~意識の中にあるもの~
ボクたち人間は、宇宙空間にプカプカ浮いている地球という惑星で生きている。 生まれて100年を待たずして、ボクたち人間はこの惑星を去ることになる。 それも、寿命を基準に言えることだ。 何事もなく、病気になることもなく生き続ければ、およそ80年という年月を生きられる。 地球上では、約60数億人の人間が生き死にを繰り返して社会を維持している。 そもそもの話、なぜ生命体は生まれたのだろうか。 そしてなぜ地球を選んだのだろうか。 なぜ地球でなければならなかったのだろうか。 もはや科学的には証明し難いことまで「なぜ」を付けて考えてみたくなる。
そして人類は、今になって火星に移り住めないだろうかと研究を進めている。 地球を捨てる? まるでタバコの吸い殻みたいな扱い? ネットで検索すると、地球は誕生してから約46憶年が経っているそうだ。 そして、今から2億5000万年後には、5大陸は一体化し、超大陸を形成し、北半球が再氷河期を迎え、人が住める環境ではなくなるのだそうだ。 また海は海流機能を失い、酸素が海底に循環しなくなるため、全ての生命体は死滅すると言われている。 現在までの研究でそこまで予測が立てられるからこそ、他の惑星への移住を考えているのかもしれない。
「人類滅亡は約7000年後という説が本当か否かというのは、今を生きている人々にはまったく無関係のこと。 そんな遠い未来のことを考えたって一体何になるというのだろうか。 例えそうなるのだとしても、今は自分の人生のことで精一杯だ。」というのが、ほとんどの人々の考えそうなことである。 ボクもそのうちの一人だからそう思うのである。 しかし、晴れた日の夜空を見上げると、すでに消滅しているはずの、何万光年先の星たちが放った光が見える。 いくつも。 届くはずのない光が、確かに届いている。 月のすぐそばに、金星が光る。 他の星にも増して強い光。 宇宙空間を彷徨う惑星だ。 地球上から見ればほんの小さな光にすぎないのだが、夜空の中では月の次に目立つ。 銀河のスペクタクルだ。
過去を思い返してごらん。 自分の過去にしか存在し得ない、特に印象に残っている人物。 それは、過去のスペクタクルなんだ。 多くの人たちと出会い別れてきたその全ての人たちの中で、特に印象に残っている人が、今もあなたの意識の中に存在することは、もしかしたら良い意味でも悪い意味でも、今のあなたに少なからず影響を与えているはずだ。 もう二度と会うことがない、もしかしたらすでにその人はこの世を去っているかもしれない、それでも今のあなたの意識の中にいるということは、あの夜空の星たちのように光を注いでくれているのかもしれない。
人間は過去を完全に忘れ去ることはできないし、現に過去に執着したり、囚われたりして、下手な生き方をしている人は多いかもしれない。 その全ては、今もあなたを照らし続けている過去のスペクタクルのせいだ。 でも、人間の思考というのは都合よくできている。 どんなに酷い過去も、辛い過去も、現在普通の生活を送れているのなら「過去を美化する」ということだってできてしまう。 「あの時は大変だったけど良い経験だった。」とね。 過去のスペクタクルは、結局のところ今の自分にとっては全て「良い経験」として照らし続けてくれる。 その光は、忘れ去ることがない限り、半永久的に届く。 人との出会いは一期一会なんて言うけど、そのたった一度の出会いが、後の人生そのものに影響したり、価値観を変えるきっかけになったりする。 そうなると、過去のスペクタクルも一層その光を増して輝き続ける。
じゃあ、状況を現在に戻してみよう。 あなたにとって今一番印象深い人物は誰だろうか。 意識の中に浮かんだその人こそ、間違いなく「現在のスペクタクル」。 何千何万という人たちが住む街にあなたは暮らしている。 普段顔を合わせて話す人だけでなく、言葉を交わすことがない全くの他人も、全ての人たちがいくらかの光を放っている。 その中であなたにとって印象の強い人物は、スペクタクルそのものなんだ。 あとはその光を浴びに行くかどうかだ。 心地よい光ならば、ずっと浴び続けたいと思うはずだ。 仮にその人と別れることになったとしても、意識の中にはそのスペクタクルが残り、あなたを照らし続けることをきっと約束してくれる。
