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この置物、誰かリアルに作ってくれないかなぁ・・・ガラス細工で。あ、そう、無理なのね(笑)→後日装飾追加予定!

 下からブルーライト照らして、落ち着く光を放つ猫の置物。ギャラリーって、アートの結晶みたいなものだと思うんだよね。ガラスがブルーなら、ホワイトLEDライトでもいいね。でも、元々LEDはブルーライトだから、そのままでいいね、うん。

 イメージするだけなら任せて。あとは、これを作ってくれる人がいてくれたら、ボンボンアイデア出すのになぁ・・・なんて(笑)やはり、パートナーはいたほうがいいな。自分一人の力じゃ限界がある。誰かいないかなぁ・・・。分配五分五分で、ちょっとリッチなギャラリー、作ってみたいなぁ。

 アレだぜ?人間が想像する全ての物事は、現実となるんだぜ?ただ、実現にまでこぎつけるには、やっぱり出会いに大きく左右される。この日本に留まらず、世界のどこかに握手してくれる人、一人くらいいそうだけれども、なかなか見つからないもんだなぁ。

 ボクがこうやってnoteの画像を自ら描くのは、単純に、これまでの人生で2番目か3番目に好きなことだからだ。1番目、今の年齢とか仕事とか、いろいろ踏まえると完全に手遅れってやつ。スポーツに没頭するっていう時間の過ごし方。制約という現実に逆らえない。で、2番目か3番目っていう微妙な意味は、文章を書くことも好きだから。どっちかっていうと画像作成のほうが好きかもしれないな。

 人は、自分が好きなこと、やりたいことだったら、大前提として「辞める」とか「諦める」とかいう選択肢がない状態で、いつまでだって続けることができる。上手い下手関係なく、ひたすら続けることができる。そして、続けることで出来の質がどんどん上がっていく。

 正直、このnoteを始めたばかりの画像は、センスが無さすぎて見るのも恥ずかしい。でも、これまで続けてきた中で、いくつもの技術的発見があったんだよね。Excelを使った画像作成ね。全てExcelで作ってきてる。なぜExcelかと問われれば、まさかExcelでこんなことができるなんて最初は思ってもみなかった。

 でもね、続けていると、図形の立体感や影、反射、エフェクト、グラデーション、アート効果などなど、Excelの機能を駆使すると、おそらくこれには限界なんてなくて、使える程度のレベルなのか、応用に応用を、工夫に工夫を重ねていくと、とんでもないものが出来てしまうんじゃないかっていう期待感さえくすぐられる。

 っていうか、実際にくすぐられているのは、インスピレーションやイマジネーションなんだ。その点、左利きの効果に助けられているかもしれない。動いているのはマウスを握る右手なんだけれども、脳刺激で言うと、ほとんど毎日のように画像を作成して文章を書くってことを続けると、脳の働きは活性化し続ける。

 微妙なズレが気になって始めから作成し直すこともしばしば。普通だったら面倒になって辞めてしまうんだろうけれども、好きだからそれができる。そうやって自分がやっていることを他者がどう評価しようとも、好きでやっているという事実は微塵にも揺らぐことがない。

 数年前に、こんなことを言われたことがある。ボクの過去を知るとある人物から「良い文章書いてるようだけれども、なんでお前が偉そうにそんなこと言えるの?」と。その人は、ダイレクトにボクの過去を引き合いにして現在を否定してきたんだけれども、人の過去は、現在のその人を証明するものではないってのはボク自身が重視する考え方の一つ。

 生きていれば、幾多の失敗をするだろうし、怠惰な時もあるし、苦い思い出もいくらだってある。でも、同時に、多くに気付かされ、価値観が変わり、自分がどう在りたいかという理想像も変化していく。

 極端な話、過去に罪を犯した人が、何年経っても犯罪者とは限らない。再犯で捕まる人ももちろんいるんだけれども、一方で、ちゃんと構成して社会人生活を一からやり直して今を一生懸命に生きている人たちもたくさんいるだろう。そういう人たちのことを、社会がずっと敬遠したり締め出したりするようなことをしてしまったとしたら、生きる権利があるはずの前科者たちの行き場所はどこにもないことになる。

 今現在がどうであるか、それだけでいいって思う。過去をないがしろにしていいとは言わない。過去から学ぶべきことは必ずある。でも、過去の出来事を引き合いにして現在を否定したり非難したり批判したりするのは間違ってる。そうじゃなくて、今を生きていて出会う人たち、接する人たちを、そのまま認められる人間でありたいと思う。雑な言い方をすると、今さえ良けりゃいいってことになってしまうんだけれども、今が良くなかったらこの先も良くないだろう。

 良くも悪くも他者の過去をほじくり返すのが大好きなマスコミのようなお仕事は、これまでも星の数ほどの衝突やトラブルを生んできた。過去を都合の良いように解釈して攻撃したり吊るし上げたりすると、良い結果を生むことがない。どちらかというと、人の良い部分よりも悪い部分のほうが目につきやすく、噂にもなりやすい。そういうことに翻弄されて人のことを好きか嫌いか、気に入るか気に入らないかといった両極端な見方しかできなくなったら、本当の意味での人脈や信頼関係なんてものは築くことはできないんじゃないかな。

 「失敗しちゃったんだね、っていうかそれはさておきこれからどうする?」みたいなサバサバした処理の仕方のほうが、話も展開しやすい。人の失敗をズケズケと責め立てても、言い訳をさせて「それ言い訳だよね」っていう強制的なやり取りが繰り返されるだけで、全く以って生産性に欠ける。それよりも、「次どうするか」を前向きに考えて話し合う方がよっぽどマシ。責任の所在とか優先順位で言えば最下位でもいいくらい。

