけです。そういう人間に職場改善やら抜本的改革やらができるわけがないと思うんですよね。できるならやって見せてほしいものです。でも、できませんよね、周りの目が気になり過ぎて。それでも立場相応の給料は貰ってるんですから、その責務は果たすべきだと思いますが、「給料もらえればそれで満足」と思っている人も残念ながら存在しますね。

 そういう社員から「正社員になればいいのに」なんて言われても少しもなりたいと思わないんですよね。これはもう率直にそう思います。誰がなるかと思いますね。正社員になったとして、型にハメられるのがオチです。でも、職場には、ボクが尊敬する人もいます。作業一つにも精度と効率を意識してチームをまとめられる人がいるんですが、きっとこういう人たちは想像以上に苦労されている方々だと思います。

【3】肥満体形であることが悪いのではなく、痩せる努力を怠ることが悪い

 例えば、身長が175cmの人の適正体重は65㎏と言われていますが、10㎏くらいは許容されると思います。しかし、体重が身長マイナス110ではなく、90である場合は、20㎏オーバーしており、体重は85㎏となります。これ以上の体重になると「肥満」と診断されます。肥満規準を示すBMIの数値が「18.5~25未満」である場合は「普通」らしいですが、「25~30未満」では「Ⅰ度の肥満」、それ以降、Ⅱ度、Ⅲ度と診断されます。

 体脂肪率20%の人は軽度肥満、25%は中等度肥満、30%は重度肥満。ボクは身長168cm、体重47㎏、11㎏ほど痩せている体形です。体脂肪率はずっと一桁です。ボクは間食はしませんし、小食なだけです。好き嫌いは一切ありませんが、あまりこう飲み食いには興味がないと言ったほうが正しいかもしれません。土産物でお菓子をもらうことがありますが、どうも抵抗があるんですよね。その場で食べなければならないという強迫観念は少なからず感じます。おまけに、返報性の法則で言うと、お返しをしなければならないという強迫観念も感じますが、ボクは返す気はありません。ですから、要りません(笑)あくまでも職場の文化というだけで、派遣社員のボクには関係ありません。こんなボクを人間性に欠けていると思うのは自由ですし、おかしいヤツだと思うのも自由ですが、職場にはおかしいことが他にもたくさんあるでしょう?とボクなら言いますね。

 さて、なぜボクが体形や体重のことに触れたかと言いますと、管理職に就いている人物が肥満体形だと組織の統率に悪影響を及ぼす、というものがありまして。身長で言いますと、身長が高いほうがリーダーシップを発揮しやすいらしいですが、体形が肥満体形だとどうして組織の統率に悪影響を及ぼすのか。これはですね、【自己管理の不行き届き】を疑われる最大の要因となるからです。体質や病によるものであれば、病院で診断を受けたり、処方箋を受けたりして治療をすることになると思いますが、食生活の異常によって肥満になってしまった人については、単なる怠惰な生活習慣が招いたことです。

 ただし、肥満体形の人にも2種類いまして、痩せようと努力している人そうでない人とがいます。痩せる努力をする人は、自己管理の意識が高い人だと言えますが、怠惰な食生活によって至った肥満体形でもなお食生活の是正や体質改善をしようとしない人は、自己管理を放棄しているに等しいわけです。そういう人が組織の中でリーダーとして自身の能力を発揮できると言えるのかと言いますと、そこにはいくらかの弊害が生じても不思議はないわけで、発揮することはなかなか難しいと言えるかもしれません。

 もしボク自身が傍から見てデブだと思われるような体形であれば、リーダーとしての能力を発揮することはできないと、ボク自身が思っていることです。何やら、統計データにもそのことを示す数値があるようですが、そんなことはどうでもいいんですよね。特に暑い季節は汗をかきますが、肥満体形の人の汗は実に臭います。汗のケアをするよりも、ボクだったらダイエットのための運動をして、新陳代謝を上げることに努めます。実を言うとボクもかなりの汗かきなんですが、それだけに一日の水分摂取量も2リットル前後と、とにかく水分を摂ります。今年の夏も暑いですからガブ飲みしますが、水太りとも縁がないようです。

