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先入観や思い込み、固定観念

人はとかく、先入観や思い込み、固定観念の下で物事を捉えがちになる――。

明確な定義がない物事は、さまざまな捉え方が生じるもので、年代や性別などによる違いで「このように捉える人が多い」といった傾向はある。

その「捉え方」の相違によって起こる「相性」。
それが「合う、合わない」を決めることもある。

「ゲストハウス」という宿泊形態は、どのように捉えている人が多いだろうか!?

一般的には下記のような定義が成されている。
※「比較的安価な料金で利用できる宿泊施設を指して使われることが多い」
※「部屋によってはトイレやバスルームがない場合もあり、共用のものを利用するシステムが取られている」
※「風呂や台所などを共用して生活する単身用住宅。家具付きが一般的で、寮やホテルに近い」
※「安価かつ短期滞在しやすい宿泊施設で、居住者には外国人や外国生活経験者が多く、個室タイプと相部屋のドミトリータイプがある」
※「素泊まり1泊3千~5千円ほどで利用できる格安の宿。食事の提供がない代わりに共同キッチンで自炊できることや相部屋の利用などが特徴」

概ねこのような感じで、明確な基準はない。なので「捉え方」に相違が生じる。

自分は「観光地型の宿」しか利用して来なかったので、民宿やユースホステルの延長として「旅宿」と捉えてきた。しかし、「安宿」と捉える人もいれば「交流宿」と捉える人もいる。
実際、「旅」で泊まる人だけでなく、都市型だとビジネス利用者もいるし、今は「遊びに行く感覚」で泊まったり訪ねる人がいる「交流宿」も多い。

とは言え、昨今、日本のメディアが「ゲストハウス」を紹介する際に、「『出会い』を『求めて』旅に出てみませんか」といった表現をすることが多く、「ゲストハウス=交流」と捉えている人が多いように思う。
特にユースや民宿を経験していない人や、都市の宿から入った男性客、あるいはゲストハウスに抵抗を覚えている女性客に、その傾向があるように感じる。

自分は「人との“縁”は偶然性と対等性が大切」と考えているので、この「『出会い』を『求めて』」という表現は好きではない。「求める」ものではなく「結果」だと思うからだ。そして、「旅」においては「目的地」を最初に定めるタイプなので、あくまでも人との“縁”は“枝葉的なもの”だと思っている。
「友人知人などに会いに行く」ことはあるが、それは「目的地」への必然性。まず最初に「場所」がある。

こういった“想い”から、うちは「観光地型」の宿として「旅宿」の要素を強調し「旅そのものと境港・水木しげるロードを楽しむ」という「コミュニティ重視型」で運営している。

うちの場合は「境港」という「場所」が持つ要因もあって、「宿泊目的」「交通手段」「利用時期」の3つが「男性」「女性」「子ども連れのご家族」それぞれで顕著な偏りが出る。
それは、辺境の地の「観光地型」としての特性だと思うので、「自分自身の理想像」もあるけれど、結局「比率に応じた『相性』」を重視して、現状のルールをつくった。

それは「特殊」と批判されることもあるけれど、明確な定義がない以上「個性」「特性」と理解してほしいと願っている。

ついでに言えば「交流」の定義は何か、となると、これも「捉え方」としての明確なものはない。
ただ、あくまでも個人の意識次第ではあるのだが、「出会い=交流」と捉えることによって起こる誤解が必ずあるので、そういった意味でも「文書による明確なやり取り」は重視していかなければ、と思っている。

先入観や思い込み、固定観念は、必ずトラブルを生む。
自分自身もすべての物事において、頭を柔らかく捉え、正しく理解することを大切にしていきたい――。

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