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◆現代社会における幸福度は資産の額では測れない

 もし、「世の中、カネが全てだ」と未だに考えているのなら、おそらく、そういう人の幸福度が最も低い。円の価値がどうあれ、日経平均株価がどうあれ、億単位の資産があろうと満たされることがない。

 食欲、睡眠欲、性欲、物欲、おおよそ人の欲求なんてこんなものでしょ。それ以上に何がある?それに、それら4つの欲も、ある程度カネで満たされる部分はあるかもしれないが、それにも限度や飽きがあろう?

 何がしたい?何を食べたい?何が欲しい?どこへ行きたい?これといって何も思い浮かばないという人は増えているんじゃないかね。何かにつけカネのかかる上に、どれもこれも値上げの繰り返しで、消費そのものの価値すらも下がりまくっている。

 別に贅沢をしたいわけではなく、足元の生活、日常を無事に過ごすことさえも難しくなりつつある。そんなご時世に、カネで何ができる?何もないと思わないか?

 この先どうなるかわからない国内や海外の情勢を見るに、かつて昭和後期から平成に至るまでの高度経済成長期を生きた世代に比べれば、夢も希望もないだろう。そう思えば思うほど、虚無感に苛まれそうになる感覚はわからないでもない。

 でも、ようやく人は気付いたんじゃないかね。世の中を見渡しても、なんでもあるようで、実は何も無いことに。TikTokなんかでは随分前から音楽に合わせて踊るショート動画を配信する若い世代が多いようだが、ついに踊ることしか楽しみが見つからなくなっているようにも見える。

 ただ今日を生きること、その点だけを比較しても、40年前とは比べ物にならないほどその難易度は上がっている。

 あなたは現状をどう捉えているだろうか。オレからすれば、今がデフォルトで、社会全体があまりに幸せな時期を50代以下は経験していない。それが逆に良かったとも言える。

 絶頂期を経験してきた70代以上の高齢世代からすれば、今ほど不幸な社会を生きることになるとは想像していなかったに違いない。だから、過去の栄光を繰り返し語りたがるのかもしれないが、時代は大きく変わってしまったわけで、40代以下の世代にとっては「昔はああだったこうだった」と、そういう話を聞かされるのが何より無意味。

 オレらの世代はね、ちょっと良いことがあるだけで幸せを感じられるんだよね。たまにする外食、たまに飲むお酒、休日の長めの睡眠、極々当たり前だったことがしっかりと幸福度に反映される。これはこれで悪くないと思うがね。

 あまりに幸せな瞬間も、あまりに不幸な瞬間も、人生においては避けて通らないといけないんじゃないかとオレは思う。もうそれ以上の幸福もそれ以上の不幸も経験することはないだろう、そう思うようになってからの人生というのは、何をしてもそれ以下でしかなく、言うほどの刺激でもなくなる。

 平凡な毎日には飽きるから刺激を求める?それでも満たされないから欲望はエスカレートするものだと思われがちだけど、今はそうではない。欲望がエスカレートするような要素がほとんどないのが現代社会だ。

 休日、特に何もせずに一日を過ごす場合には、朝も昼も食事をせず、夕食まで空腹感を維持する。すると、夕食が一段と美味しく感じられる。これはストレスを感じるような我慢ではなく、空腹が心地よいと思えるような習慣だ。楽しみは「今夜の晩御飯」。そう思える休日なんてどうだ?

 誰かが用意した「楽しい空間」なんてものは、楽しいと思いたい人たちの溜まり場に過ぎず、それがそっくりそのまま自分もそのように思えるような場所かどうかは全く無関係だったりする。人気、トレンド、流行、そんなものは基本的にまやかしや錯覚でしかない。無論、それでもいいと思う人たちも居るんだろうが、少なくともオレにとっては違うんだなと感じている。

 自分の欲求を満たすことに興味がない。それよりも、パソコンで画像を作成している時間のほうが精神的に一番落ち着く。誰かと一緒にいないと寂しいということも全くない。

 あるのが当たり前の毎日よりも、無いのが当たり前の質素な日常に慣れていたほうが幸福を感じやすいってのは当然なんだと思う。

 これからはね、目先のカネを追う者ほど不幸を感じる時代になっていくんじゃないかな。ハッキリと断言はしないけど、世界がこれほど乱れているのだから、未来に希望を抱く人も今となっては希少だろう。

 自分にとって何が正しいかは自分で決めたらいいというのはその通り。自分以外の人たちの価値観を否定批判したところで何の意味もないわけだからね。

 それでも今なにか頑張っていることがあるのなら、気を付けておかなくてはならないことが一つだけあると思うんだ。あとになってから「やってきた意味がない」と思うに至るかどうか。頑張りは必ず報われるなんていう無責任なキレイごとも、信じるか信じないかはその人次第だが、そもそもね、報われるとはどういう状況のことを言っているのかまで具体的に考えていないと、それはまさに机上論に過ぎない。

 自分がどうなりたいかということは、当然、必ず自分の幸福に繋がるという確信をもっていないとそうは思えないはずである。果たしてそういう願望・野望を胸に宿している人たちがどれほど居るのだろうか。

 貪欲であることがさも良いことのように語ってみたり、もっと欲を出せ、もっと貪欲であれ、なんて押し付けがましいことを言ってくる人もいるだろうが、そういう中身のない言葉には耳を貸す必要はない。

 自分がどう在りたいかも自分で決めて、自分が思うように今日一日を生きればいいんだ。どう転んでも向こう20年以内に社会全体が幸福の風に吹かれることはないんだから。

 であれば、相応の、自分に合った時間の過ごし方をすればいいんでないの?周りがどうであろうといちいち自分と結びつけて考えることには大して意味がない。少なくともオレはそう考えている。

 足元の小さな幸せに気付かずにいれば、不幸に至るまで一直線。ダメだよ、過去の栄光ばかり語る高齢者の話に惑わされちゃ。大して良いことも悪いこともない日常こそ無事に過ごすことが今の時代は大事だったりする。

 急にカネに余裕が生まれたりするとね、人は人生における選択を間違えるんだよね、きっと。そこからの10年後20年後のことなんて考えずに選択するんだから。そしてあとになって後悔する。

 新NISAのブームに流されている人たちの様子を見ていると、逆を行ったほうが成功するだろうになぁと思うんだけどね。何千万人が一斉に顔面蒼白になるような驚天動地の歴史的な株価大暴落もすぐそこまで来ているようにしか思えないんだよね。大衆は常に間違っている、本当にそう思う。

 もう始まってるんだよね、不幸のどん底へのカウントダウンは。大衆の逆を行くほうが賢い。それが何よりの先見性であり、賢明さだから。大衆が同じ方向に歩き始めたら、独りでもその逆の方向に向かって歩き出す、そういうマインドは大事よ、本当に。

 実態の伴わない日経平均株価は、いつ崩れるかが見物。世間が騒ぎ始めた時にはすでに手遅れ。どっちかって言うと、株価が底を打つくらいの頃までは資金を貯める期間で、ある程度落ち着いたら株を買い貯めていくくらいののんびりした感覚のほうが利は得やすいんじゃないかね。高値掴みは損するだけだから。

 そんなにカネが欲しいかね?オレにはよくわからん。

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