どうして出会ったんだろう、と考えることもあるかもしれないが、時として人は流れて行き、流れて来る。 あたかもそれが運命かのように。 でも、常に出会いとは天文学的なわずかな確率でしかない。 現在のスペクタクルとは、何も人に限ったことではなく、あらゆるモノ、出来事、全てのことを指す。 本を読む人ならば「この本に出会えて本当に良かった」と、そんなふうに思えることもそうだし、映画を観て感動することもそうだし、滅多に遭遇しない事故や事件だってスペクタクルと化す。 何年生きても思い出されることというのは、全てが現在においてスペクタクルと化したものなんだ。 記憶に残っているもの全てがスペクタクル。 昨日食べたご飯が心底おいしかったなら、それもスペクタクルになるかもしれない。 そして「また食べたいな」と思える。
人生は冒険の旅。 今や飼うことになった動物も、出会った当初は凄まじい光を放っていたに違いない。 ボクが今飼っているネコ様も生後間もない子ネコ様だったため、悩殺級の可愛さにやられてしまったほどだ。 しかし、当時3匹同時に飼い始めたネコ様のうち、1匹はその年の5月には家出をして戻ってこなかったし、もう1匹は飼い始めてちょうど3年が経ったときに病気で死んでしまったため、今は1匹だけだ。 ネコ様を飼うというだけでもボクにとっては冒険だった。 でも、今にしてみれば、こいつらがいてくれたおかげで、笑わせてもらうことがあったり、勢いよく水を飲んだりご飯を食べたりしている姿に癒されたりで、しっかりと恩恵を受けている。 だからボクは彼らを「ネコ様」と呼ぶようになったのである。 こんなにありがたい存在はない。 もちろん、一緒にいられることで感じられる喜びの一方で、別れる時の悲しみを彼らは与えてくれる。 そして、彼らは過去のスペクタクルとなって今もボクを照らし続けてくれている。 忘れることなんて絶対にあり得ないほどに。
ボクのことを心底信頼してくれているのか、はたまた、ただエサをくれる人としか思っていないのか、ネコ様の考えていることはボクにはわからない(笑) でも、信頼してくれていると思うことにしている。 なぜなら、こうして文章を書いている時にはずっとそばにいるし、トイレに行く時も付いて来る。 そのついでに水を飲んで待機する、というのがネコ様の日常(笑) 朝なんか、お見送りの態勢が出来上がってしまっている。 寝っ転がってお腹を見せて「にゃー」と鳴いて、それに応えるようにお腹をさすりながら「行ってくるね!」と言って仕事へ向かう。 なかなか和やかな日常を送っている。
ふと、ボクは誰かのスペクタクルになれているだろうかと思うことがある。 でもそのほとんどは悪い意味でのスペクタクルかもしれない。 ボクほど不愛想な人間はなかなかいない(笑) でも、反対に、ボクにとってのスペクタクル的な人物はやはりいるもので、キュッと気が緩まないようにはしているが疲れてしまう(笑) ずっと気を引き締めているのも楽ではない。 時には情けないなと思うことやだらしない部分を露呈してしまうこともあって、これまで幾度となく恥をかいてきた。 もしそういう意味でのスペクタクルとして今も誰かを照らしているのだとしたら、その光を早く忘れ去ってもらいたいものだ(笑)
人の意識の中に残るということは、良い部分も悪い部分もある人間にとってはどちらの意味であっても喜んでいいものではないだろうか。 もっとも悲しむべきは、人の意識に残ることなく忘れ去られることだ。 影が薄かったり、自己主張をしなかったりして、周りに同調するばかりの人間は、その場を離れれば誰の意識にも残ることはない。 人としてこれほど悲しいことがあるだろうか。 人は人の中でしか生きていけない。 それなのに、誰の意識の中にも残らないなんて生きた価値を感じられない。 それなら、自己主張すべきところではしっかり言いたいことを言って嫌われてもいい。 嫌われているうちは相手の意識の中に自分がいるってことだからね。
