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【宇宙に学ぶ人間関係と青い鳥】私がnoteのみで発信をする最大の理由

 地球が奇跡的に文明の進化を遂げることができているのは、地球がハビタブルゾーンを公転していて、太陽線を防ぐバリアとなる地場が働いていて、地球の周りを公転する月の潮汐力による海洋の満ち引きが起きていて、他の惑星から干渉されることがなく、隕石のほとんどを主に木星が防いでくれていて、地球環境が瞬時に壊滅するような災害や戦争が起きていなくて、マクロとして見ればこれらの要因があって非常に安定した環境が長年維持され続けてきているからである。

 太陽系で最も影響力がある存在と言えば太陽で、その周りを公転する惑星はどれも、中心からの公転軌道の距離によって受ける影響も異なるわけだが、もっとも近い距離を公転している水星や金星は灼熱地獄で生命誕生の可能性は絶対的にゼロ。ハビタブルゾーンを超えて火星より遠い公転軌道を周回する惑星は太陽光から受ける影響が遠くなればなるほど弱くなっていく。

 太陽に近すぎず遠すぎない地球は、ちょうど良い距離を公転しているからどの惑星よりも生命が生きる上で最も適した環境なのだ。

 では、SNSの代表格とも言える青い鳥、Twitterはどうかというと、端末間の距離は誰とでもどの企業ともゼロ距離。誰かに向けてコメントを飛ばせば光速で相手に届く。これをリアルに置き換えれば、目の前の相手に直接言葉を伝えているに等しい。違いを挙げるとするならば、データとして残る電子文字とその場限りで瞬時に消える音(声)という違いだろう。

 社会的に影響力のあるTwitterユーザーはフォロワー数も数百万人だったりするため、ツイートする度にそっくりそのままリアルタイムに多くの人たちに伝わる。しかし、こうした所謂インフルエンサーと呼ばれている人たちは全体の1%にも満たないくらいの存在で、残り99%は「影響を受ける側」であるケースがほとんどと言っていい。

 問題は、フォロワー数10万人以下で、ちょっとした社会的影響力を持っている人たちのSNSの扱い方にあると考えられる。フォロワー数10万人以下と言っても多少なりとも影響力を持っている「中途半端なSNSユーザー」がやりがちなのが、圧倒的影響力を持っているユーザーの真似事を繰り返していること

 そして、更なる問題を指摘するとするならば、ほとんど影響力を持たない無名の個人ユーザーの「影響の受け方」「操られ方」も無視できない。

 言論の自由、表現の自由、現代ではこれらを盾にあれこれと主張する発信過多社会と言われるくらい、SNSユーザーの多くが何かしらの媒体を使って発信している。私もその一人だが、昔はグリーやミクシィなんかで投稿していたけれども、今はnoteのみ。Twitter、LINE、TikTok、Instagramは一切使っていない。

 なぜ私がnoteのみを選んだのか。その理由は、ユーザーの民度にある。言い方は悪いけれども、Twitterユーザーとnoteユーザーとでは「言論への向き合い方」がまるで異なる。そのことを肌で感じられるほどの明らかな違いがあって、表現そのものも、言葉の扱い方も、noteユーザーはTwitterユーザーに比べて非常に丁寧である。というようなことは私が個人的に感じてきたこと。

 このnoteもTwitterアカウントとの連携機能が数年前から実装されているけれども、Twitterの最大の利点である「拡散力」という意味では連携しているnoteユーザーも多いかもしれないけれども、所詮私のような無名の発信者にとっては連携する利点はそうそう生まれないし、わざわざ民度の低いSNSプラットフォームとnoteアカウントを連携させる意味がないと思い、当初は連携させていた私もTwitterを切り離している。