 リーダーシップを発揮したければ痩せる努力は怠ってはいけません。痩せるだけではなく、引き締まった筋肉であるならば、スマートさ、ストイックさも見た目に明らかになるでしょうから、毎日ストレッチや筋トレなどをする習慣は必須かもしれません。これは、体形に関わらず、ということです。えーっとですね、このことと「朝のラジオ体操」が無関係かどうかはボクにはわかりませんが、初版でも触れたとおり、ペチャクチャしゃべりながらだったり、正しくラジオ体操をしないのであれば、朝のラジオ体操は廃止すべきだと言わざるを得ません。

 まぁ、良い取り組み、良い習慣ではあるとは思いますが、職場内に肥満体形の人たちが目立つ以上は言うほどの効果は得られていないことになります。ボクは今も、ラジオ体操はしません。あんなに統一感のない時間は無駄だと思いますね。ですからボクは、自分で独自のストレッチをやっています(笑)最近特化しているのは、肩、腕、胸筋のストレッチ運動を集中的にやっています。先々週にやった作業で右肩の筋を痛めてしまいましてね、今も痛みが残っていて違和感があります。やはり普段から基礎体力を保つためのストレッチと筋トレはしておいたほうがいいですね。

 年齢がいくつになっても、背中で左右の腕を上下にガッチリと手を握れるようでありたいと、毎日続けています。右利きの人は、背中で、右腕を上から左腕を下から回すと届かない、または右腕を下から左腕を下から回しても届かないようで、年齢が40代50代60代と進むにつれ肩・肩甲骨周辺の筋肉と間接が固くなっていくようです。体は資本と言われますからね、どうせならもっと意味のある取り組みを期待したいところです。ダイエットをしたい方は、毎日風呂上りにストレッチをすると新陳代謝が上がるらしいですよ。是非お試しください。リーダー的ポジションに立つ人は、自身にそういう習慣を課すべきだと心得ておくといいでしょう。痛風になるようでは論外でしょう。

【4】取り組みや活動に意味を持たせるべき人物は、そこで働くすべての従業員の責務である

 その責務を放棄することも、考えることを放棄することも、結局のところは自分たちの職場を腐敗させることに繋がるわけです。今現在、大して成果が得られない対策や、多くの従業員たちが無駄だなんだとボヤいているような活動を、これまでどおり続けるのであれば、責務を果たすことにはなりません。あれあれ?おかしいですね。なぜ誰も異義を唱えないのでしょう。あれだけ「当事者意識」は大事だと掲げられているのに、ほとんどの人たちが他人事みたいに考えているじゃありませんか。おかしいですねー??

 意味がないなどとボヤいている人間は一体何を考えているんでしょうねー??目の前のおかしな状況に対して異義を唱えずして黙って従っているじゃありませんか。いやーおかしいぞぉー??どうしたいのかわかりませんねー。れっきとした当事者なのにどういうことなんでしょう。物事は上の人間たちが決めるから、自分は下っ端だし、何か意見すればどういう目に遭うかわからない・・・と?何も言いもしないでいてそんなこと考えているんでしょうか。正社員の風上にも置けない愚考だと、断罪したい気持ちに駆られます。その程度の当事者意識なら非正規に変更したらいいことになりますがね。

 こういう社員たちに、給料以上の仕事は不可能だとボクは思います。熱意も情熱もなく、ただいたずらに毎日をやり過ごしているんですからね。でも、こういう社員は一部であって、本気で仕事している人たちはもっと大勢いると思います。取り組みや活動に意味を持たせようと努力していても、その思いが届かないのが「当事者意識の低い正社員」という、厄介な状況は職場の至る所で見受けられるものです。ボクはね?言葉に出して言いはしませんが、実際に接してみて、言葉を交わしてみて、作業している様子を観察してみて、じっくりと時間をかけて観察した結果、心の中ではそのように判断できる正社員に烙印を押しています。言っても無駄なことは明白で、本人の問題ですからね。はい、ここで「目上の人を敬いなさい」について書いてみようと思います。

【5】「目上の人」の定義は何か

 ボクはですね、年齢が上の人を目上の人、とは思ってないんですよね。自分より歳が上だろうと下だろうと、敬いの気持ちを自然と抱かせる人物なら敬うでしょうし、そうでないなら尊敬はできないはずだからです。第一、目上の人を敬いなさいって言葉は、命令のニュアンスが強いですね?言われなくても敬いたくなるのが本来の尊敬の意味ではないかなーと思いますが、どうなんでしょうか。ぶっちゃけ尊敬の念を抱くのに対象の年齢は関係ないということです。

