◆自分だけは真っ当な「人」であると信じて疑わない人ほど、条件さえ揃えば「内に潜むもう一人の自分」に肉体も精神も操られる
わかりやすい例を挙げていく。
1.ドラゴンボール/満月を見て大猿化するサイヤ人
戦闘民族サイヤ人は尻尾が生えていて、満月を見ると大猿に化け、理性を失った状態で暴れる。尻尾を切られると元の身体に戻る。
2.ドラゴンボールGT/魔導士ビビディに操られ、悪の心を増幅させられたベジータ、善と悪に分裂した魔人ブウ、大猿化したあと理性を取り戻してスーパーサイヤ人4へ変身した孫悟空
カカロット(孫悟空)と決着を付けるために、わざとビビディの魔術にかかり魂を売るも、理性を保っていたベジータは、魔人ブウを消し去るために気を爆発させて自爆する。
魔導士ビビディによって生み出された魔人ブウに懐いていた犬が地球人に銃撃され怒り狂う。その後、善の魔人ブウと悪の魔人ブウに分裂。
黄金の大猿へ化けた孫悟空は一旦は理性なく暴れるも、孫のパンに呼びかけられると理性を取り戻し、スーパーサイヤ人4へと変身する。
3.NARUTO/生後まもなく体内に九尾を封印され人柱力となったナルト
木の葉の里の脅威とされていた九尾を封印されたナルトは、人々から忌み嫌われながら幼少期を過ごす。五行封印を解放されたナルトは、敵を前に理性を失うと九尾化して暴走する。のちに、九尾鞍馬との意思疎通を実現し、これを制御するに至る。
4.呪術廻戦/両面宿儺(りょうめんすくな)の指を飲み込んだ虎杖悠仁
第一話で先輩を呪霊から助け出すために、両面宿儺の指を飲み込み呪力を手に入れるも、宿儺に身体を乗っ取られ、一度命を落とす。その後、宿儺と契約を交わして生き返る。
5.鬼滅の刃/ヒノカミ神楽で鬼の首を斬る瞬間に鬼化する竈門炭治郎
炭治郎は、鬼の首を斬るその刹那、一瞬だけ鬼化する。全集中の呼吸は、全身の血液に酸素を巡らせ、筋力を増強することで、普段の何倍もの力を発揮することができる。しかし、その呼吸こそが鬼の持つ強さとほとんど同義のものであり、決して人ならではのものではないことを作品から読み取れる。鬼殺隊が極めんとしている全集中の呼吸を鬼は無意識にしている(のかもしれない)。
炭治郎が夢の中で見た継国縁壱が炭吉に「道を極めた者が辿り付く場所はいつも同じだ」と言う。縁壱は剣技を極めるために鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)に鬼になることを志願し、黒死牟(こくしぼう)として上弦の壱の地位に就く。
作中、炭治郎が鬼の禰豆子に「鬼化が進むからあまりその姿になるな!」と叫ぶシーンがある。ひょっとするとこれは、鬼殺隊の全集中の呼吸に通ずるのではないか。呼吸を最高潮まで極めた状態というのは、鬼同然、もしくは鬼以上に強くなるということで、条件さえ揃えば、その力が悪へ傾く畏れもなくはない。
とどのつまり、鬼滅の刃という作品が最も伝えたいメッセージを想像するに、「鬼ほどの力を手に入れようとすれば、必ずその身を滅ぼすことになるだけではなく、他の誰も止めることもできないまま、大切な人さえも悲しませる結果に至ることになる。」と言いたいのではないかな、と。
そしてそれは同時に、「正義は諸刃の剣である」ということも示唆しているように見て取れる。本当は、この現実世界の人々はそのことに気付いているはずなのに、心の弱さ故なのか、他国が兵器を持っているからなのか、ミサイルや核兵器を手放せずに、未だに戦争が起きていて、多くの犠牲を払い続けている。
そもそも、国を、大切な人を守るために強くなりたい、力を手に入れたい、そう熱望することが、結局は予想を超える国家間の長期戦争にまで発展したことに、誰もがジレンマを感じつつも、これを止められずに今に至っている。
