~広がる波紋の行方~
ボクのバックナンバーのnoteにコメントをくださった方から、文字数が多いことを「洪水!」と表現するコメントを頂いた。 言われて初めて「なるほど(笑)そういう表現もあるのか!」と気付かされた。 そこで、これをヒントに今回のタイトルが決まった。 しかし、このタイトル画像、一見シンプルに見えて、これまた作成にかかること4時間!! 自分で「バカなの?」と言いたくなるくらい偉く時間がかかってしまった(笑) でもね、タイトル画像も一つの表現の場として捉えていて、どうしても手抜きをしたくない確たる理由があるんだ。 だからこそ、いくら時間がかかっても完成形に至るまで文章作成に入らないことにしているんだ。
ボクがnoteで文章を書く時というのは、何度も何度も冒頭に戻って読み返すことをしている。 その度にタイトル画像を視界に入れ、ジッと見つめている間に、思考の広がり、表現の閃きを待つのである。 ただ見ているだけではダメで、何度瞬きをしたかわからないくらい長くなっても、意識的に思考を巡らせることで文章の続きが湧いて来る、そんな感覚だ。 手抜きをしたくない「確たる理由」というのがそれに当たる。 思考を刺激してくれるようなタイトル画像を自ら創出し、文章を書き始めてから書き終わるまで、幾度となくそれを見つめて書くということを繰り返す。
ボク自身、自分の画像編集力に自信があるわけではないし、作成段階でも予期せぬ形や色使いをし始めたり、途中で全て消して一から作り直すこともする。 完成形のタイトル画像というものが始めからイメージされてできているわけではなく、完成までの過程でコロコロと変わり、一旦できてからも修正を加えるなんていうことをしているため、3~4時間なんかあっという間に過ぎてしまう。 でも、それでも、それだけ時間をかける価値があると自分では思っている。 そうでないと、自分が書く文章に対して失礼に値する、そういう価値観を抱くようになった。 これは他でもないnoteの存在のおかげである。
これまでもLINEのタイムラインで似たようなことは続けてきたが、noteはまさにボクが欲する媒体だった。 「力入れてやってみるか!」そう思えるほど、環境としては申し分ないものだと思えた。 5月に入って書き始め、初投稿の5月3日以来、ボクのプライベートの時間は全てnoteに投じている。 ほぼ一日1noteのペースで投稿しているが、たまに、文章を書くには脳が疲れていたり、眠気に襲われたりで、一日まったく書かないこともある。 無理して書こうとするのは良くないし、そういう時は無駄文字が多くなってしまいやすいため、キッパリと休むことにしている。
バックナンバー#015のnoteで頂いたコメントの様子がこちら↓
お二方とも、文章量に対してコメントをしてくれている(笑) これを見た瞬間、ボクが思った唯一の内なる言葉は「そこかよっ!!wwwww」だった(笑) しかしだ、こうしてコメントを下さる方々は本当に貴重だ。 如何なる内容のコメントでも、ボクは全力で受け止めるし、全力でリプライする。 やっぱりうれしいよね、一生懸命書いて投稿したnoteに対してコメントくれるなんて。 でもね、例えそれが「批判」だとしても、ボクは嬉しいよ♬ 意図して批判されるような表現は避けるし、偏った思考で文章化すると必ず誰かに対して不快感を抱かせてしまうから、炎上なんかを狙って文章を書くなんてことはしない。 それこそ、文章に対する冒涜であり、表現の濫用だ。
今はさ、表現しようと思ったら、それを発信するためのツールはたくさんあるよね。 端末を持っていれば誰だってできる。 文章表現だけでなく、動画や音声配信、画像一つでだっていろんな表現方法がある。 ただ写メ撮ってアップするのもそうだし、自分で直筆で絵を描いたり字を書いたりして画像化してアップしたりできる。 音声なら、ラジ オっぽく対談してみたり一人で語ったりできる。 最近では朗読の音声配信が人気のようだ。 声に自信がある人は、声色を自在に操れる人がいるし、本人にしかない声質で言うとアニメ声は特に人気。 そういう人たちが歌を歌って聴かせたり、モノマネをやってみたりするのは非常に面白いと思う。 ボクはというと、昨年だったか、ある日突然、JKに「顔と声が一致していない、ウケるwww」って言われるほど、声には自信がない(笑)
表現の中でも、言葉というのは、美しいか、もしくは面白いか、そのどちらかを追求すべきものなんじゃないかと思うボクが言いたいことはコレだ。
もう、いい加減、わけのわからない言葉遣いをするのはヤメにしないか?