 Twitterというプラットフォームの周りを周回するメリットを感じられないため、Twitterを使うことを辞め、公転軌道を外れ、noteというプラットフォームの周りを周回することにしたわけだ。しかし、Twitterを全く使っていないかというとそうでもない。自分が見たいインフルエンサーのアカウントのみフォローして、見るだけの状態。中でも堀江貴文さんのツイートは通知で知らせるように設定してある。

 自分がどのプラットフォーム上で発信するか、誰をフォローするか、この二点のみを取捨選択していくことで、AIのアルゴリズムは形成されていくため、自分にとって不要な情報、ノイズとも言えるうるさい炎上騒動関連の情報を自分のインターフェイスから切り離して毎日を過ごすことができるようになる。

 5年以上前に最終的に自分がTwitterで発信することを見限ったのは、そうした不要な情報、真偽不確かな情報、過剰な争いがやたらと目立つ環境でしかないと感じたからで、取捨選択をした結果、見たい人のツイートだけ見れればいい程度のものでしかなくなったのである。

 人と繋がる機会としてのSNSとは言え、Twitterはあまりにも「言葉足らずの乱雑な争い」が目立つため、最近朝倉未来さんがTwitterアカウントを閉鎖したことにも心底納得した。自分の人生に過剰に干渉してくる悪質な存在とわざわざ繋がっている必要性がない。複垢作成ができる以上、ブロックしても意味がない。ブロックするにしても「不快な存在のためにわざわざそのような操作をすること」それ自体が時間の無駄。

 ほとんど影響力のない無名の個人が騒ぎを起こして炎上し注目されることがこうも立て続くと、TwitterやTiKTokユーザーの反応具合が際立つ。回転寿司店での迷惑行為をした人間へ批判を浴びせていたり、擁護していたり、当事者とは関係のない第三者同士が外野で殴り合いの喧嘩みたいなことが起きているのを見ていると、改めてTwitterは「発信したいと思えない媒体」でしかないことを再確認できる。まるでSNSオワコンの代表格である。

 見たまま、感情的にツバを吐き、殴り合う。青い鳥はそうしたユーザーを見事に集めたとも言える。そのおかげか、noteは非常にクリーンな環境をキープしている。

 私もフォロワー数800名弱の小規模ユーザーではあるけれども、noteはTwitterと違って「自分の世界観を突き詰める空間」であると認識しているため、増減は全く気にならない。何かしら気に入ってくれた人がフォローしてくれる、その連続性で十分で、Twitterのような歪んだ拡散力は欲していない。

 何よりね、Twitterみたいな140文字の投稿というのは、その時々の感情を載せてしまいがちで、ウッカリ過剰な暴言を投稿しやすい仕組みなのがそもそも抵抗がある。これは自分自身でもそうだし、他のユーザーのツイートやリプライを観ていてもそう。批判したがる人たちの読解力の無さから、一つのツイートが誤解を生んで炎上することもしばしばある。言葉足らずが生む誤解がTwitterには溢れ返っている。

 ところがnoteは、一度書き始めると、例えイライラしていたり落ち込んでいたりしながら書いた文章も、「書きながら読み返し、訂正する」という校正にも似た作業を自然とするため、ウッカリ感情任せに書き殴るといった乱暴な言葉の扱い方を回避できる仕組みだと私は認識している。

 Twitterでツイートやリプライをしているユーザーたちは、ほとんど感情次第でやっているように見受けられるが、noteではそういった要素はほぼ感じられない。他人同士が暴言をぶつけ合うことでストレスを量産しているようなプラットフォームはなるべく自分の人生から切り離したほうが良い。

 青い鳥はもう十分に人間の負の感情を可視化した。役目はもう終わっている。次々とアカウント削除されている事案も発生しているくらいだ。これ以上、トラブルを生み出すこともない。今後、インフルエンサーのTwitter離れは度々起こるだろうと思う。

 さて、あなたはいつまで青い鳥を追う?

本当に言論の自由を行使したいなら、3000文字以上の文章で発信し、主張しろ。140文字で手抜きの論争をしても不毛。


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