日常と非日常の狭間にある、“普通”の物語「2」
あらためて、元ネタとさせていただいた文章を紹介します。
【 “ふつう”はいつもドラマティック──「andgram」というお宿のはじまり】
(以下《 》内は引用した文章。引用だと分かりやすくするため改行は外しました)。
《旅人の“ふつう”も村人の“ふつう”も、実はどちらも替えがたいほどドラマティックなんだということを、忘れないように。》
《人が集まり寝食を共にし行き交う「宿」という形態は、往来する人々の「ドラマティック感度」をゆさぶる装置として、一番嘘がないと思ったから。》
《凡才で凡人の、平凡な暮らしが、誰かの視点と交わることでドラマティックに変わる。“ふつう”を愛せるようになる。そういう場所を、つくります。》
うちの宿の空気感は、「旅」という行為が、まだ特別で決意が要るものだった昭和40~50年代くらいの「観光地の民宿」をイメージしています。
さすがに自分もこの時代は幼少期~小中学生で、リアルタイムで身を置いたことはなく、旅を始めたのはぎりぎり昭和末期なので、体感できているわけではありません。
ただ、高校生のころから、一世代上になるこの時代の文化や世相が大好きで「憧れ」が強く、当時は「あと5年早く生まれたかった」と思っていました。
この雰囲気と宿泊予約サイトでの売り出し方などから、うちはゲストハウスとしては平均年齢が高めで、主要客層こそ20代後半~30代前半の女性客とファミリー層ですが、40~50代の一人旅女性も結構、入ってきます。「ユースホステルや民宿を愛好してきた人」「海外ではよく利用するけれど日本のゲストハウスは好まない人」に好まれる傾向があります。
一方で予約ルールが厳しめなので、30~40代の男性は問い合わせすらほとんどありません。
うちの宿には、一般的なゲストハウスではあまり採用していないルールがあります。
一つは「宿泊者がいる時は、地域住民の立ち入りはできない」こと。
「1」で記したように、水木しげるロードののまちづくりの「原点」は、あくまでも「商店街の活性化」であって「それぞれの店でコミュニケーションを取りながら楽しむこと」を目的としています。
なので、地域の人との交流を楽しむのは、水木しげるロードなど「地域の店」で行うのが本質。それが水木しげるロードの魅力ですから、「宿内では必要がない」と考えています。
もう一つ、非常に重視しているのは「予約時に《境港に泊まる理由および旅の目的》を明記していただき《必然性》がなければ受理しない」こと。
この「必然性」「目的」に関しては、個人客に関しては、圧倒的に女性のほうが「具体的に」記入してきます。男性は「観光」「ツーリング」などしか書かない人が大半。“想い”が伝わってこない人が多く、実際、詳しく記さない人ほど「目的地意識が低い」というか、目的の違いを感じます。
自分は、人との繋がりにしても、「旅」における非日常への“想い”としても、「求める」ものではなく、「目的地」において「偶発的に生まれるもの」として捉えています。
まず「目的地」があって、シンプルに「その場所で、楽しむ」。
それが、自分の旅です。
そして、それが昭和40~50年代の「旅」であり「旅宿」だったと感じています。
「境港・水木しげるロードを楽しみたい人」ばかりが集い、“縁”が生まれ、繋がっていく――。
それは、すごくすてきなことで、旅宿冥利に尽きます。
なので「ゲストハウスに泊まりたい」ではなく「境港に泊まる必然性」を大切にしています。
「境港を楽しむために、ゲストハウスに泊まるという選択をする」
「ゲストハウスがあるから、出会いを『求めて』境港に泊まる」
所謂「鶏が先か、卵が先か」の論理。
この違いは、観光地として成り立っている境港の旅宿として、すごく大切だと思っています。
「境港」という目的地が「一番目」にあって、「ゲストハウス」という選択は「二番目」。そういう人が集まる空間、それが本質的な「旅宿」で、境港だからこその存在だと思っています。
また、偶然であれば、年齢や性別に関係なく「対等性」が高くなります。旅においては誰もが同じフラットな位置に存在しているわけで、だからこそ、温もりがあって純粋に楽しめる空間が生まれると思います。
なので、正直な気持ちとして「“普通”の人に泊まってほしい」です。
ゲストハウスに50回も100回も泊まっているようなマニア層や、日本一周とかの「通過型」の人よりは、「境港・水木しげるロードを楽しみたい“普通”の人」のほうが“想い”が強くて純粋。そういう人のほうが“普通”の町の感覚をドラマティックに感じて、日常と非日常の交錯に、素直に身を置かれると感じますので・・・。もちろんゲストハウスマニアや日本一周の旅人さんも「濃い旅」をしていたり、人間的に面白い人がたくさんいるとは思いますが・・・(こういう層は“普通”から脱却したい人が多いので、うちが醸し出す空気感とは少し違うかな、と)。
なお、ガチな水木ファンについては、もちろん町への“想い”があるので大歓迎なのですが、SNSで同好の繋がりがある人は「仲間だけで固まりたがる」ので、意外と泊まっていただけません。イベントなどの際に、一匹狼タイプは来ますが(#^.^#)
今、うちは「土曜日や繁忙期の個室は『子どもが含まれる家族のみ』」「男性は車・バイク不可、年齢制限在り」などの制約を設けています。このような制約は、決して良いことだとは思っていません。真摯に旅をしている人を逃す可能性もありますし、高圧的に捉えられかねません。実際「ゲストハウスマニア」タイプの男性からは、痛烈な批判も受けました。
ただ、昔と違って「旅」へのハードルが低くなっている今、「交流したいだけ」「ちょっと遊びに行く感じ」とかで来られることで、トラブルに発展することがあるのも事実です。昨今、ゲストハウスにおいて「出会いを『求めて』」という風潮が主流ですが、そのような定義はないので「うちは違います」と、はっきり伝えています。
また、泊まる人が増えるほど「相性」が重要な意味を持ちます。うちでも、ファミリーと独身男性(特にグループ)、ゲストハウス初心者の若い女性客と頻繁に利用している年配男性客などは、相性が良くありません。「乳幼児も含め子ども連れで楽しめるゲストハウス」として営業するのは絶対必須だったので、部屋が空いてしまうリスクを捨ててでも、相性を重視しています。その時優先したいのは、やはり「境港・水木しげるロードを楽しみたい、という“想い”」です。
これらもゲストハウスの「在り方」や「捉え方」の違いから生じるものですが、明確な定義がない以上、固定観念や流行は追い求めません。「水木しげるロードのまちづくり」に適した存在として、必然性がある人に泊まっていただくことを大切に守っています。
日常と非日常が交錯する“普通”でありながらドラマティックな空間を大切にし、往来する人々の「ドラマティック感度」を揺さぶる嘘のない存在であるために――、「境港」という宿泊目的地への「必然性」に拘っていることを、ご理解いただければ幸いです。
なお、引用した文章は“ふつう”と平仮名で表記していますが、私は漢字で表記しました。
単純引用ではなく表記を変えることで、あくまでも参考・引用であり転載や模倣ではないことを示しておきます。