6.幽遊☆白書/魔族の血を受け継ぐ浦飯幽助
魔界で仙水と戦った時、魔族の血が表出した浦飯は、理性を失った状態で仙水に特大の霊丸をブッ放し、理性を取り戻しすぐさま「仙水!避けろー!!」と叫ぶも間に合わず、霊丸が直撃した仙水は倒れる。
7.るろうに剣心/幕末の人斬り抜刀斎だった緋村剣心
神谷薫が殺されそうになるシーンで、かつての己の姿に戻ろうとする緋村剣心。普段は殺さずの剣として逆刃刀(斬れない刀)を脇差に収めているが、この時は刀を返し、敵を殺しかけたが、薫の叫びで理性を取り戻し、我に返る。
8.進撃の巨人/始祖の巨人を取り戻すためにパラディー島へやってきたライナー・ブラウン、ベルトルト・フーバー、アニ・レオンハート、父親から進撃の巨人を継承したエレン・イェーガー
マーレのエルディア人部隊として巨人の力を持つライナー、ベルトルト、アニの三名は、壁を破壊し、調査兵団へと入団。何年も敵地で暮らしたことで、特にライナーは自分が元々マーレの戦士であることを失念し、調査兵団の一員であることに慣れてしまい、心の均衡を保つことができなくなっていた。
それはライナーだけではなく、ベルトルトもアニも同様で、戦士としての任務を果たすべくパラディー島へやってきたものの、エルディア人は悪魔でもなんでもなく、マーレと同じ世界がここにもあることを知り、任務と言えど何の罪もない人々の命を奪うことに何の抵抗もなかったわけではなかった。
エレンは、壁の中で一生を終えることに我慢ならず、海の向こうの世界を知るために調査兵団を離れるも、それよりもずっと前に、壁の中と海の向こうに広がる世界が同じであることを父の記憶で知っていた。そのことが一層エレンの怒りを増幅させ、自由を奪われるくらいなら奪ってやるという生まれながらの本能に従い、地鳴らしを発動する。
9.BLEACH/死神化した後、虚(ホロウ)化した黒崎一護
ソウルソサイエティ(尸魂界)から空座町にやってきた朽木ルキアから死神の力を受け継いだ黒崎は、のちに虚化する。ウルキオラとの戦闘時、更なる進化を遂げ、理性が働かないままにウルキオラを制圧する。これに納得しなかった黒崎は織姫に回復させたのち、更なる死闘を繰り広げる。
10.HUNTER×HUNTER/ネフェル・ピトーを倒すために強制的に自らの肉体をそのレベルまで増強したゴン・フリークス
父、ジン・フリークスを師匠とするカイトが、NGL領域内にてネフェル・ピトーの襲撃により命を落とす。その後、傀儡にされてしまったカイトを見て、必ず元に戻してあげると約束したゴンだったが、もうそれは叶わないことだと知らされる。
その刹那、体中に黒いオーラを纏い、急速に自らを成長させた。所謂、誓約と制約である。ピトーを倒すためなら命を賭ける、そのように念じ、異常に成長を加速させたゴンは、最後、ピトーにとどめを差す瞬間、ありったけのオーラを右腕に込め、これを放った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
共通項は、「全部週刊少年ジャンプに連載されていた作品」、「二面性を持つキャラクター」「自身が信じる正義のためなら悪に魂を預けてでも敵を倒す」。
一番わかりやすいのはやっぱり鬼滅の刃かな?人は条件さえ揃えば誰だって鬼になる可能性を秘めている。その条件というのは、上記の作品によってはそれぞれ違いはあるけれども、言っていることはほとんどどれも同じようなことで、キーワードは「正義」と「理性」で、さらに言うと、「自らの肉体と精神が悪に浸食されることがあったとしてもこれを掌握し理性を保つことが大事である」、ということも共通項として示唆しているように解釈できる。