 つまるところ、「目上の人とは、何かについて自分よりも優れている人物、何かについて自分よりも詳しい人物、自分よりも人として器量のある人物、自分よりも・・・」という具合に、年齢ではなく、相手の人としてのポテンシャルや能力、もしくは経験が、自分のそれらよりも上であることが前提条件であり、その条件を満たした人物こそ目上の人だと認めるべきではないかと思うわけです。別に、人格者だから敬うべきだというものでもないとは思いますけれどね。例えて言うならば、恋心や憧れのような想いを抱く時と近いもの「敬意」であったり「尊敬」であったりするのかもしれません。

 せめて、自分が勤めている職場に、そういう人が一人以上いれば、その人たちはあなたのお手本や見本として背中を見せてくれると思います。自身のモチベーションをキープしたいのであればその人たちに倣って仕事をすることです。一人も敬える人物がいないということはないかもしれませんが、もし本当にいないのであれば、勤める会社を変える必要があるかもしれませんね。ただ、経験則でしか語れない人は、「昔はこうだった」「今まではこういうやりかたはしていない」などと過去を基準に話すため、創造性に欠ける人物だと言えます。確かに人ひとりの経験は貴重ですが、あくまでも参考程度に聞くことです。

 馴れ合うことが大好きな人たちのことを敬う気にはなれませんが、おそらくは集団組織においては大事なことなのかもしれません。人にはそれぞれスタンスというものがあるはずなのに、周りに合わせることに必死になって自分のスタンスを保てない人の仕事は、大抵の場合は褒められた作業精度ではありません。自分が勤めている職場がどんな職場でどんな問題を抱えていてそこで働いている人たちの器量や熱量はどれほどか全体を俯瞰する眼は、立場関係なく誰にとっても重要なものだとボクは思います。

 もし自分の職場が腐敗していると感じているのであれば、自分が防腐剤の役目を担えるかどうか、試してみる価値はあるんじゃないかなと思います。そんなことを考えることなく、毎日を惰性で過ごしている人たちには、言葉だけでは通じないのだということは、これまで何度も経験していることです。実際に行動に移してみて、その結果どんな変化が生まれるか自身のアクションでどれだけの変化が起こせるか、試してみる価値は必ずあるとボクは信じています。それには、年齢も性別も経歴も資格も関係ないと思いますが。組織全体に共通する目的のためならね?

 試した結果、上の人間たちがそれぞれの権限や権力をどう使うかを観察すればいいのです。もみ消したり無視したりするようならば、組織の腐敗はかなり進行していると言っていいかもしれませんが、そうではなく、しっかりと議論の場を設けて論争を繰り広げるようであれば、まだ健全な組織だと思います。下の人間たちもビビってないで声を挙げればいいのにとボクは傍から見ていて思いますが、ボクは思うだけではなく、「発信」「提案」というスタイルで独断でアクションを起こしています。これを真摯に受け止めてくださる人の存在を確認でき、変化を起こすきっかけになったのだという実感を、これまで何度か体感しております。こういう方々の存在のおかげで、敬意と感謝を以って次なるアクションに繋げようと思えます。

 あなたも、勇気を出して、思い切ってアクションを起こしてみたらいかがでしょうか。そう簡単に異動させられたりクビになったりと立場を悪くするような力は、今このご時世では働きません。まぁ、それもその組織にいる人間たちの質にも因りますがね。もしそんなことになれば、正当に所定の手続きの下、戦えばいいのです。嫌がらせをする人間も、嘲笑う人間も、バカにする人間も、見下す人間も、批判する人間も、実のところ自分では動きませんから、耳を貸す必要はありません。あらゆる力を正しく行使できる人間に届きさえすればいい、そういう思いで発信活動を続けていますから、怖くも何ともありませーん♬

 はい、今回はここまでにしておきます!初のリライト版はいかがでしたか?あまりにも初版のページビューが伸び続けているので、追撃してみました(笑)良かったら、コメントくださいね♬どんな声でも構いません♬ボクは前よりは器量の大きい人間に成長できたという自負はありますので、遠慮なくコメントしてください。これも言語化の練習になりますからね♬あなたが感じていること、思っていること、考えていること、あらゆる思考の言語化をする機会だと思ってコメント、どしどしどし!!お待ちしております♬

【初版note】良かったらこちらもご覧ください♬まだまだ伸びております!


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