そして、人間関係は「嫌われたら最後」なんて嘘。 さっきも記したとおり、人間の思考とは都合よくできている。 嫌いだと思ってた人のことを好きになることだってある。 だからね、嫌われることを怖れている人は、嫌われることを怖いと思うことが間違いであることに気付かないといけない。 職場においては割り切れないほうが悪い。 仕事上のことで指摘や提案をしたにもかかわらず、社内メール拒否設定するような器の小さい人間にはどんどん嫌われたほうがいいとさえ思う。 素直に相手の意見に向き合えない人間から嫌われてもなんてことはない(笑)
自分以外の人たちっていうのは、本当に自由にアレコレ言いたがるもので、本人とは別のところで虚像を作り上げて、それに対してブツクサ文句を言うんだ。 そういう種類の人間たちにはこっちから堂々と嫌われに行く。 誰彼構わず、あっちにも良い顔、こっちにも良い顔してるそこのキミ、信用ならないから話しかけて来るな! と直接言ってやってもいい。 というより、元から人を信用する人間ではないのでね(・∀・)あはっ♬
そんなちょうどいいパイプ役のキミには、ボクの敢えての言葉を言っておく。 告げ口したのがすぐわかる、口の軽い人間だからね。 世の中、そういう人間ばかりなのかね? 普通にしてればいいのに、どうしてもボクの口から誰かの悪口を引っ張り出したいらしい(笑) そういう場合は、対象の人物の悪口を言うのではなく、立場的な部分を責める言い方をする。 例えば、「リーダーとしての立ち位置なら」という感じだ。 今度会ったら「いつも告げ口ご苦労様♬」とでも言ってあげようかな。 「信用してくださいよ」なんて言う奴を誰が信用するんだ(笑) それよりも、自分の時間さえも無駄にしていることに気付きなさい。 日々、誰かと会話する時は、互いの時間を浪費していることを知りなさい。 そして、くだらない会話をすることを良しとする人を選びなさい。
おっといかんいかん(笑) ついつい仕事のことに話がいってしまう(笑) でもまあ、彼はボクにとってのスペクタクルにはなれてると思う。 悪い意味でね。 それがわかってる分、向き合う時も面白いよ。 今日はどんな悪口をボクから引っ張り出そうとするのかって考えるのがね。 普段から他人の悪口は言わないと決めている分、彼に対して言うセリフは選ぶ。 敢えて言う悪口に乗せる言葉をね。 そのおかげで、対象の人物と話すこともなくなり、ちょうどよかった。 人を見限るようなマネはしちゃいけないなとつくづく思うが、彼と話す時は、絶対に心は開かない。 そう思わせるほどのスペクタクル。 喜べ、キミはボクの意識の中にいるよ、確実に(笑)
人間の汚い部分で今を楽しんでいる人間のやりそうなことだ。 まともに相手してたらキリがない。 ボクはボクが話したい人としか話したくないんだ。 くだらない会話に時間を食われるだけでストレスだ。 こうして文章を書くようになってから、わずかな時間でもnoteのことを考えるようにしてるんだ。 邪魔をしないでいただきたい。 はっはっはっは(・∀・)あはっ♬ 人と話すのが苦手で、とか、誰々が嫌いで、とかいう理由でしゃべらないんじゃない。 自分の時間を大事にしたいだけだ。 好き嫌いで人を区別している時点では、見た目は大人でもまだまだ子供なんじゃないかね? 名探偵コナンと真逆じゃないか!!(笑)
元は全くの赤の他人でも、心を開き、互いの良い部分も悪い部分も認め合える間柄というのは、そんなにすぐに手に入るものではないんじゃないかね? それなのに、相手はこちらのことを知った気になって馴れ馴れしく話しかけてくることができるというのは、社交性が高いとかではなく、ただ舐めてるだけなんじゃないかと思えてならない。 でも、全く腹は立たない。 相手が元よりそういうつもりなら、こちらも相応に接するだけでいいわけだからね。
