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【職場改善note有料マガジン】No.0015・・・ハードルを下げ「やった」という既成事実だけを取り繕うだけならばやらないほうがマシ!!

 業務効率化、安全第一、品質第一、こうした「素晴らしい文言」があちこちに掲示されていたり、毎朝の朝礼での唱和を励行していたりする会社では、【自分たちができていないこと】を文字にしている傾向にあるらしい。 従業員たちへの意識付けのためにやっているはずなのに、一向に業務効率化は進まず、ケガをする人が後を絶たず、品質不具合や不良が多発する。 そんな状況下でも会社の方針だから、会社の決まりだから、新しくルールが追加されたから、という理由で事ある毎に方針が変わったり、ルールが付け加えられたり、新しい活動をすることになったりする。

 でも、これは組織としては悪循環を生んでいるだけであって、根本的な対策や問題解決のためにはなっていないことを、ほとんどの人たちが気付いていながら変えられずにいる。 このことは、今ボクが働いている職場でも起きていることだと個人的には感じている。 「非常事態宣言」が発令されると、組織内の各部署では会社の方針決定に従って唱和を徹底させたり、新しい取り組みを始めたりするものの、従業員の中には必ず「こんなことやって何の意味があるんだ?」と疑問視している人は少なくない。 しかし、そんな彼ら自身、それを公式に発言して事を改めようとはしない。 IT NOT MY BUSINESS!!(自分にはそこまでする義理はない)と言わんばかりに。

 会社の決まり事だからという理由でやる「やらされ改善活動」「やらされ対策」は、これに従事する人たちの本心がそのまま表出して「やった」という既成事実だけを取り繕うようになる。 ボクから言わせれば、本当に再発防止する気がないのであればやらないほうがマシじゃないか?と思う。 あーしましょう、こーしましょう、会社は、各部署は、ルールを付加することで対策しましたという既成事実を取り繕うことでその場を凌ごうとする。 ぶら下がり人間の集団組織においては、目的意識なくルールが付加され続けることがあるけれども、ルールが有効か否かは考えることもせず、誰一人として異義を唱えようとしない。

 忙しさにかまけて、仕事上やらなければならない(とされている)ことや年間で定められている会議や活動の精度を下げてしまうと、本質的にそれほど成果の得られない無駄な時間と化してしまい、中身がどんなものであれ会社はそれら全てにコストをかけなければならない。 物事の定義や前提が狂い始めると、実態とは噛み合うことのない異次元かつ無意味な会議であったり取り組みであったりになりやすくなるのだ。 「(特に何一つ進展することのない報告会のような)無駄な会議」だと認識している人たちは必ずいるはずなのに、そのことに対して誰一人として触れまいとする。

 忙しいなら忙しいなりに、会議の中身が本来どう在るべきかを確立しなければならないはずではないか? 30分なのか1時間なのか2時間なのか、会議にも様々あるだろうし、かかる時間も、そこに参加する人数もその時々で異なるだろう。 参加した人間が完全に受け身で一言も発言せずに終わる会議ならば、会社はそこにコストをかけてもパフォーマンスはゼロか、もしくはマイナスでしかなくなる。 会議一つにいくらのコストがかかっているかを毎回主催側が計算して、会議の冒頭で「この会議には〇〇円のコストがかかっています。」ということを参加者に伝えてから会議を始めるようにしたらどうかな?とボクは思っている。 概算で構わない。

 仮に、とある2時間の会議に10人が参加し、25万円のコストがかかっているという概算で会議がスタートしたとすれば、参加者全員が「この会議には25万円のコストがかかっているのだ」ということを前提認識した上で会議に参加することができるようになる。 一人当たりの平均で言うと、この会議に2万5千円かかっているわけだ。 ならば、会議進行役も参加者も、全員が2万5千円以上の働きをその会議でしなければならない。 いや、等価ではいけない。 コスト以上の会議にするくらいの気概がなければ、簡単にコスパはマイナスへ転落することになる。 そんなことなんか一度も気にしたこともないような人たちが会議をすれば、毎回「赤字会議」をすることになる。

 理系集団ならそれくらいの計算はできるはずだ。 国内には、会議の前に提出する稟議書で会議にかかるコストを概算提示し、承認されたら会議を実施することができる、そういう仕組みを持つ企業がある。 というより、本来それが当たり前のことのはずであるが、これができていないばかりか、会議そのものに関して言えば、参加予定の人たちへ事前に会議の内容を情報展開したり、資料を配布して目を通しておいてもらってから会議に参加してもらうといった準備すらできていない企業もある。 会議が始まるまで一切の情報を展開せずにいきなり会議を開いて、その場で「以上のことについて何か質問のある方はいらっしゃいますか」なんて言う進行役がいたり、「なければこちらから指名させていただきます。〇〇さん、何かご質問ありますか?」なんていう光景を目の当たりにする。

 そんな小手先の会議で物事がスムーズに決定されていくとは到底思えない。 もし準備が間に合わないのであれば予定変更するなどして見送ればいい。 そもそも会議ってどうやって執り行われるものなのかを知らないのだとすれば、外部研修でも採用して職場としてコンサルを受ければいい。 そういう意味でのコストのかけ方ならばかなり意義深いものであると思えるが、会議が本来どう在るべきなのかをわからない状態で会議を開いたって、そこにかかるコスト以上のパフォーマンスを期待するにはあまりに虫が良すぎると言える。

 今の職場でどんなふうに会議が開かれているのかはボクにはわからないけれども、「会議はどんな段階を踏んで準備し、どのように進行させていくべきものなのか」という教育は受けていないのかもしれないなと思う。 無駄な会議だとボヤく人はいても、会議そのものを改善しようとする人はいない。 なぜならば、そのこと自体は誰の責務でもないからだ。 気付いて動こうとする人間がいない限り、会議の精度は上がらないし、それによる高いコスパを獲得することもままならず、ずっと無駄な会議をすることに時間とコストをかけ続けることになる。 これに対する危機感を誰が持たせればいいのかと言えば、やはり組織の上にいる人間ではないだろうか。

