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【#孤高の書】其の七:自然

 自然には生命を脅かそうとする悪意も、そういった意図もなく、ただ存在しているだけ、それが自然の真理だ。

 人はそれでも、自然がもたらす台風なんかの暴風雨、それに伴う雷、川の氾濫、土砂崩れ、その他、地震や津波などを【自然の猛威】と表現する。あたかも、自然は元々生命にとって、特に人類にとっての脅威であるかのように、そう表現することが多々ある。

 確かに、海、山、川、それぞれにリスクがある。そうとわかっていても、毎年のように海や川では水難事故が、山では遭難事故や滑落事故が、ほとんど毎年恒例のことかのように起きている。

 いや、そういうリスクがどれほど危ないものかがわかっていないから起きてしまうのか、それとも、レジャーとして楽しむために行くわけだから事故が起きてしまったらその時は仕方がないとでも思っているのか、はたまた、そうした自然の持つリスクを悪用しても構わないとでも思っている人間が少なからず存在するから事故は起こるのか、、、いや、そもそも本当に事故なのか、疑わしいものである。

 今年も、家庭内での殺傷事件が後を絶たない。妻と子供3人の練炭による心中自殺、老々介護に耐えかねての妹による姉の殺人事件、50代半ばの旦那のDVに耐えかねての妻と娘による殺人事件、20代後半夫婦による幼児虐待殺人事件、直近で思い返すだけでもこれらの家庭内殺傷事件が起きている。

 社会において起こるこういう事件を、自然はただ全てを受け容れてもいる。人間社会に起こるこれらの事件は、自然に起こったことなのか。それとも必然的に起こったことなのか。

 自然とは何なのか。自然に起こってしまったことは事故で、人間の悪意や何かしらの意図によって起きたことは事件、そういう解釈で正しいのだろうか。

 ところがだ、人間は自ら起こした事実さえ隠蔽して捻じ曲げた上でこれが真実であるかのように語ることもある。実際に、事件なのか事故なのか判断できない事案は数多く存在している。仮に、何一つ悪意も意図もなく起きてしまったことでも、人間は法の下に過失の罪を問われることもある。「殺すつもりはなかった」と。

 ただ、容疑者がそのように証言する事件の中身を見ると、どう考えても怪我をさせるような暴力を振るったり刃物を持って振り回したり突き飛ばしたりしていることがほとんど。

 それは自然に起きたことで、過失なのか。悪意や意図がなかったとしても、結果を想像すればわかりそうなものだけれども、なぜそういう結果に至るのか。

 自然にはなくて人間にあるものは「感情」であり、「悪意」や「意図」などといった意識の最終形態、【殺意】が宿ることがある。人は誰もが毎日のように人と接するため、無意識のうちにストレスを感じることが当たり前になり、溜まりに溜まったそれがある時突如として噴出することがある。

 感情が怒っている時、何かをきっかけに殺意が加わり、自ら制御不能になる可能性が十分に考えられるのが人間の持つ感情なのだとわかる。

 自然には悪意も意図も殺意もない。それでも、地球で生きていく以上、人は誰もが季節ごとに毎年のサイクルとして決まったストレスを感じている。今の季節で言えば花粉と気温の変化だろうか。寒い冬を乗り越えたと思った矢先に花粉、そして朝晩の温度差による体調不良、5月には梅雨を迎え、ジメジメジトジトとした毎日。不快指数が爆上がりする。

 コロナウィルスの新規感染者数がここ数日で底を打ったように見え、また感染者数の増加傾向へ移行するのではないかという推移。「3月21日に宣言解除?!」4月の間に完全に増加傾向へ移行した場合、三度政府の判断は叩かれることになりかねない。

 第3波のピーク値から、減ったとしても今度は15000人は常に感染者がいる日々が続き、その前後を推移するだろうと思っていたが、案の定、10000人を下回ることはなさそう。変異株が感染拡大をしつつある今、まだまだこれからではないかなと思う。ワクチンの効き目ももって半年から1年。

 避けられるリスクは避けて生きていくほうがいいし、避けられるのであればそれに越したことはない。でも、この1年余り、コロナウィルスに意識が囚われすぎて、それ以外のリスクに意識が向かわなくなってしまった人たちがあまりに増えたようにも思われる。

 自然のリスクは時に避けられないこともあるかもしれないけれども、人間関係におけるリスクは、今もっとも避けなければならないリスクの一つではないかとも思う。みんなストレスを感じていたり、コロナで疲れてしまっていたりして、心に余裕の無い人は多いだろう。

 下手に、余計に人と接するよりも、今は「自然」に意識を向けて過ごす時間的な割合を増やすことのほうが大事のような気がする。少なくともボクはそう思っている。

 つい先日、花屋で多幸の木「ガジュマル」を購入した。高さ10cmほど。人生で初めて観葉植物を育てようと思うに至ったのはそういう経緯もある。あまり水を与える必要のない木らしく、土が湿っている程度であれば問題ないため、ゆっくりと育てていこうと思う。

 自然の猛威は確かに怖いけれども、植物を愛でることができれば、四季折々の自然を楽しむことにも繋がる。いやはや、40近いと趣味も変わってくるものなのだな。見た目以上に歳をとっていることに、自分が一番よく実感している。

 あと10年もすれば盆栽とか始めているかもしれない・・・。

【次回予告】其の八:幸福の真理

お楽しみに!(・∀・)ノ


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