人間スペクタクルは、常に個性の強い人間から浴びる光に気付かされる。 異性であろうと同性であろうと、年上であろうと年下であろうと、なんか気になる、と思わせる人物が時折現れる。 そんな時、無理に話そうとすることをボクはしない。 そもそも話題がないからである。 何かで接点があれば話すだけであり、それ以降のことはその時考えればいいからだ。 事、職場においてはそんなことは少しも求めていない。 常に相手次第だ。 ボクに用があるなら話しかけてくるだろう、くらい。 さっきの彼については例外だ(笑) 話せる相手がボクしかいないだと? 笑わせるな(笑) そんな見え透いた嘘をボクが信じるとでも思ったのかい?(笑) 一体キミは何しに仕事しにきてるんだ?と聞いてみたい。 うん、そうだ、今度会ったら聞いてみよう(笑)
考えてもみなよ。 経験則でも構わない。 性格の悪い人間って基本的に頭良かったりしない? 悪知恵が働きやすい人の話は面白いんだよね。 そういう人に対しては「性格悪っ!!」って言っても怒らない(笑) むしろ仲良くなれちゃったりするかもしれないけど、ボクはそこには期待しない(笑) 人間スペクタクルってのは、言い換えれば「個性の強い人間が発する光」のようなもんだ。 刺激の強い光を発する人間からは目を背けたくなるのかもしれないが、それを敢えて面白いと思えるくらい図太い神経でないと、「あの人はスキ、あの人はキライ」なんていう短絡的な見方しかできなくなる。 それでいて自らストレスを生み出しちゃうんだから、変な話である(笑) どんな人を相手するでも常に修業。 そして、相手を選ばず言うべきことを言えるかどうか。 その瞬間、自分自身が相手のスペクタクルになるかもしれないからね、どちらの意味にせよ。
そうね、周囲の人たちと比べてあまりに個性が強い人間は避けられることがあるかもしれないけど、自分のことを避けた人間のことは無視していいと思う。 相手が避けたんだからこちらから行く必要はない。 そんな中、普通に向き合える人物とだけ向き合えばいい。 あ、うん、彼は例外だけどね(笑) あっちにもこっちにも良い顔しているパイプ役の犬にはエサを与えなきゃいけないから(・∀・)わんっ♬ そんなボクも結構なレベルで性格悪いかもしれないけど(笑)
note投稿者全員そうだけど、これに限らず、歌手も政治家もジャーナリストも作家も漫画家もスポーツ選手も俳優も女優もお笑い芸人も、世の中に対して何かを発信しようと思うのなら、批判を恐れてはいけないし、嫌われることを怖がってはいけないんだよね。 常に、何に対しても賛否両論あって当然だし、批判したがる人間の大半が代案を提示してこない根拠なき批判者だから、怖がってたら何もできない。 堂々と発信すればいいんだよ。 でもね、無理に目立とうとする必要もない。 そのためだけに炎上タレントになろうなんてバカげてる。 そりゃー注目されるには炎上するのが手っ取り早いのかもしれないけど、賢くないし美しくない。 個性に傷を付けるようなことをせずとも、不特定多数の人たちにとってのスペクタクルになる方法はあると思うんだ。 何年も脚光を浴びることがなく、無名の期間が続くかもしれない。 でも、諦めさえしなければ、可能性は残り続ける。
noteの投稿の仕方に関してだけど、これはボク自身の見解。 noteの書き方について教えるような投稿は見る必要がない。 それを見てしまえばオリジナリティは目減りすると思ったほうがいい。 最初にマネする程度ならいいかもしれないけど、文章も写真も画像も動画も、求めるべきは完全オリジナル。 そうじゃなきゃ、個性は発揮できないんじゃないかな。 それに、文章は長ければいいってもんでもない。 ただボクは長く書きたいから書いているだけだ。 その結果、誰かにとってのスペクタクルになれるのなら、前にも書いた通り「おまけ」なんだ。
そして、オンライン上のスペクタクルになろう!!(・∀・)あはっ♬
皆さん、今回も最後までお付き合い頂き、感謝しております♬ 何か思うこと、感じることなどありましたら、ご意見・ご感想・ご批判・リクエストなどをnoteコメント欄やTwitterのDMにて受け付けております♬ お気軽にどうぞ(・∀・)ノ また次回もお楽しみに!!
【にゃむのTwitter】
https://twitter.com/nyamu913
にゃむでしたっ!!(・∀・)あはっ♬