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◆選んでるの?選ばされてるの?川は流れる向きを変えられないが、時に・・・

 地球の公転軌道は毎年同じではない。自転速度も変化している。こうしたことは、研究者たちが観測データを元に明らかにしていることであって、普段生活していて人々が知覚できるものではない。

 タイトルにもあるように、川の流れも普段は同じところを流れていて、ある時急に流れる方向が変化することはないのだけれども、潮の満ち引きで川が逆流したり、大洪水を引き起こすほどの雨が降れば川は氾濫し、溢れかえることもある。そして、長い年月をかけ、川幅が削れて広がったり、深さを増したりする。

 何かしらの外部要因としての現象・事象が、社会を変える一役を担っていて、その多くの微細な変化については、よほど特化した研究をしていない限り気付くことがない。

 例えば、橋や公園の遊具などの腐食による老朽化については、定期的に検査する決まり事があったりするけれども、それらは全て過去に起きた事故を教訓にし、予防策が必要だということで現在では当たり前になっている。

 何か大きな事件事故が起きない限り、人々は自分たちが信じている古く通用しなくなった常識を再考することをしない。そうしてできているのが法律だったりする。

 では、ルール、モラル、マナーといったことはどうか。守ってさえいれば人様に迷惑をかけることはないというのは、誰もがそう思うだろうと考えられて社会に根付いてきたものであって、そのことが「ルールを守らない人は悪」という先入観にはで発展し、時には批判が過剰に暴走することもある。

 しかし、騒動になっていてどういうことなのかを公表されている情報からひも解いていくと、そんなに騒ぎ立てるほどのことか?と思ってしまうようなこともしばしば。

 大体、炎上騒動が起きている時に「批判殺到」というワードをよく目にするけれども、批判している人たちの大半は「騒動が勃発しているから自分も批判してやろう」という便乗型で、彼らは渦中の人物の立場を無視して言いたい放題に罵詈雑言を浴びせている。

 この流れは、日本でもこれまでに何度も起きてきたことだけれども、今日に至るまでに物申す系のインフルエンサーが大量に湧いて出てきたのは、「やっぱりおかしいよね?」ということを世論に投げては反応を窺うことが社会の変化に対応していくためには必要なことだという認識をされるようになったからだと考えられる。

 川の流れで言うところの逆流や氾濫がこれに該当する。流れる向きが変わったり溢れ返ったりすると、これまで便乗型で批判してきた人たちが立場を変え、手のひらを返し、違うことを言い出すことになり、そうこうしているうちに社会は古い常識を上書きしていたりする。

 社会の真理として、ひと個人が社会の常識を塗り替えるほどの影響力には様々にあって、ところどころで周りの人たちよりは影響力のある人たちがそれぞれの環境を動かしていたり衰退させたりしている。ところが、結局のところ、それぞれで変化を起こせているように見えていても、実際には、それよりももっと大規模な領域で起きている現象・事象から受ける影響によって方針が決まったりする。

 EV車で脱炭素ができるのか問題は近年疑問視されてきている。結局これも日本のトップメーカーであるトヨタ自動車に対する圧力に過ぎず、脱炭素というお題目を掲げてEV車関連で大儲けをしようと企む存在の仕業であるわけだが、どうやらEV車は近い将来、社会に様々な問題を引き起こすこととなり、それを横目に水素自動車が世界中で売れる未来が描かれてもいる。

 今ではトヨタ自動車はマルチに地球環境に配慮した駆動システム、燃焼システムを開発していて、一概にEV自動車を考慮しないわけではなく、様々なタイプの自動車を開発している。

 見たことのないもの、前例のないこと、そういうものを人は敬遠しがち。中には科学的根拠が明らかなものに対して感情が許すことがなく批判する側に立つ人たちもいたりする。この部分が人間の厄介なところ。

 人を説得するには「何を言うか」ではなく「誰が言うか」のほうが重要とされていて、仮に言っていることが嘘っぱちでも「あの人が言うなら信じる」という論理で選択している人たちも実際には多いのではないだろうか。会社だったり宗教団体だったり、行く先々で影響力のある人には逆らうべきではないとする腰の引けた考え方をしている人たちである。

 彼らにしてみれば、科学的根拠とか言っている内容とかよりも誰が言っているかのほうが大事で、自身の立ち位置や利益を継続して維持するために長いものに巻かれているほうが賢いはずだと。

 企業の会長やら社長やら役員やら、次々に捲られては逮捕されてネットで炎上しているけれども、「組織は上から腐る」というのは社会における真理としてこの長い歴史が都度物語っていると言える。

 「バレないうちは豪遊する。バレたら潔く捕まる、それでいい。」と、組織のトップがそのように私物化に近い発想を持っているのかどうか、その辺の見極めは必要なのかもしれない。

 人類の進化の過程においてヒエラルキーは、言ってみれば必要悪で、悪さをしてでも自分たちの組織を守るという論理がずっとまかり通ってきたように思える。

 もっと大きい宇宙規模で言ってしまえば、奇跡の惑星と言われてきた地球も宇宙の環境次第。ブラックホール同士の衝突が数年内に起こると言われているけれども、それによって引き起こされるガンマ線バーストが地球を直撃しようものなら、生命は一瞬にして消し飛ぶに違いない。仮にそうでなかったとしても、数十日以内に地球は終わりを迎える。

 人生100年時代にタラレバの話をしてもキリがない?だから「アノ人」の言うことを信じていれば安心だと?それもタラレバじゃないか。

 とある組織の長いものに巻かれているつもりでも、そんなものは安泰を確実なものにするわけではないし、一方で、長いものに巻かれずに我流で生きたとしても、結果は誰にもわからない。

 ゲームの攻略法にばかり意識を囚われ、ボスの倒し方に関する情報に固執したり、レアアイテムの入手のために課金したりして、オレすげーアピールをしている方々も少なくはない。それは彼らのスタンスであるため、否定する余地はない。

 ただ、そういう遊び方で本当に満足なのか、すぐに飽きたりはしないか、ということについては個人で考えないと、世間の流れに身を任せてただ流されているだけで、自ら工夫して楽しむことを放棄しているとも言えなくはない。

 自分がやっていることは、果たして本当に自ら選んでやっているのか、それとも誰かしらに選ばされているのか、よく考えてみても良いかもしれない。

 私は、誰に教わるでもなく、ひたすらnoteの画像を描いてはみんなのフォトギャラリーに出品し続けているが、創作行動こそ選んでやっていることの一つだろうと考えている。そこに「正しさ」を主張する者はどこにも存在しないし、比較して評価したり酷評したりするものもいない。誰に何を言われるでもなく、描きたいものをひたすら描く。

 ところが、声としての評価はなくとも自分が描いた画像を利用してくれる人たちがたくさんいる。その事実が私の支えとなっている。無駄だ、価値がない、言っていることがおかしい、などと言いたい人がいたとしても、その事実だけは決して揺らぐことはない。

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