 誰の人生も挑戦。初めてのこと、新しいことには失敗が付き物。そういう失敗ばかりを責め続けたら、挑戦意欲を奪い、挑戦する機会を阻害するだけ。あたかもそれが正しいのだと言いたがる人に対しては、「ねぇ、もしかしてバカなの?」って言ってあげたほうが親切だ。

 子供が親の言うことを聞かないからってさ、親が子供のお気に入りのおもちゃを取り上げたり、なんでもかんでもダメダメって言い続けたらどうなると思う?生きる気力を失うんだよ。家族関係も悪化させる。今度買ってあげるからとか、テストで良い点数取ったらとか、条件を付けて放置し、親が約束を破ってしまうと、子供は当然「〇〇したら買ってくれるって言ったじゃん!」と言いたくなるよな。自分の親はウソつきだ、と。それから、頑張っても自分の望みが叶うことはないのだ、と完全に思い込むようになり、頑張らなくなる。頑張るよりも前に、自ら挑戦しようとする気さえ起きなくなる。

 もし子供がそうなってしまったのだとしたら、それは子供が悪いんじゃなくて親が悪い。結局、いつも親の都合で教育や躾の在り方がブレ続けて、子が親に疑念を抱くようになり、だから言うことを聞かなくなる。親子は対等ではない。でも、家族という枠組みでは、親がなんでもかんでも子に強制していいわけではない。子供が「やってみたい」と好奇心を示すことは、とりあえずやらせてあげてほしいな。で、ただやらせてあげるだけじゃなくて、「どうだった?」って感想を聞き、そこに具体性を持たせるための質問をするんだ。

 そしたら、子供は嬉しそうに、あのね!誰々がね!こうでね!ボクがね!こうしたの!そしたら・・・って、自分から話すようになる。親子間で会話がない家庭では、一見当たり前のようなこうした光景を親子互いに避ける傾向にある。親は、「子供が何も話してくれなくなった」と嘆くだろうし、子は親に対して「どうせ話しても興味示してくれないし・・・」と思い込むようになる。

 見えない鎖でそれぞれ縛られてしまうんだよね。子供がさ、親に対して「〇〇やってみたい」って言う時の気持ちは結構勇気出してると思うんだよね。それをさ、「〇〇だからダメ」って一蹴してしまったら、まず真っ先に好奇心が失われ、次からそういう相談をしなくなるんだよね。「どうしてやってみたいの?」って言う前にダメだと言われたら、言うだけ無駄だなって子供は気付いてしまう。ダメな根拠は示されないまま放置されるんだからね。

 子供が卑屈で陰湿な性格に育ってしまうのは、家庭外の環境のせいだけではない。つい最近、30歳の女が自宅で子を出産して直後に殺害して逮捕された事件が報道されていたけれども、常軌を逸した行動としか思えないし、誰にも理解はできない事件。この事件が起きた真実を当事者以外の人間たちが聞かされたところで、誰一人納得はしないだろう?

 だけど、それでも、執行猶予が付こうが付くまいが、女は自ら犯した罪を生涯背負って生きていかなくてはならない。どうなったら更生したと言えるのかは保護監視下で判断されるんだろうけれども、その後の人生において社会から疎外され続けたら、いずれ死を選択することになり、本人が選択したと社会は言うかもしれないが、反対に、社会が本人を死に追いやったという残念な結果に至る可能性が高まる。

 社会は常に守られている。でも、その傍らでは、過剰な非難批判を浴びせ続けて、罪と認定されない殺人が起こることがあるのが社会そのものが持つ残酷な性質でもある。想像力に乏しいと、そういうことにも気付けずに炎上騒動に加担して面白がってしまうんだよね。一体これのどこが正常だというのか、ボクにはサッパリわからない。

 不倫騒動で大変なことになっている東出氏、自分で蒔いた種とは言え、社会は残酷だということが浮き彫りになったとも言える。頑張って生きてほしいね。全くの他人だけれども。あ、この社会が正常か異常かということではなく、美しいか汚いかで言うべきだね。めちゃくちゃ汚い社会だね。この汚れた社会で服やアクセサリーをブランドもんで着飾っているこの光景、実に滑稽だ。

 スラム街でそんな恰好してたら盗難だけじゃ済まない。いくら着飾っても、人の本性までは隠し切れないよね。逆に身に付けているものが安かろうと、中身まではわからんもんさ。生きることを最優先に考えて生きている人間と、余裕ブッこいて着飾ることに一生懸命な人間とでは、そもそも普段から見えてる景色が全く違うんだよね。それは、目に表れる。

 手も足も、目も耳も口も鼻も頭も、使い方次第で性格も人格も変化に違いが生じると思う。神経を集中して何かをしている自分の姿が好きな人は、やりたいことを真剣にやっているよね。数時間に亘って画像を作成したり文章を書いたりする自分の姿、ボクは好きだ。だから続ける。たまに良いものができればそれでいい。

※あのさ、ちょっといい?現状を脱することばかり考えている人って一体なんなの?そういう人ってどこに行っても同じことを繰り返すよね。やれるだけやってダメなら考えればいいじゃん。世の中にはね、まだ何もやっていないのに諦める人だっている。脱したつもりで別のところに行くじゃん。脱してないことに気付かないまま、また次のところに逃げていくじゃん。逃げのメビウスの輪って言うんだよね。

今回のデザイン、技術が進歩したかも的な感じなので、完成形を目指します。

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