佐々木希さんの肝が据わっている件
アンジャッシュ渡部氏の不倫問題、これは批判できるものではないんだなっていう認識をするに至った。他人(である女性)を「道具」と表現したことについては、通常、人間としての感覚であればこの表現そのものに異常性があることは容易にわかる。
でも、渡部氏本人の立場から考えた時に、その異常性に自分で気付けるかというと、非常に難しいかもしれない。病気に関して言うと、どんな病気も自覚できるものばかりではない。しかも、自覚できない症状について言うと、世間的な常識に照らし合わせれば、どんな無自覚な症状も「異常だ」と判断されるに違いない。
だから、渡部氏を批判することそのものが何一つ意味を持たないのではないかという認識が最適だと言える。
そのことを、妻である佐々木希さんが真っ直ぐに受け止めておられることを示したコメントが「離婚はしません」という一言に明瞭に表れている。
男の立場からすると、世間の激しいバッシングを浴びる夫を、騒ぎ立てることなく、ドッシリと受け止められる奥さんというのは何としてでも守らなければならないと思わせる。
それよりも、愛人だった女性が集中砲火を浴びていること。プライバシーが何かを理解できていないばかりか、なんかこう、自分は被害者なのだ、可哀そうな女性なのだ、などといった悲劇のヒロインにでもなれると勘違いしていたのではないかという印象しかない。こういう女を正真正銘の腐った女の子、腐女子と言うのだと理解する。
妻子ある男を誘惑して、家庭をブッ壊しても屁とも思わないような女、夫子ある女を誘惑して、家庭をブッ壊しても屁とも思わないような男、こういう輩が存在すること自体は認めざるを得ない。許す許さないは個々の見識に因るから、一概に批判できることでもない。
不倫とか浮気とか、それに近い経験をしたことのある人たちなら、今回の件で渡部氏だけを猛烈に批判・非難することはしないのではなかろうか。
自分が間違いを犯した時に、大半の人間たちから批判されても、一番近くにいる大切な存在から許してもらえるというのは、ただそれだけで自身に反省の念を抱かせる。逆に責め立てられて騒ぎ立てられて立場を無くまで追い詰められると、人間の心はどこかのタイミングで「開き直り」に至る。過ぎたことは仕方がない、と本人に認識されてしまうまで追い詰めることは、何も解決しないばかりか、その後の時間が以前の時間の質に戻ることは決してない。
やっぱりさ、誰もが言いそうなことしか言えないという陳腐な思考というのは、ほぼほぼ良い結果を生まないのかもしれないなと考えさせられる。
皆さんはどう感じただろうか。もし良ければコメントしてね?(・∀・)