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~自分にできること~
Beautiful ORCHESTRAをテーマに今回は文章を書いてみようと思う。 No music No life いつもそばに音楽を持ち歩くことは今では当たり前で、音楽を聴くことで気分が高揚したり、リラックスしたり、時には感動したりする。 ボクは最近の曲には疎く、昔から好きな曲をいくつかダウンロードして日々ループ再生して聴いている。 特に詳しいということもない。 最近ではオーケストラを聴くようになり、聴きながらこうして文章を書くのが常である。
YouTubeでは数多くの音楽系動画が配信されていて、中でも映画やドラマ、ゲームやアニメのサウンドトラックやBGMを聴くことも多い。 特に、RPG系ではスクエアエニックスのファイナルファンタジーシリーズ、サガシリーズ、ドラゴンクエストシリーズ、聖剣伝説シリーズのBGMを聴くのが好きで、もう何度再生したかわからないほど。 でもボクは昔ほんの少しゲームをしたことがある程度で、そんなにハマってはいなかった。 ただ、これらの音だけは、いつ聴いても臨場感があって、聴いていたいと思わせてくれる。
動画の中には、それらのBGMを自ら再現するという神業的な演奏を配信している方々もいて、特にピアノによる再現は見事という他ない。 FFXの「ザナルカンドにて」は、とても美しい音色でリラックスさせてくれる。 そして、どうしてこんなに美しい曲を奏でられるのだろうかと、意味の分からない疑問を抱かせてくれる。 ゲーム業界の財産は、もちろんゲームそのものと言えるかもしれないが、多くの人たちを魅了する挿入曲やBGMもまた同じく財産と言える。
今回、実は、音楽について文章を書くのではなく、これを別のことに照らし合わせて考えてみたい、というもの。 ここからが本題だ。 どうか最後までお付き合い頂けるとありがたい。
世の中には、理想を掲げ、目標を目指し、何度失敗しても諦めない人たちがいる。 今の社会は、過去、そういう人たちが作り上げてきたものだ。 それにより、生活に必要なほとんどのモノというモノが揃い、人々の生活は豊かになった・・・はずだった。 現実は、多くの若者たちが未来に不安を抱き、夢を持てず、希望を抱けない、そんな社会になってしまっている。
かつて多くの人たちは社会を完成形に近づけるために多くの犠牲を払い、生み出せる限りのモノを生み出してきたし、社会のシステムもこの20~30年で大きく変えてきた。 しかし今になって、社会がどこに向かっているのかが分かりにくい、混沌としたものになってきている。 ボクたちは一体どうやって生きていけばいいのだろうか、そんな不安に苛まれ、嘆き悲しむ人たちが増えている。 こんなはずではなかった・・・と。
そんなふうにして、人々は何か最も大切なものを見失いかけているような気がしてならないのだ。 これまでもこれからも、社会を維持していくためには創造が不可欠だし、立ち止まっている場合ではないのである。 ボクたちは過去の失敗と成功の両方からまだまだ学ぶべきことがたくさんあるように思う。
車が社会に普及し始めた時も、パソコンが普及し始めた時も、インターネットが普及し始めた時も、携帯が普及し始めた時も、それらを開発した人たちはいつも完成形をイメージしていたに違いない。 そしてこれは、芸術の面でも同じことが言えて、絵画や音楽、映画やドラマや小説などの物語、それらだけでなく、空手やボクシング、野球やサッカーといったスポーツも、人間は何をする時も「どうしたいか」「どうなればいいか」をイメージしているのではないだろうか。 すべてに共通して言えること、それが、常に完成形をイメージすること。
それさえできれば、あとは近づくためのステップを明確にして、一つ一つクリアしていけばいいだけだ。 確かに、日本という国は今、すぐには解決し難い社会的な問題が山積みになっている。 例えば、福島原発の廃炉問題、震災の復興、高齢者施設の管理、学生たちの教育環境、時間が経てば経つほど、こうしたすぐには如何ともし難い問題が次々と上積みされてきている。 問題、問題、そう叫ばれる中、実際にその当事者として従事している人たちがいるその外側で、他人事のように日々をのうのうと過ごしていると、このままでいいわけがない、と思えてくるのである。 そんな思いからパソコンに向かい合っているのかもしれない。