結局のところ、どんなに素晴らしい大義の下に正義を振りかざしたとしても、そこで行使されるどんな力も全ての人々を救うことはできないし、その行為や思想そのものを悪とする対立軸は必ず生まれることを考えると、正義も悪も表裏一体なのだと認識せざるを得ない。
HUNTER×HUNTERでは、ウヴォーギンがクラピカに殺されたと知った幻影旅団の一人であるノブナガは、ゴンと腕相撲をしているシーンで涙を流す。どんな悪党でも身内の仲間が殺されたとなると悲しみの情が湧く。これまでにどれだけの人々の命を奪ってきたかもわからないような悪党でも、人間らしく、仲間の死を悼む。
人は誰でも、今、自分が立っている場所が善だろうと悪だろうと、心の内では常に、その時々で善と悪と双方に揺れ動いていることを自覚しておかなくてはならない。条件さえ揃ってしまえば、いつ我を失い、何をするかわからないのが人間であり、理性を取り戻し、自分が何をしたかを悟った時には「ついに悪に浸食されたのだ」と気付かされる。
自分が冷静ではいられないような状況や環境は回避すべきで、それだけは自分の尺度で判断するしかない。回避した結果、誰に何を言われようとも、我を失わないための選択をした自分がここに在ることを何よりも大切にしたほうがいいのかもしれない。
「目的のためなら手段を択ばない」などという格好良い言葉に踊らされてはならない。これほど危険かつ単細胞な衝動的思考はない。
◆ ◆ ◆ 君子不近刑人 ◆ ◆ ◆
君子、危うきに近寄らず。
徳のある者は自分自身を律して、危険な所にははじめから近づこうとしないことをいう。
私はね、自分のことを徳がある人間だとは思っていないし、普段から自分を律することのできる真面目で誠実な人間だとも思っていないけれども、実生活では常にこのことだけは頭にある。
自分が弱いからとか、危ない場所は怖いからとか、そういう単純な話ではなくて、わざわざ自分から危険な場所に行こうとする向こう見ずな行動だったり、そういう場所に人を誘って行こうとしたりするような真似は決してしないというだけのこと。
これは、一人の大人としての冷静な信念。だから、その気がありそうな人とは関わらないし、誘われてもスパッと断る。何があっても自分で解決できるほど単純でもないし簡単でもないから世の中こんなに乱れてるわけで、社会を甘く見ているうちは、いつ自分が面倒ごとや惨事に巻き込まれても不思議はない。
無論、そうは思っていても、自分のことはわかっているようでわかっていない部分も必ずあるものだから、決して過信しないことも心には刻んでいる。
思い返せば、冒頭に挙げた週刊少年ジャンプの作品はどれも「こうなってはいけないよ」と言っているようにも見えなくはない。人間は漫画やアニメのキャラクターほど不思議な力など宿してはいないし、当たり所が悪ければ命を落としてしまうほど極めて脆い。だから、決して真似をするな、と。
格闘技経験?中途半端に身に付けるくらいなら始めからやらないほうがいい。大会で優勝した回数が多かろうと、拳銃を向けられたらどうしようもない。ナイフくらいなら立ち向かって行くんだろうけれども、掴まれたらそのまま刺される。自分が強いと過信する者ほど危険な場所でも歩くんだろうけれども、いざ、そうした命の危険に遭遇して初めて気付かされるのかもしれないね。格闘技のルールで強くても賢明さに欠けていれば早死にする可能性があることを学ぶためなら格闘技は良い経験になるかもしれない。
勘違いをする人を量産している分野ってたくさんあるよね。これは格闘技に限った話ではない。全国の議会議員って何万人いるのかは知らないけど、ビックリするくらい勘違いしてる人たちが多い気がするが、本当に機能してるんだろうか…。
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