現代の日本人は、もう本来の美しい日本語を語れなくなっている。 いや、語れないのではない、放棄しているのだろう。 こんなふうに「どうでもいい」なんか言って、周りの人たちや世間で流行っている言葉を面白がって口に出したがる。 とか言いつつ、ボクもネット上ではいつの間にか「思いっクソ」なんて打ち込んでしまっている・・・。 美しくないっ!!(笑) 言葉はコミュニケーションツールの一つであり、それを制限される道理はないのかもしれない。 でも、ボクたち日本人は、日本人本来の美しい日本語スピーカーとしての規範を逸脱してはならない気がするのだ。
ボクが今後、インフルエンサーに期待するのは、本来の日本を取り戻すための日本語言語リセットだ。 ガチ? ガチ勢? ナニソレ?? いや、意味はわかるさ、さすがに(笑) でも、汚いよね、ハッキリ言って。 最近じゃ30代~40代、50代でもそういう若者言葉を使う人たちがいるのを見ると、ごめん、正直無理!!って思ってしまう。 しかも、そういう流行り言語ばかりが飛び交う会話が、度肝を抜かれるくらい面白くない。 もはや何を話してるのかなんて意識外のことになってしまう。 もっとも多く聞く言葉としては「マジで?!」「ガチ??」「ヤバー!!」がトップ3ではないだろうか(笑) ねぇーねぇー、会話をしてくれないか?と思う(笑)
ところがだ、このインターネット社会では、ネットスラングの影響力が凄まじい。 手の打ちようがないところまで来てしまっている。 あとは、お笑い芸人の一発ギャグ系の言葉なんかも、毎年12月半ばに開催される流行語大賞なんてものにノミネートされてしまうという・・・りゅ、りゅうこうごたいしょう?? はっはぁ~ん、なるほど、汚い現代語の温床は流行語大賞なる催しか。 所詮これも流行れば売れるという黒い心理がドップリ働いているに違いない。 到底理解には及ばない。 あんなくだらないことを一体誰が歯止めをかけられるのだろうか。 断言するが、流行語は「知る必要のない言語」と言っていい。
これ以上、日本語が汚されていくのは気分が悪い。 ”ら”抜き言葉を話す人が全国民の過半数という統計結果が出ていることには呆れてしまった。ボクの記憶が確かならば、このニュースを知ったのは一昨年だったかな? そんなに何年も前の話ではない。 これがどれほど幼稚さを示すのかを自覚していない人が多くなったということに等しい。 「食べられる」を「食べれる」と言う人は、せめてこれだけでもちゃんとしたほうがいいと思う。 ”ら”抜き言葉を話す人との会話ではいちいち引っかかる(笑)
インフルエンサーによるあらゆる種類の表現には、どれも影響力を含んでいる。 影響力を持つ者がおかしな表現をすると、当然それは一気に不特定多数の人たちに影響を及ぼすことになる。 向こう数年の日本国民に影響を及ぼす種類の人間、インフルエンサーはヘタすると日本の未来をも左右しかねない。 「そんなことはどうだっていいんだよ(笑)」と思っている人がいるのだとしたら、それは個人の勝手な思い込みに過ぎない。
文章量の話に戻る。 ボクが文章を書く時は、書く前に準備なんかしない。 こうして書いている最中に思考に・・・ポタン♬・・・ポタン♬と落ちて来る「雫(しずく)」のように、脳内で広がる波紋が次に書く文章に書くワードをキャッチする。 脳って便利だなーなんて思いながら書いている。 思考に落ちてきた雫が波紋を作り、それによって言語化されたものをボクが文章にしてネット上に発信する、そういう作業をしているわけだ。 時間が許されるなら、いくらだって文章は書けてしまうかもしれない。 短文派か長文派か、それも人に因るかもしれないが、ボクは断然長文派。 Twitterの字数制限が煩わしいとさえ思うくらい、たくさん書きたい。 思考が働く限り書き続けたい。 これが仕事になればどんなにうれしいだろうかとさえ思う。 このnoteは、その時のための布石のようなものだ。 やって損はないと確信してやっていることだから、楽しいに決まっている。
思考に雫が降り注ぐ限り、ボクは死ぬまで書き続ける。 そうして死ねたなら本望だ。 たぶんボクは、このために生まれてきた人間なんだ。 それ以外にやりたいことはきっと見付からない。
皆さん、今回も最後までお付き合い頂きありがとうございました(・∀・)あはっ♬ ご意見・ご感想、どしどしどし!! あ、もちろん、サポートもどんどんどんお願い致しますね♬ 今月3日からnote投稿を開始して、現在7000pv!! まだ3週間ほどしか経っておりませんが、結構なスピードでアクセス頂いており、感激しております♬ 今後ともよろしくどーぞー♬
※なお、このnoteは #cakesコンテスト に応募致します♬ 皆様の応援、心より感謝申し上げます♬(・∀・)ありがと❤
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