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日常と非日常の狭間にある、“普通”の物語「1」

最所に、元ネタとさせていただいた文章を紹介します。
【 “ふつう”はいつもドラマティック──「andgram」というお宿のはじまり】

面識はありません。あくまでも、この文章を読んで感じるものが大きく、「旅宿」を運営する者として考えさせられることがありましたので、参考にしながら今の“想い”を綴ります。
(以下《 》内は引用した文章。引用だと分かりやすくするため改行は外しました)。

《旅を通じて再構築され始めた“ふつう”を観察する中で、いくつか、気づいたことがある。よそから来た旅人にも、地元で暮らす村人にも、ドラマティックな“ふつう”の暮らしがある、ということ。そして「自分の“ふつう”には、特にドラマティックな要素はない」と思っている人が、結構な数いるのかもしれないということ。同時に「自分自身の“ふつう”」に気づくには、ちょっとしたハプニングがいるということ。》
《自分の“ふつう”は、絶対に誰かの“非日常”だから。非日常も日常も、どちらも同じくらいドラマティックだ。》

自分は、「伊勢」という年間に何百万人もの観光客が訪れる地で育ちましたが、訪れる人が「伊勢を特別視する気持ち」は、全く分かりませんでした。「伊勢」に対して、外から来た人が言う「良い町」と、自分が思う「良い町」の感覚にずれがあって、「住む町としては好きだけれど、観光地としては好きになれない故郷」でした。

その理由は、自分にとっての伊勢は“普通”でしかなかったから。
「歴史の重さ」が嫌いで、特別視されるほど。違和感に苛まれました。

今、住んでいる「境港・水木しげるロード」の本来の魅力は「本質的に“普通”であること」。
境港に移住してから「観光客」と「住民」の目線を併せ持って過ごしていますが、そこに感覚のずれが生じません。

非日常を楽しみに来たのに、日常を楽しんでいるようになる――。
そして、ついつい長居してしまう――。

商店街にあるそれぞれの店が、本業(たばこ屋、駄菓子屋、酒屋、電気屋――など)の傍ら、それぞれ独自の土産をつくって販売し、コミュニケーションを取りながら楽しめる町。まさに、昭和40~50年代の商店街の活況を、そのまま観光に持ち込んでいる感覚。
商店街に買い物に行って、世間話を楽しんで、いつの間にか仲良くなって――みたいな感じ。たまたま一軒の店で一緒になったのをきっかけに、10数年過ぎた今でも親交がある人もいます。

1989年にまちづくりの構想が築かれ、92~96年にかけてブロンズ像が着工されてから10年ほどかけて年間100万人を超える観光地へと発展したのですが、先例のない取り組みと、良い意味で「観光地らしくない“普通”感」は、純粋に楽しめる町。
「旅」という行動に移すことは「非日常」への一歩ではありますが、当時の境港のまちづくりは「日常と非日常の狭間にある“普通”に、ドラマティックな物語」があったのです。

そのあたりは、2006年に刊行された著書「こんなに楽しい! 妖怪の町」五十嵐佳子:著(実業之日本社:刊)を読んでいただけるとよく分かりますので、ぜひご一読ください(現在は絶版ですが、図書館などに置いているところは多いです)。
【宿のブログ:こんなに楽しい! 妖怪の町①】

自分は決して、水木先生のファンでも、アニメや漫画の熱心なファンでもありません。「鬼太郎は見てたけど…」という程度です。あくまでも境港の「まちづくり」に惹かれ、「旅は“非日常を楽しむ”と捉えていながらも“日常的な感覚で楽しめる町”だったからこそ、移り住んだのです。

そんな水木しげるロードも、10数年前から、観光客が増えるにつれて「金儲けだけの店」が増え出し、呼び込みなども横行しています。さらに代替わりや行政の関与などで遊び心のあったイベントが廃止されたり規制がかかるなど「テーマパーク化」し、本来のコンセプトは忘れられつつあります。
訪れる人の「楽しみ方」も変化してきて、10数年前までは水木先生のファン、作品のファンを中心とした個人客に支えられてきた町でしたが、今は作品も知らないような団体客や外国人観光客が増える一方。さらに10数億を投じた大リニューアルもあって、完成当時とは全く違った町の雰囲気になりました。

時代に即した今風の楽しみ方については、一切否定するつもりはありません。今のリニューアルの仕掛けも、現代的で凝っており、見ごたえはあります。とにかく「楽しみに来られる人に、純粋に楽しんでいただければいい」とは思います。

ただ「町が誕生した『原点』を、亡くなられた水木しげる先生の“想い”を忘れてはならない」。
それだけは、力説したいです。

原点を感じることができる店は、今も残っています。それらを本質的に楽しんでいただけるように守り伝えることが「水木しげるロードを楽しむ宿」としての宿命だと思って、空間づくりに励んでいます。

自分にとっての普通は、誰かにとっての非日常。
自分が非日常を日常に転化させ、今も交錯させて過ごしていることで、すごく分かるようになりました。
逆に自分が旅に出た時、その場所は、そこに住んでいる人にとっては当たり前の日常があり、特別ではありません。その“交錯”が、旅心を擽り、旅を熱くさせます。
「旅宿」を始めてから、一つひとつの小さな物語が、それぞれにドラマティックに化ける史実を、実感しています。
(長くなりますので「2」に続く)

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