地球の常識、宇宙の非常識(・∀・)
ひょっとすると、地球上で非常識だと罵られている人たちほど、宇宙では通用するかもしれない。
元々、人間は目に見えるものを疑い、目には見えないものを信じようとする。常識とか思想とか観念とかいうものを、疑いもせず信じようとするのはなぜなんだろうな。
嘘を信じ、本当を疑うこともあるだろう?
知らないから目に見えないものを信じられるんだよね。
無論、人が何を信じ、何を疑うかなんてものは自由だ。
でもそれが、自身が置かれている生活環境のみに限定されてしまうのは、とても狭く浅いと言える。
その上で自由を求めるのはちと違うんじゃないかな。
全てを疑ってかかるくらいでないと、目には見えないものを疑うことはできないだろう。
反対に、目に見えるものだけを信じるというのも違う。
これはこうと限定するのは自由だけれども、何が起きたって不思議はないし、いつどうなったっておかしくはない。
信じてきたことを裏切られる瞬間というのは、ほとんど絶望に近い心境に追い込まれる。
地球外生命体が存在するとして、彼らが友好的なコミュニケーションを望んでいるのかどうか、そこは真っ先に疑うべきところだろう?
なんたって、その手段がそもそも不明なのだから。
でもそれは、普段の生活で接する全ての人たちとの交流にも近いことが言える。
人間は、言語や非言語というツールを使って人とコミュニケーションを図るわけだけれども、人間が腹の中で本当は何を思っているかは通常はわからない。
事、日本人においては「建て前」というものを都合よく使う。立場が大好きだからね。
地球外生命体には絶対に通用しないものだろう。何せ、アメリカの文化でさえ、建て前という単語もそれを示す態度もないのだから。
義理や人情というのも、地球人にのみ通ずるもの。
地球外惑星では不義理は当たり前のことかもしれない。
あまり小さいことにこだわりすぎると、器の小さい人間になる。
結局、この地球上でさえ、「なんでもアリ」って話さ。
どんなにルールや法律が定められていて罰が下るとしても、破るヤツは破る。
政府が感染拡大の要因の一つに、人流を挙げた。
ロックダウンをしても人流を抑えることはできないし、罰金を科しても意味がなかった、とね。