【イメージクリエイションラボ】ニューゲートをくぐるということ
人生は、ある日突然、全く別の場所に移り変わることがある。ずっとここにいられるのだと、腰を落ち着けられると思っていても、それが適わなくなることがある。いい場所だなと思っていたって、それを許さない何かが起こる。
人生は思い通りにいかないのが世の常だと言われるけれども、そもそも、「人生が思い通りにいく」とは何を基準に言われているのか、ボクにはよくわからない。
変化を嫌う人の人生がうまくいく?人生が思い通りにいっていると思い込んでいる人の人生が本当に思い通りにいっているのか?不明だね、不明でしかない。
だから、人の人生など、赤の他人が語れるものではなく、自分の人生も自分以外の誰かが語れるものではない。たが、現実は真逆。人のやることなすことを、不特定多数の人間たちが自由に語る時代が今だ。そんなことに時間を割くくらいならば、もっと意識を自分に向けるべきではないかとも思うけれども、自分が彼らに対してこういうふうに思うことすら意味がないと言える。
評価経済社会は着実に進化しつつある。多くのネット配信者が、不特定多数の人々に高評価を求め、信用を集めようとしている。そのことで数十万、数百万、数千数億というお金が流れているという事実を知った者たちが、あちこちでネット上での活動を選択してきている。
でも、実際にネットで成功者と呼ばれているのはわずかで、多くの人たちがただ単に注目を集めたいがための中身の無い発信に留まっている。どんな分野でも、多くの人たちの能力の集合体において創られていく作品が人気へと繋がり、収益となり、そしてまた新たな作品を生み出すといったサイクルが生まれている。
しかしながら、どんな分野においても勝者と敗者の明暗が分かれていることも事実。時代の潮流に流されないように抵抗して生きていこうとすることはナンセンスであるかのように錯覚しがちではあるものの、流されてでも時代の潮流に従っていれば勝者になれるということでもない。
知識だけを頼りに生きようとすれば、場所や環境が変わっただけでこれまで身に付けてきた知識が活かせない場合もあるのだということに必ず気付かされる。では、汎用性の高い知識を身に付ければいいじゃないか、という考え方にも行き着きやすい。
人工知能はどこでどんな進化をしてきているのか、ハッキリしたことはその分野で働く人たち以外にはわかりにくいことであり、多くの人たちがわからないばかりか、無関心であることもまた事実であり、社会の変化に対して鈍いことを何とも思っていない。
実のところ、人工知能が台頭している分野では高い能力や資格を必要とする業務ほど真っ先に自動化されやすいこともあり、非常に悩ましい混沌とした社会になりつつあるように思う。そうやって居場所を追われている人たちが現に存在するということに対して無関心であることは、どうなんだろうなぁとボクは思っている。
専門知識は確かに素晴らしい。その能力を以って今までやってきたのに、もうそれが必要なくなったんだよと言われてしまったら、想像を絶する思いがするだろう。こうしたことがもし自分に起きてしまったら、否が応でも別の場所へ、別の分野へ行かなければならない。
さて、こういう事態に陥った時に、人は「無能」と等しくなるのだろうか??有能な人間とは、場所が変わり、これまでとは違う環境で、新しく出会う人たちと共に、これまで以上に自分の持ち得る全ての能力やスキルを活かし続けることのできる人のことを言うのだと思う。
だから、今までいた場所を追われることになったとしても、自分の能力やスキルを活かすことを考えられる人間は、時代が変化しても生き残っていけるのであって、ただ絶望するだけの人は、行き場所を失ったと思い込み、その場に伏すことになる。
久々に就職活動をしてみて思うのは、ご縁の有無だけで決まるわけではなく、対峙する面接官や人事担当者が自分をどんな人間であるかを判断するだけの材料を、ちゃんと料理してアピールできるだけのメニューとしてテーブルに並べることができるかどうか、それ次第で決まるのだと思う。
過去の経歴がどうあれ、新たな会社で汎用的に業務をこなせる人なのかどうか、ここが最も重要であり、業務だけではなく、同じ職場の人たちや個人・法人のお客様とも問題なくコミュニケーションを図れるのかどうか、これも業務における汎用性と同等に重要であるとボクは思った。
経歴とは全く別分野の職種や企業でも、それを丁寧にアピールすることができれば、内定をもらうくらいは誰にだってできるのではないかと思う。ただ、敷居の高さは日本経済や全国の企業それぞれの求人倍率にも大きく左右される。そのことはこれから就職したいと活動する全ての人たちにとって共通の概念であり、だからこそ、ライバルたちとの差別化を図る必要があるのだということにまず気付くべきだと思う。
転職に対してへっぴり腰になっている人たちの言い分としてはその大半がこれを「リスク」だとしか見られないこと。そう思っている以上は転職活動もうまくいかないのではないかな?と経験則では思うところではあるが、面接官が少しでも不信感を感じたり、心配を感じさせるような表情や発言をしてしまえば、誰だって落ちる。
彼らは常に、「あなたは自身のこれからの未来のビジョンをどのように描いて当社を志望しましたか?」ということを、きっと知りたいのだと思う。だったら、その回答にふさわしい言葉を過去の経験を踏まえて表現すればいいだけのことだ。その時に、自分の過去に対する素直な思いは、可能な範囲で言葉にすべきだろうと思う。
意識すべきことが何なのかを踏まえた上でとりあえず1次選考を通過することができれば、2次選考の場数をこなすことも可能になる。会社によって様々な採用形態ではあるかもしれないけれども、就職活動も転職活動も場数がモノを言うのではないかということは、きっと昔から変わらないことだろう。
今に簡単に満足してしまうのではなく、不足をどう補うかということは、いつでもどこでもずっと意識すべきことであって、いざ仕事を変えたいとか職種を変えたいと思った時に、「これまであなたは自身の不足や失敗・苦難をどのような努力をして補い乗り越えてきましたか?」などといった質問にも的確に答えられるようになるだろう。
今いる場所でもし満足したり、先がないと思ったりしたならば、すぐに動くことをオススメしたい。そのための十分なサポートは、現代社会にはすでに揃っている。楽して生きていたって面白くないからな。