もう何年も前になるが、ある日、実の兄と電話で会話していた時に、口喧嘩になり、その時に兄からこんなことを言われたのである。 「何もできないくせに」と。 兄が言い終わるのを待って電話を切ったのだが、その後、ボクは無性に悲しくなって涙しながら眠りに就いた。 何もできないくせに・・・。 おそらくはこれまで生きてきて最もショックを受けた言葉だったかもしれない。 それ以来、兄とは言葉を交わしていないが、あの言葉は、ボクにとって別の気付きを与えてくれたのだと思っている。 元々自分が無力であることを自覚していたにもかかわらず、兄にそう言われたことで、ただ傷付いたのではなく、考えるようになったのである。
それを考えるようになってから、ボクはこうして画像編集をするようになったり、文章作成をライフワークにしようと、やることが定まってきたように思う。 今もそれらが仕事で役に立つことは一切ないものの、それとは関係なく続けている。 兄があの時どんな思いでそう言ったのかはわからないが、きっと弟を思っての事だろうと解釈するようにしている。 それから、ボクはWindowsのExcelで画像編集をする際に、物体を再現することができるようになった。 ある程度歪な形でも限りなくそれに近付けることが可能になった。 やればやるほど、「なるほど、こうすればいいのか」と気付くようになり、光と影の調整から、図形だけでなく、フォントまで思い通りに編集ができるまでになった。
結果としてはそういう変化を生んだ兄の言葉に感謝はしたいが、もっと言い方があっただろうにとも思う(笑) 自分にできることは、実は目の前にあったということに気付かせてくれたのだから、これについては何も文句はない。 自分に自信なく生きてきたわけではないが、社会というのは本当にいろんなことに気付かせてくれるもので、足りないと思ったことは本を読むことでいくらかの知識を吸収するように努めた。 学ぶべきことはたくさんあったのだと社会に出てから気付かされるのである。 そしてそこから、自分にできることが何かを見定めるに至る。 こればかりは、若いうちには気付きにくいことなのかもしれない。 気付いた時から始めればいい。
そう、単純な話、誰に何を言われようとも、自分ができることをやればいいのである。 それが結果として誰かとオーケストラを奏でることになるのであれば、そんなに素晴らしいことはない。 ボク自身、この画像編集と文章作成で、何がどうなるなんて期待なんかしていない。 ハッキリ言ってこの程度のことならできる人はたくさんいるからだ。 そのためのツールだって世に出回っている。 そういう人たちとコミュニティが形成されるのであれば是非参加したいものである。
会社の中の一員を、「駒」や「歩兵」などと表現する人がいるが、この縦社会でそんな当たり前のことを敢えて口にする意味がどこにあるというのだろうか。 それぞれで与えられた業務をこなす、ただそれに尽きるのではないだろうか。 それに、これからは下の人間からの意見や提案を吸い上げる構えでいないと、頭でっかちな企業はどんどん人離れを起こして倒産に追い込まれることになる。 もうかつての上下関係は維持できなくなると思われる。 今の若い人たちは頭が良いというよりは、もうすでに悟ってるんだよね。 働くならどうしたいかを。 いったん人離れのスパイラルにハマったら、誰も止められない。 人手不足のご時世では致命的。 それでもパワハラやマタハラなんてことが未だに起きてるんだから、何も考えていないんだろうな、そういう人は。 オーケストラのハーモニーを乱す輩だ。
好きなことを、出来ることを、常に選択して、飽きたらまた別の何かを選択して、できることをどんどん増やしていくのも一つの手だ。 つまらないとかダルいとか言ってる場合じゃない。 あなたの力を必要としている人が必ず社会にはある。 行くところ行くところで、理想とのギャップを感じたり合わないと思うならどんどん移ったっていいんじゃないか? やりたいことを探すのにチンタラしてたら時間がもったいないからね。 できること、やりたいことをやって生きよう。 そして、あなたもオーケストラの一員としてステキなハーモニーを奏でよう!!(・∀・)あはっ♬
今回のタイトル画像はなかなか気に入った(笑) またいつか転用しようと思う。 最近はnoteコメント欄やTwitterのDMで感想やお褒めの言葉を頂くことが徐々に増えてきており、大変ありがたく、感謝しております(・∀・)ありがとぅ~♬ なお、このnoteは、 #cakesコンテスト に応募致します♬ 応援・拡散のほど、よろしくお願い致します♬
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