 人様に見せられないような会議をしていたとしても、誰一人として声に出して注意指摘することがなければ、その会社の会議はその程度の精度でしかないのだと酷評されても文句は言えない。 それが事実なのだからね。 会議中に私語の多いメンバーがいるのであれば、即退場させるくらいの緊張感があっても良いように思う。 中には居眠りこいてる人もいるだろうけど、危機感が薄れていれば当然と言えば当然の状況でもある。 会議のテーマが何であれ、それに対して真剣に議論する気がない人間は会議参加を許可してはいけないんじゃないかなーなんてボクは思う。 同じ会社でも、自分たちの会議だけ質が低いと評価された日には、改善せざるを得ない状況に追い込まれるに違いない。 しかし、会議そのものを評価する機関も人も実際にはいないんじゃないかな。

 定期的に社内第三者機関を会議に付設して、一定の評価基準を元に会議のコスパを数字に表すくらいの取り組みがなされてもいいくらい、会社の会議というのは大事なはずである。 発言しなかった参加者がいたとして、「なぜこの会議で発言しなかったのですか?」と問えば言い訳しかできなくなる。 議事録を記録することに必死になって実質的には会議に参加していないケースもあるようだけれど、それだったら会議を録画とか録音とかすればいい。 議事録なんかあとで作ればいいんだからね。

 もし定期的に実施されている会議が、「やった」という既成事実を取り繕うためだけのものに留まっているのだとすれば、立場無視して指摘しなければならない。 それだけではなく、指摘するのであれば代替案を提示する必要もある。 「この会議意味あるんですか?」と指摘するだけなら誰にだってできる。 そもそも、会議に対する参加者全員の認識はほとんど均一にしなければならない。 にもかかわらず、上司が部下に代わりに参加するように指示して会議に参加せず自分の仕事をやろうとする人間もいる。 そりゃー部下も愚痴の一つも言いたくなるだろうよ。 上司マターの会議ならなおさらね。

 派遣社員として働いていると、時折その職場の正社員から愚痴を聞かされることがあるけれども、派遣社員相手に愚痴るなんて恥ずかしいと思わないのだろうかとも思うけれども、敢えてそれは口にせず愚痴の内容に耳を傾けて情報を仕入れるようにしている。 仮にそれがその人個人の感想であったとしても、それに近い会議をしているのだということを窺い知ることができる。 これはこれで、実にありがたい声だなと思う。 ボクは派遣社員だからって他人事としては考えない。 社員の人たちがどんな状況下で仕事をしていて、どんな会議をしていて、それはどういうものなのかを一部でも知ることができれば、こうして文章として何千という文字に言語化することを可能にしてくれる。 彼らの声をネタに・・・なんていう言い回しをすれば聞こえは悪いかもしれないけれども、これはボクの当事者意識から紡がれる文章だからね。 有り難く勉強させてもらう。

 もし可能ならば、品質会議でもなんでもいいから傍聴させてもらいたいなーなんて思う。 おそらくダメとは言われない。 専門的な会議になるんだろうから内容は理解できない。 でも、「会議がどのように実施されているか」を俯瞰することはできる。 進行役、参加者、会議の進め方、最後の質疑応答など、観察できることはいくつもある。 派遣社員には会議に参加する機会は与えられていないからね、羨ましいっちゃ羨ましい。 でも、社員の人たちはそんなふうに思っている派遣社員がいることなんて考えもしないんだろうなーなんてボクは思っている。 いいないいなー♬

 自覚してるんだよね、「機会に飢えている」ということに。 一方では機会をふんだんに与えられている人たちがいるわけだけども、愚痴やら文句やらを聞くことがないくらいならボクだって飢えることはないかもしれないけれど、当の本人たちが会議に対して無意味だなんだとボヤいているようだと、知りたくなるじゃんね? 実際にはどうなのか。 今のところ、QCの発表会に関しては参加できるから、これもこれで改善の余地を多く残していることがわかっているから、時間見つけて評価フォーム作って毎回記録していこうかなーなんて考えている。 派遣社員は言われたことだけやればいいなんて思ってないからね、ボクは。 それでは面白くない。 仕事している感覚も得られない。

 ダメだと言われないこと以外ならば、どんどんアクションを起こしていくつもり。 そうして、派遣社員だからこそできることを開拓していきたいと思う。 自由が効くんだよね、思いの外。 出しゃばるようなマネをするつもりはないけれども、同じ職場の従業員の一人として考えれば意見・提案はやりたい人がやればいいって思ってるから、誰もやらないなら誰も意識していないようなことでもどんどん発信する。 物議を呼ぶ才能はあるらしいから、自分でその才を発揮できる機会を作っていく。 基本業務は心底つまらないけれどね(笑) これが本音。 でも、思考は縛られることがないから、仕事に関することなら何でもこうして言語化できるから、あとはそれをどのタイミングで誰に発信するかを狙うだけ。

 言葉は武器。 発信は戦略。 間接的にでも職場改善に自分の持てる限りの武器を発信して、少し良くなればやった甲斐が出てくるし、大きく改善されれば自分が今の職場に放り込まれた意義も明確になるってもので、結局自分次第だなと考えている。 批判されるようなことがあっても気にしない。 失敗することもあるかもしれないけれども、これはボクの挑戦だ。 自分にできることだけやってても存在意義は最大限に見出せない。 やるなら、やったことがないこともやらないとね♬ それが楽しいと思えるからやる、ただそれだけ。

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