◆社会に妙な空気感が漂い始めた
BRAKING DOWNに出演していた女子キックボクシングの王者の逮捕報道を受け、同イベント出場選手たちの声には賛否あるものの、「悪さをしてもそれで人生は終わりじゃない。やり直せる。」みたいなコメントには違和感を覚える。
確かに、逮捕・起訴され、裁判で執行猶予付きの有罪判決や執行猶予なしの実刑が下る場合、前科が付くことになるわけだけれども、世間における社会的制裁は、法の裁きなど比にならないほど何倍もの制裁となることは多々あるように見受けられる。
とは言え、とは言えよ、事が明らかになった直後に「人生はやり直せる」みたいな場違いなコメントは、「なんとかなった者」「誰かになんとかして助けてもらった者」の戯言に過ぎないのではないか。
特に、今回の場合は、ケガによるリハビリのために大会に出場できないという不遇に見舞われたことに起因したものと考えられるものの、罪状は詐欺容疑。生活に困ったからとは言え、人様を騙して金銭を搾取するという行為は、手慣れた人間のやることであって、言うほど罪悪感なくやっていることが想定される。
つまり、問題なのは初犯での逮捕ということではなく、元よりそういう行為ができてしまう内面・人間性であること。逮捕されたのは初めてでも、余罪がある可能性は今後追及されるところだろうと思う。
何かしらの分野で頂点を極めた者たちが転落していく残念な出来事が後を絶たないことは、社会としては致し方ないことなのだろうか。芸能界やスポーツ界などのエンタメ業界における薬物蔓延なんかも同様に、一体どれだけの人たちが巻き込まれたことか。
人が生きていく上で受け続ける「社会におけるあらゆる影響」については、倫理上問題のある映像や行為などについては議論されることはあるものの、抑止・予防には至っておらず、結局のところ影響を受けるであろう個人にその後の判断が委ねられているため、いつまで経っても悪さをする可能性を残したままになっている。
「社会人として、悪さをした人間に責任があるのだから制裁を受けるのは当然だ」みたいな一見するとド正論に見える意見も、影響との向き合い方がおざなりにされ続けている状態では、一概に本人だけを責め叩くのは正しいとは言えない。その部分に対する理解は私にもある。
それでも、時と場を弁えない「悪いことをして捕まったとしてもそれで終わりじゃない。本人次第でやり直せる。」みたいな前向きのようなコメントは、どういう事態であるかを正しく理解できていない詭弁としか受け取られない。
昔はワルだった、とかいう過去の武勇伝を自慢げに語る人たちの間では、時が経てば風化して世間も忘れていくことを悪びれもせずに語っても許されるのかもしれないが、社会はそんなに甘くない。というより、ネット社会では一度晒された情報は魚拓となり、誰でもいつでも検索することが可能になるため、何かあるとすぐに過去を蒸し返されて傷口に塩を塗るメディアや個人がベッタリと張り付いている。
私が言う「妙な空気感」とは、悪いことをしても時間が経てばみんな忘れるだろうし、覚えていたとしても許してくれるだろうから、いつでもやり直しはできるんだよ、みたいな軽いノリのことを言っている。それを言いたいのであれば、最低でも数年後にすべきで、今ではなかったのではなかろうか。
そんな考え方が社会に浸透しつつあるのだとしたら被害者は堪ったものではない。年間数百億単位の詐欺被害額である日本で、そんな甘い考え方が浸透するとは考えにくいが、やられたほうはずっと忘れないものだということをまず認識すべきだろう。そういう認識ができていれば、時と場を弁えないコメントをすることはおそらくない。